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風も光も味方にして

《地下アイドルの記録⑤-ライブがある日の一日-》

私たちはみんな昼間は大学生だったから、それぞれ別の場所からやってきて、日が落ちる頃にライブハウスで集まった。
現場では時間に関係なく挨拶は「おはようございます」だと言われていたから、放課後にライブハウスに着いてこの挨拶をすると、昼間の大学でのことは夢みたいにきえてしまった。そして、もう一つの"今日"が始まるような感じがしたな。
そんな、ライブがある一日のことです。



会場入りの時には、もうすでにライブハウスの外で待ってくれている顔見知りのファンの方がいたりした。氷結の缶を片手に、なんて人もいて、「よっす」と片手をあげてくれるので、「また飲んでるー!飲み過ぎチューイしてね」とか「来てくれたのありがとう」と何気なく言葉を交わしたりするのが楽しかったりする。
楽屋へ入っていくと、対バンのアイドルたちが鏡と向かい合っている。
イスや床には私服のワンピースが脱いだそのままだったり、開きっぱなしのバッグやポーチがおもちゃ箱みたいに散らばっていて、辺りには女の子たちのあまーい制汗剤とかコテの焦げるみたいな熱の匂いが充満している。
空調はないことが多いから、ふりまかれた色んないい匂いがどろっとそこに溜まっているのだろう。ちょっとウっとなるくらい濃くて、でもそれがまたなんともいえずよい。楽屋はグロテスクでガーリーな空間なのだ。

早く着いてしまいがちな私が隅でひとり化粧道具を広げていると、たいていまずマナツがやってくる。私服はTシャツにぴったりしたジーパンで、こっちを見つけて「オハヨー」とマシュマロみたいな声。
その姿を見るといつも、えっ足長っ。と新鮮な気持ちで思ったな。彼女はモデルの仕事も入れてもらったりするようなスタイルの良さなので、シンプルな私服だと、さらにそれがきわだつのだ。
着替えの途中、キャミソール姿になって、その日のセトリを話し合う。
といってもしばらくは前のグループから引き継いだ三曲しかなかったから、持ち時間十五分はそれをやってぴったり。できても曲順を入れ替えるくらいで、それでもなるべく飽きてほしくないよねーとか、「〇〇(曲名)始まり、やりすぎたかな?笑」とか言いながら試行錯誤をしていた。


少し時間が空いて、ミフユがやってくる。
彼女はけっこうゆったりめに到着するのだけれど、一番お化粧に時間をかける。出番ぎりぎりまでアイラインの微々たるところもチェックして、手鏡の前で小さな口をムッとつむって顔をしかめる。

そして、

「ねえあんな(私の芸名)、やばい?今日ミフユぶすじゃない?」

とか、

「前髪まじむり~~~~」

と嘆くのだ。

そうすると、「かわいいよ大丈夫」と私はあんまり助けにならないことを言い(だけど本当に充分かわいい)、マナツが「ミフユまた言ってる笑 ひゃはは」と天真爛漫に笑う。ミフユはなかなか鏡を手放さない。
ミフユのポーチの中にはシャネルなどのハイブランドのお化粧品がいっぱい入っていて、まだとても手が届かなかった当時の私は、横目に見て「オトナ!!」と思っていた。
実は彼女は私より四つほど年上で、グループ最年長だった。だけど敬語は使わないってことになっていたし、何より一緒にはしゃぐのもマイペースなのもただただ「ミフユ」という感じがするだけで、あの当時には、年齢が違うってあんまり感じたことがなかった。ミフユはミフユだし、マナツはマナツでしかなかった。

それから三人で鏡の前に並んで、いっこのコテを使いまわしたり、色違いの髪飾りを同じ場所につけたりする。
この時にもミフユが髪飾りのカンペキな位置が定まるのに難儀して「あんな!やって!」と言うので試行錯誤してつける。
私は、このメンバーと過ごす支度の時間が大好きだった。こうやっていつも楽屋でわたわたしながら、アイドルの格好になっていったのだ。


