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新しいことを始めようとするとき、なぜそれをやるのか?どうして必要なのか?を聞かれ、その質問に答える必要があるかのように、子供の頃から教わってきたような気がする。

この質問で聞いているのは、「社会的な意味」であることに気づきました。
本人にとっての意味ではなくて「社会的」。つまり、人生に直接役に立つか、立たないか。

音楽や美術が人生に役立つかと言われば…生産性を上げるとか、利益を生み出すとかでは図ることができない。

私たちは、時々「社会的な意味」から離れてみたくなるもの。
自分の心のままに好きなことをしたり、新しい環境に身を置きたくなってみたり。

確かに、生産性や利益を今すぐには生み出さないと思うけど、「自分が自分であるための意味」を追求するための活動だと思うのです。

生産性や利益重視の考え方というのは、時間軸で言うと非常に短い期間のものです。自分が何をしたいのかわからないうちは、生産性や利益重視の場に身を置いてみて、社会というものを学ぶのも良いかもしれません。

でも、やがてそこから出て自分の人生の意味に触れてみたいと思う時が訪れる。
そんな時に、ひとつの選択肢として留学を選んでみるのもありだと思う。

環境を変えることで、モノの見方が変わります。変えよう変えようと自分を抑圧しなくても、新しい価値観を知って自分の人生が恵まれていたことに気づいたり、やりたいことが見つかったり。

そんな時間を自分に許してあげることが大切かもしれないですね。

私は日本にいたとき、自分のやりたいことは漠然とあるのに、どう形にしたら良いか、自分の心がときめく形はどういうものか

それが見つからなくて、悶々としました。

でも、カナダに2年間留学してカレッジを卒業した後、ようやく自分が本当にこうだったら良いなというものが見つかった。

見つかったというよりも、元々私の心の中にはあったけど、日本の文化、慣習、社会的通念、そんなものが重くのしかかっていて本当の望みに蓋をしてしまっていた。

その蓋を取るのに2年かかりました。
その蓋が外れた時、私はこれまで人生を自分のために一生懸命頑張ってきたんだ、という嬉しさ。
家庭環境には恵まれていなかったけど、私が本当にやりたいことをやるのに十分な経験はできていたこと。

嫌な体験が私の人生の貴重なリソースに変わった瞬間でした。

もし私が、カナダで「永住権を取る」ことだけにしか目が向かず、それにまっしぐらだったら、
「何が永住権につながるか、できるだけ早く永住権が取れる道は何か」
そればかり考えて、自分の本当の気持ちを感じる余裕すら無くしていたかもしれない。

これまで、私は自分の心を置き去りにして、自分の外側の条件にあるものに合わせて生きてきました。
だから、いつも虚しかった。努力して達成しても、何かが違うという感覚が抜けなかった。

本当に私が欲しいのは、心のままに生きられる自由さ。
この自由さを体験した先にある感覚、感情に触れたいという強い願望、欲求。

社会的な側面を追い求めていては、決して得ることができないもの。
アラフォー世代の人は特に今、そういうものを求めているのかもしれない。
気持ちが楽になれること、楽しい気分になることをコツコツやっていくと、ある日、インスピレーションが来たり、忙しくしていては思い出せないような子供の頃の宝物のような記憶を思い出すんです。

そして、
「あ。私これがやりたかった」
と、その一瞬で悟ってしまうものなんです。

だから、焦らなくて大丈夫。
ゆったりと毎日過ごすこと。
私には、どうも日本では難しかった。。

「なんとなく」を大事にすると、きっと自分が本当に生きたい場所に連れて行ってくれると思います。

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