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組織としての価値観は大切なのか?「私」が「私たち」になるとき

そもそも「価値観」自体は、個人であれ複数であれ、何かを判断するときに必要なものになる。

例えば、夫婦で猫を飼うことになったとする。
ここでいろいろ夫婦で決めていくことがある。

・ペットショップなのか?里親なのか?
・室内飼いなのか?放し飼いなのか?
などなど。

さて、ここで価値観の共有をしていないとどうなるだろうか?
もし夫が室内飼い派で、妻が放し飼い派だったら、喧嘩になるだろう。「お互い価値観が合わないね」となる。

もし事前に共有がなされた上で違いがあるとわかったら、こういうときはこうしようという共通認識を作れるだろう。それが夫婦としての価値観になるのではないか?

その組織“らしさ”

組織にも同じことが言えて、
例えば、新商品の色を決めることになったとする。

さて、ここでこの組織の価値観、
いわゆる“らしさ”の共通認識が皆でとれていたしよう。

“我々の組織なら”、赤だよね。と合意がとれる。
(実際はこんな簡単にはいかないが笑)

「私(I)」ではなく「私たち(We)」になる

組織としての価値観があることで、何かを決める時の主語が「私は」ではなく「私たちは」になる。

もし、安定志向派だろうが上昇志向派だろうが、誰かが「私は」と言い出しても、組織としての価値観があると「私たちは」に軸を戻せる。

常に、組織としての価値観でありバリューは、考えや方向性が違う社員同士の原点として心の拠り所になれる。むしろ、そう機能させないとならないのではないか?

なぜ決裁者が経営者や上層部なのか?と考えた時に、
彼らは常に「私たちは」が主語だ。(その決裁者が「私たちは」を忘れた時がとても悲しい事態に陥るのだろう。)

社員がいつもそう思っておくのはとても無理に思う。組織を自分ごととして、というより私たちごととして捉えるのは難しい。
だからこそ、組織としての価値観は一度ではなく、いつも社員と共有しておくべきなのだろう。

しかも、全社員に共有するということは、その価値観はわかりやすい・伝わりやすいものでないとならない。

そうやってはじめて、「あ、この組織と自分は合うな・合わないな」と、就職するときに判断できるのではないだろうか?

余談:プロジェクトとしての価値観

私はよく制作などのプロジェクトで「コンセプト」を決める。
これはプロジェクトでクライアントもメンバーも含めた全員で「共通認識」を持つために用いる。これがないと、誰もが何かを判断するときに「私は」と言い出してしまうのだ。

クライアントもメンバーも自分も、それぞれ違う考えや価値観を持っている。だからこそ、今回の「プロジェクトとしての価値観」をどこに定めるべきなのかを決めてからスタートしないと、あとから恐ろしい出戻り地獄にはまる・・。

この時、クライアントの担当者が発言する価値観が「組織として」なのか?「個人として」なのか?を見極めるのもすごく重要に思っている。

じつは「組織としての価値観」が社内に浸透していない組織に一番困っているのは、クリエイティブなどの企画や制作に携わる私たちなのかもしれない。

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