ドイツを好きになれたら良かったのに……
心の底から沸いてくる一つの思い。
ー ドイツという国をどうしても好きになれない。
2017年3月に帰国が決まって、日本行きの飛行機(JAL)に乗った時、私はもう日本にいるも同然に感じ、笑みがこぼれた。
そして、日本語での機内サービスに安堵し、二度とドイツに足を踏み入れることはない……と固く誓った。
何がそんなに追い詰めたのか?
ドイツという国の印象を、私の独断と偏見で定義してみたい。
「お金持ちを嫉む気持ちを正直に表しつつも、優位な立場に就きたい気持ちを滲ませ、チクリと嫌味を語る人によく出会う社会」
端的には、正直で嫌味……ということになる。。。
日本でもそういうことは普通にあるが、そのマインドの深さが違うのだ。それは、ドイツの歴史的な背景を考えると、当然とも考えられる。同情的な気持ちにもなる。
今では東西ドイツが統一され、ドイツは一つの国ではあるものの根深い分断が日常に垣間見られる。
旧東ドイツ出身の人たちは、旧西ドイツの人たちと比べ、昇進する機会が少なく、旧東ドイツでは、旧西ドイツと比べ給料も30%も低いのが現状だ。
旧西ドイツは、民主主義。他方、東ドイツは共産主義。
つまり、旧東ドイツ出身の人は、これまでの平等な社会から、競争原理の働く社会への適応が求められたのである。しかもある日を境に。
今まで、競争とは無縁だった人たちが、ある日を境に競争社会の荒波を切り抜けていかなくてはいけない……それに適応出来なければ、社会から取り残されていくという現実が待っている。
それなのに、
適応出来たとしても、旧西ドイツで仕事に就いたとしても昇進・昇給の機会が、旧西ドイツの人たちと比べて少ない、という現実。
このことは、旧東ドイツの人たちに、ある種の劣等感を抱かせているのかもしれない。
お金のリアルな話を深刻そうに話す人たち、昇給が無いことに不満をチクっと言う人たち、、、、どこか他の人と漂わせている雰囲気が違い、硬い感じがする。。。
そんな人に何度か会って、「出身はどこですか?」と聞くと、「ベルリンです」
と、答える人が圧倒的に多かった。
銀行員や政治家、とにかくお金をたくさん持っている人たちが、まるで自分たちを不遇に処しているかのように語る。
ベルリンの壁の崩壊後、民主主義社会への適応と、共産主義の平等な社会が織りなす根深い葛藤なのかもしれない、と思った。
質実剛健、倹約家の多い国
そもそも、ドイツの社会では、日本のように人権費を削減することはなく、正規の対価を支払う必要がある。そのことは、ドイツの労働者の権利が、日本以上に保証されているようにも思う。それは、すごく良いことだ。。。
ドイツは、質実剛健、実利主義……倹約家が多いので、商品価格にもそれが反映され、日本のような行き届いたサービスは望めない。
そして、そもそも困った時に頼れるカスタマーサービス、アフターサービス、などなど、この種の類のサービスをビジネスとしてやっていない。
日本では、困ったら検討違いのカスタマーサービスにでも連絡すれば、なんとかしてもらえる。このなんとかしてもらえる、という安心感は、決してお金に代えられないものだということに、痛い思いをして気づいたのである。
安心感のために高い買い物を強いられる
安い物には、このどうにかしてもらえる、という安心感をくれるサービスはついていないことが予想されるので、必然的に高い物を選ぶことになる。なぜか? 高い物やサービスの中に、安心料的なものが含まれていることが多いからだ。
例えば、家電量販店で(ヨドバシカメラとか、ビックカメラとか)家電を買った時に、メーカー保証が必ずついてくる。そして、その保証を延長したかったら、家電量販店に追加でポイントを支払う、というシステムがある。
