オーストラリアで、デザイナーとして生きる。自分の強みを自覚しよう【講師ミカ】
今回は、デザイントーストメンター、ミカさんのインタビューです!
オーストラリアを拠点に現地の方を相手にお仕事もされている現役デザイナーです。デザイントーストでは月一講座やプロテマ等いろんな講座を担当されています。
インタビュー by デザイントースト メンターふぁむ子
「このままじゃダメになる」留学の決意
― そもそもどういうきっかけでオーストラリアに住もうと思われたんでしょうか?
ミカ:私、もともとは日本で普通に大卒で新社会人として働いてたんですよ。コールセンターでスーパーバイザーをしてて、デザインや美術系とは全然関係ないキャリアからスタートしました。
ミカ:ただ、就職した会社がかなり激務で…今から15年くらい前って普通の会社でもめちゃくちゃ残業するのが結構一般的でしたよね。そんな感じであっという間に心身不調になってしまって。
― 苦労されたんですね…。その頃って長時間働くことがよしとされる時代でしたよね。
ミカ:そうなんです。それで体調を崩して、病院通いしたり検査したりしている時に「ずっとこんな風に働いてたらダメになる」って思ったんです。疲れ切っちゃって。
それで、大学の時に短期留学したこと、その時は遊んでばっかりでただ長期旅行をしただけ、という感じだったのが心残りだったのを思い出したんですね。帰国した時に「もし今度留学できるなら、ちゃんと勉強しよう」と決心したことを思い出して、今度こそ!と一念発起して留学先を探しました。
― そういうきっかけだったんですね!オーストラリアを選ばれた理由はありますか?
ミカ:日本で英語を勉強していたのでそれが活かせる場所がよかったのですが、アメリカは学生ビザだとアルバイトができない。あと寒いところが苦手…という感じで条件を決めて探し、オーストラリアに決定しました。留学生でもアルバイトができる制度が整っていたので、その点も魅力に感じましたね。
現地で3年間のグラフィックデザインコース
― 現地に行って、まず何をしましたか?
ミカ:私は留学してまず、英語の勉強を少ししました。TAFE(テイフ)*に入ろうと思ったんですが、そこでは入学に一定以上の英語レベルが求められたのでまず英語から始めました。
(TAFE…州立の専門学校で、日本で言う高専など職業訓練に特化した学校)
― そこでデザインを勉強されたんですね?
ミカ:はい、そこでグラフィックデザインを専攻しました。そこは250コースくらい専門が分かれていて、地元の人がたくさん通っていました。新しいスキルや資格を身につけて、そこから付随する仕事のインターンを経て就職するようなシステムでした。
― クラスはどんな感じですか?日本からの留学生も多いのでしょうか?
ミカ:1クラス30人で、3クラスほどありました。私の専攻したグラフィックデザインのコースって、国家資格はないためビザ発行にあまり関係がなく、留学生には人気がありませんでした(笑)留学生はクラスに数人だったし、日本人も3年通ってて一人しか見かけませんでしたね。
― カリキュラムはどんな感じですか?
ミカ:私が入ったそこの学校のカリキュラムも面白くて、まずは印刷技術から学んだんです。学校の地下に印刷所があって、そこでInDesignを使って実際にデザインして製本したり、パッケージやワインのラベルを印刷するところまで自分たちでやるんです。
― すごく本格的!
ミカ:すごくためになりました!最短で2年コースだったのですが、私は基礎の印刷から勉強したので結局3年間学校に通いました。
カリキュラムはデザイントーストと似た構造で、いろんな課題に次々取り組みました。リサーチから始めて、仮説提案、実際の制作と段階を踏んで合格をもらわないといけない。
ポストカードを作るような課題から、アイデアだけ20個以上出す、といったものまで半年タームで15くらいの課題をクリアしないと次のタームにいけなかったので常に追われている感じでしたね(笑)
― 実力が付きますね!ミカさんの的確なメンタリングはそういう経験が大いに生かされているんですね。
ミカ:最後の1年は、課題の半分が実際のクライアントワークでした。コンペを行い、選ばれた作品がクライアントに実際に使われる…デザイントーストの卒業制作とかなり近いですよね。
卒業後、オーストラリアに残る決断。デザイナーとキャリア開始
― 卒業後の就職もオーストラリアでそのままされた感じですか?
