アラン

1983年東京生まれ。男性。自営業。妻と2人の男の子。

アラン

1983年東京生まれ。男性。自営業。妻と2人の男の子。

最近の記事

素朴な優しさ

9月になっても、暑さが引かなく季節感が薄れてきているが、畑も入れ替えの時期に差し掛かって、秋冬野菜の種を蒔き始める。 6歳の息子は、畑についていきたがるが、この暑さを考えると真夏に一緒に連れていくには気が引けていた。 しかし、種まきはどうしてもやりたいというので、万全の準備のもと、まだ朝から30度をゆうに超える気温の中、二人で秋冬野菜の種を持って、勇ましく向かうことにした。 ついた頃には二人とも汗だくだ。まず水筒から水分補給をする。二人とも汗を垂らしながら、小一時間程度作

    • 知ること

      僕らが、過剰な情報の海に投げ込まれて久しいが、渦中にいては、その変化がどう僕らの精神に影響を与えているかは、はっきりと感じにくい。 身体の成長と同じで、少しずつ変わっていくものは、外からたまに眺めているくらいの方が、その変化に気が付きやすい。 とは言え、人類全体でその渦中にいては、外から眺めるのも中々難しく、数値化できるものだけを、その傾向で云々悩むくらいが関の山だろう。 今の時代は、僕たちにとって“善い”のだろうか。 人が求めてなっている今である。人は情報を欲しがる。欲

      • 雨の日の雑記

        僕の仕事机の右手には小さいテラスに出れる窓があり、窓からはテラス越しに団地の緑緑強い共用の庭がのぞめる。この景色は僕のお気に入りで、整理されきってないけれども、汚らしくない、むしろ美しい緑の景色はここに越してきて正解だったことの一つである。 たまに外を見る。何の気なしに。 昨日もいつもと同じように机に向かっていたら、外から急な雨音が聞こえた。もはや日本でも定番となったゲリラ豪雨である。 この緑の景色の雨の風景は、より僕のお気に入りである。子供が生まれる前に友達夫婦と行った

        • 不安の雑記

          心が不安定にならないと気付かない逆説として、世界に彩りを与えてくれるのはいつだって心の方だということだ。 自分の心以外は極めて淡々と刻々と変化していっている。騒がしく見えるのは各々の心の変化に応じて世界のあり方を騒がしく語るせいである。 同じ1日でも、心の浮き沈み次第で、いつもと変わらない行動と景色が180度違う世界になる。安定していると、世界の変化が内的な部分から発生している事実には気が付きにくい。心を侮りがちになる。 不安が訪れ初めて、その心の影響力にさらされる。躁鬱な

        素朴な優しさ

          スピリチュアルの雑記

          SNSやYoutubeが市民権を得て、色々な人の意見や考えが、膨大な量で日々溢れかえっている。おかげさまで自分にない思想や考えを良くも悪くも覗き見できる。 スピリチュアル系というのだろうか、オカルトとも言えるかもしれない。自称だが、目にみえない世界と繋がっている人たちの動画を、何度か視聴した。一度見るとおすすめでいくつか違うものを勧められる。 これが意外と面白い。語られる内容はもれなく、いわゆる世の中の常識から、大きく逸脱している話ばかりだ。宇宙の法則を知っている人もいれ

          スピリチュアルの雑記

          経験の雑記

          質より量とよく聞く言葉だが、間違いないことだとこの歳になってより強く思うようになった。もっとちゃんと言うと「量から質」という感じの方が感触としては正確だ。 何事も時間がかかることで、時短をしたければ人より早く手を動かすしかない。一個一個にかける時間の速度を早めていくことが必要になる。 頭より、経験の方が色々教えてくれる。やる前に考えるより、まず手を動かしてみる。そうすると結果が目の前に現れ、それに対応すべく次の一手を打つ。 若い頃にたぶんにデッサンに時間をかけた経験がある