ステージの袖では、よく先頭にいるマナツが袖からそっとフロアを覗いて、(今日○○いるよ)とか(今日お客さん少ない!)と声をひそめて教えてくれた。そういう時のマナツのまん丸な黒目は、暗闇でもらんらんにひかっている。
後ろではずっと身支度に追われていたミフユが「曲順なに??!」と勢いよく言い、「真っ白→ビヨンド→プレシャス」とか言いなれた略名を早口で答えているうちに、SEが鳴る。私たちは、飛び出す。


ライブが終わってはけると、今度は物販。その前に急いで楽屋に戻ってお直しをする。
鏡の中にうつる自分は、いつも本当に真っ赤で汗をかいていた。巻いた前髪ももちろんぺったんこで、デビューライブの日にマイクを手渡してくれた先輩アイドルとちゃんと同じくらいになった。
だからお直しと言っても、本当はお化粧なんて全部とれていたんじゃないかなと思う。人生で十五分のうちにあんなに汗をかいたこと、それまでも今も、ないな。

気持ちていどにスースーするのを塗ったりお粉をはたいて物販に立つ。
周りには何組も他のアイドルのブースがあって、物販の時間はその狭いスペースがファンやアイドル達でごたごた入り乱れる。
お客さんが来てくれたらチェキを撮っておしゃべりができるのだけれど、ブースが暇になってしまう時もある。そういう時はフライヤーを配ったり、「チェキ一枚とおしゃべり一分間 1,000円」のプラカードをかかげて、違うアイドルのファンに声をかけたりした。(今考えるとけっこうすごい光景だと思う。)
自分の推ししか撮らないので、とうっとうしそうに断られることもあるし、「じゃあ…」と来てくれて以来思いがけず推してくれるようになったりと、悲喜こもごもだけれど、そうやって少ーしずつファンの輪が広がっていった。


物販が終わって控室に戻ると、もう後は着替えと、もう一つのプチイベント、”〆のたたかい”がある。
それは、「差し入れジャンケン」だ。
いつも三人分の飲み物とお菓子の差し入れを持ってきてくれるファンの方がいて、飲み物ならジュース・きな粉・リンゴ酢、チョコなら苺・キャラメル・モカなどいつも見事にばらばらの味を用意してくれていた。だから三人で「これがいい!」と言い合うのだけれど、うまく分かれない時は、よくジャンケンになった。

マナツは、腕が長くジャンケンを振りかぶるしぐさからもう勝ちそうだし、ミフユは食べ物への愛がすごいのでグッとすごく力を込めて手を出してくる。
それでもジャンケンは誰が強いとかはとくになくて、みんなけっこう均等に欲しいものをゲットできた。ただミフユは、負けても「ねー!!」と言って全然あきらめていない時があり、勝った私のものと交換することもあった。そういうところも好きだった。


それぞれのジャンケンの戦利品をカバンに入れて、いつも駅まで一緒に帰った。
ライブハウスの前でまだたまっているファンの人たちに手を振り、大都会の夜を、大きなカバンをせおって三人ふらふら並んでいく。
その日あった面白かったことで笑ってはよそ見をして、時々仕事終わりのOLやサラリーマンとぶつかりそうになったりもした。でもお喋りを続けたくてみんなふんばるから、なかなか縦一列になれなかったな。ゴメンナサイ。


色んな帰り道の中で私が一番好きだった景色は、渋谷の桜丘から駅へ向かう歩道橋だった。
あの奥には、再開発で壊されてしまったけれど渋谷gladやDESEO、DESEOmini、RUIDO K2といったライブハウスがあり、そこでライブをした帰りにはいつも通った。
ずんずん夢中で階段を上がり、少しだけ高い場所から見る渋谷の街は、いつもかがやいていた。
建物にはめられたコマーシャルのモニターや、ビルの一番上に光る「forever21」の文字、車のライト、遠くに見えるスクランブル交差点の始まり。前から後ろから人が押しよせる狭い道。喧噪。

そこに立つ私、肩にかけた荷物は重くて、でもめいっぱい動かした体はハイになってどこか軽くて。隣には笑っているメンバーがいて、なんか、生きてるって感じがしたな。

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