ミカ:就職…といっていいのかわからないのですが、私が学校を卒業してすぐのタイミングでパートナーが現地で事業を始めたので、それを手伝う形でデザイナーとしてデビューしました。インハウスデザイナーのような立ち位置で色々任されていました。
卒業した「職業訓練をする学校」というのが、働き始めてやっとハラに落ちた感じでしたね。印刷をお願いするのに1年目で印刷技術を学んだことが実際に活きたり…。
― 全てが実務に生かせるのは、理想的ですね。
ミカ:コロナ禍が始まるまで、日本語のフリーマガジンも現地で発行してました。隔月誌で毎回30ページくらいのボリュームのものです。それを5年くらい続けたので、かなりデザインはこなれたと思います。
― えっ!それってものすごく大変じゃないですか?アポ取りや取材・撮影もあるでしょうし。
ミカ:そうなんです、私の他にもう一人、撮影ができる日本人デザイナーの方がいて二人で作っていました。毎回50箇所くらい取材に行っていましたね。
コロナ禍で、紙媒体をやめてSNSに移行したのもあってかなりペースダウンして、自分のことに集中できるようになりました。そのような経緯もあってデザイントーストでのお仕事も始めた形です。
― コロナ禍で色々な環境の変化もありましたね。リモートワークが盛んになったり、デザイナーにとってはありがたいこともあって。
ミカ:日本だと特に「仕事は会社で」という意識が強かったし「熱くらいで会社を休むなんて」という風潮だったのがかなり変わった印象です。良い部分もありますね。
私が作っていたフリーマガジンも、休刊したのはコロナ禍がきっかけではありましたが、SNSで皆が情報発信を始める時代が来たと感じていました。
始めた当初は、私が住んでいる地域の情報ってインターネットで検索してもほとんどなかったんですが、今は調べればいろんな人の情報が見られる。一つの役割をやり遂げたという気持ちがあります。
― 取材を沢山して、デザインのお仕事にも繋がったのでしょうか?
ミカ:フリーマガジンを作っていた時に、取材先のお店から「デザイナーなんだ!じゃあWebサイトを」とか「ロゴがほしいのでおねがいできますか?」と言われることもあって、結果的に自分のデザイナーとしての営業にもなりました。
自分の強みを持って、自分の土俵で戦う
― ミカさんが幅広いデザインに強い理由がよくわかった気がします。受講生からの信頼もとても厚いですよね。
ミカ:でも私、最初にこのお仕事をいただいた時にすごく自信がなかったんです。人に教える経験がなかったのでかなり勉強しました。しっかり理解できていないと人に教えられないと思って。
デザインは終わりがなく、一生勉強。教える立場ですが、受講生から教えてもらうことも沢山あります。ありがたい機会をもらってるな、としみじみ思います。
― フリーランスデザイナーとしてやっていくコツをお聞きしたいです。
ミカ:私はこちらの学校を卒業してからはインハウスデザイナー的な立場だったのですが、そちらの仕事が落ち着いてからはフリーランスデザイナー的な働き方にシフトしました。
フリーランスってサバイブしていくような感覚なんですね。デザインスキルはもちろん大事、日々勉強もしてる。でもスキルとかセンスで競い合って行こうとすると、これだけデザイナーがたくさんいる中で、自分で自分を苦しめちゃう。
― 確かに、デザイナーってオンラインでお願いできる方だけでもすごい数いますよね。誰に頼むか迷うくらい(笑)
ミカ:そうなんです。オンラインなど何千人もいるところで戦おうとすると難しい。だからフリーランスでやっていきたい方は、自分の強みを絶対に見つけた方がいいです。「私、こういうことをやってます」という、自分だけの土俵を見つける。
デザイントーストでメンターを始めて、より自分への理解も深まって自分の強みにも気づけました。
― 「あなただから、お願いしたい」とクライアントから思ってもらえるデザイナー像が理想的ですよね。
ミカ:なので、「自分にしかできない、自分だからできるサービス」を見つけることですね。「こういうことをやってるよ」と発信していくことが、継続してデザイナーとしてやっていける秘訣だし、とても大事なんじゃないかなと思います。
■メンター ミカさんのブログ / Canva 公式クリエイタープロフィール
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他にもTAゆうこりんさんも、アメリカ留学→看護師からデザイナー転身。
デザインを一本にした理由とは?>