          経験の雑記

          夢の雑記

          早速、毎日書くことから遠のいてしまった。正確には手はつけているのだけれど投稿に至らなかった。こんな文章でも少しはちゃんとしておかないとと考えてしまい自分で難しくしてしまっている。 やり始めると誰にも伝わらない自分の中の小さいハードルをこさえてしまう。 そもそもは、日々の本当に関心のあることを文章という形でどこかに吐き出したくて始めたことだ。仕事や生活上の家族を含めた人間関係では、出さない部分をまとめてここで精算しておこうとしているわけで、そういう意味ではちゃんと自分の思考に

          本の雑記

          「姿ハ似セ難ク、意ハ似セ易シ」という本居宣長の一節がある。小林秀雄の「考えるヒント」という本の中で引かれていた一節だ。姿とは言葉の姿のことで、言葉の意味を似せることは簡単だけれども、言葉の姿を似せることは難しいと言っている。 これが、なかなか難しかった。 普通ならば逆に考える。口真似は容易いが、内容が肝心だと。 読むのは何回目だろう。僕にとっては折に触れて読み返したい文章だ。 宣長の言葉の背景には、他の学者から、 「上世の古人の歌の調べを真似をして歌っている奴がいるが、歌

          本の雑記

          僕はプラントは2500年たった今もなお、画期的な著者であり、どんな本よりも言葉によってイリュージョンを見せてくれるものを書き残してくれたと思う。 プラトンは古代ギリシャの哲学者で、ソクラテスという哲学者の弟子にあたる人だ。アリストテレスの師でもある。プラトンはソクラテスが主人公として登場し哲学対話を繰り広げる対話形式の哲学書を何作も書き残している。内容は事実に沿った創作であり、会話のニュアンスにどこまでプラトンの意匠の影響が入っているかわからないが、基本的には事実を書いたと

          日々の雑記

          子供が家族に加わってから、1日に3食を食べるサイクルになった。実は3食だと僕には少し多い。お腹が空く前にご飯になる。子供がいなかった時は2食のことが多かった。 しかし、お腹が空いてないからと言って抜くことはない。子供のためというより、子供もお腹が空いていない時もちゃんとその時間には食卓に付く。支度も含めると約1時間〜1時間半それで1日の時間が埋まる。実は食べるという行為より、この時間が埋まる。やることがある。という方が大事な役割を担っている。 子供がいない時は大抵妻とどこ

          日々の雑記

          日々の雑記

          自分でいるということに自覚的に疑いをかけ不可解さを認識して以来、自分と認識してしまう仕組みや自分というものがある驚きに驚ける感性を意識的に手放さないように心がけている。 僕個人の感覚しかわからないので、もちろん人によるとも思うが、経験を感性のまま大事に手放さないということは実は結構難しい。 感性は人間のやり取りの源に近いものだが、そのままだと何かと扱いづらく、置き換えて効率化してしまうことが多い。最たるものが言葉だ。常に僕は言葉は感性から発せられるzipフェイルのようなも

          日々の雑記

          畑の雑記

          4月から近所に七坪ほどの畑を借りて野菜を育てている。直に行うことと生きることが直結している実感が欲しくて何からやればいいかわからない中、とりあえず簡単に考えて食べるものを育てようと思った。 仕事も実感という意味では厳密にいうともちろんそうなのだが、人が作った経済の中での活動は、生きるということと自分との間にいろんなものが入りすぎていて、自分の欲求としてはもっと生っぽいものがほしかった。 これからはそういうものを増やしていきたい。 毎日少しずつ変化があるのが嬉しい。まず、更地

          日々の雑記

          文章を書くとこを筋トレのように始めてみようと思った。 仕事柄ではあるが、言葉を文字通り形にして抽象的なものにしてきた。 これからは言葉をそのままに、その先にある抽象的なニュアンスを人に伝えることができるようになるため。 何を書くかは決まっていないので「日々の雑記」ということにして、浮かんでは消える考えを毎日記していこうという試みである。 自分の生業であるデザインについて言葉で整理して伝えていこうと思って登録したnoteだったが、終わった仕事を改めて言葉でまとめていくモチベー

          日々の雑記