しかし、ドイツでは最低限でも保証やサービスを受けたいならば、追加料金を支払う必要がある場合が多く、それを知らなかったがために、失敗したことは数知れず。。。そういうことを経験するうちに、安い価格と少しだけ高い価格があった場合には、きっとこれはサービス料が含まれている=何かあった時に安心、と考えて、高い方を選択することになるのである。。。それを逆手に取った詐欺的なサービスなどにも引っかかりそうなこともあった。
人を貶めてまでお金儲けをしようとしている、という現実にショックを受けることも多かった。
そう、お金儲けのためには手段を選ばない感じ。そういう負のエネルギーにさらされるたびに、疲れ果てていた。
嫌いになれない国でもあった理由
帰国後、就職活動をするも、ブランクがあるからか、転職回数が気になったのか……転職エージェントを通じて、日本企業にエントリーするも全滅。15回くらい履歴書を送ってみた気がするが、書類審査の段階で全て落ちる。
そんな中、外資系企業ーしかもドイツ!から、面接のオファーが来た。
簡単なweb履歴書を載せていただけなのに。
面接に英文履歴書・職務履歴書を持ってくるようにとは言われなかったが、念のため用意して行った。
そこで目にしたのはー
印刷されたweb履歴書が、面接官の机の上に置かれていた。経歴を知るにはこれで十分と言わんばかりだ。
そしてドイツ人の面接官は私に英語で話しかけ、今までの経歴を業務内容と併せて英語で説明するようにとのことだった。
ここで、英文履歴書と職務経歴書が役に立つことになった。
私は頭が真っ白になり、英語でどう言えばいいのかわからなくなり、、、、咄嗟に手元に置いてあった職務経歴書を見せながら、書いてある通りに、大きな声で読むことしかできなかった。
こんなことしか出来ないのか……と恥ずかしくなったが、その恥ずかしさを打ち消すために、あたかも自信があるかのように抑揚をつけるしかなく、時折面接官の顔をみながら、おそらく2分近く、履歴書を読み上げた。。。
「もう耐えられない、帰りたい……」
そう心で囁きながら。
そんなこんなだったけど、何と1次面接を通過し、2次面接に呼ばれた。
2次では、とあるビジネスシーンにおいて、どのように課題を見つけて解決するか、を問う試験だった。ペーパーが渡され、そこに書いてある問題を10分で考えて解決策を英語で述べよ。というものだった。
ホワイトボードを使って、説明して欲しい……とも言われ、、、またしても頭が真っ白に。
泣いても笑っても、これが最後のチャンス。
これまで面接にすら呼んでもらなかった私が、2次面接にまで進めたことがありがたかった。私の経歴に可能性を感じてくれたことに感謝でいっぱいだった。
この感謝の気持ちで、自分がわかることを自信を持って言えばいい。
逃げ出した国ードイツ、嫌で嫌でたまらなかったドイツのはずなのに、私の心の中はドイツ人の、見た目の良さよりも質を取る、というマインドに感謝すらしていた。
プレゼンは成功した。そして、面接官から質問も出てそれにも答えることができた。面接官はとても驚いていて、うちで働くことを検討しておいて欲しい、と言われた。
しかし、不合格通知がきた。
そういえば、面接官は、夫がまた海外赴任があるかどうかについて、何度も私に聞いて確認をしていたなと。私は、そのあたりのことを英語で説得力がある形で説明できなかった。
ーだからだ、と思っている。
それでも、2次面接まで進めたことは奇跡だったし、英語で即興プレゼンをする、という試練も乗り越えられた。履歴書の綺麗さより、これまでの職歴から、活躍してもらえるんじゃないか、と考えてくれたドイツ企業の採用担当者に感謝と尊敬の思いを持たずにはいられなかった。
採用の常識・慣例にとらわれず、自分の目と耳で判断する、というその姿勢に心を打たれた。
今ならドイツで嫌いだったところも、少し違って見えそうだ。
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