goki哲学4 ~日本観念論哲学~

わたしを批判したり嫌がらせをする連中はやまほどいるが、わたしを本気で助けてくれるという人間はこの世に存在しない。海城~東大受験時代を思い出す。わたしの実存を心から祝福する人間など親族も含めてひとりもいないのだと。わたしがなぜ齢19にして発狂せざるを得なかったのか今なら理由が分かる。わたしは世の中に出てはいけない人間なのだろう。わたしを超える天才は恐らく人類史を紐解いてもそうはいないと思うが。そういう天才は闇に葬られるのが宿命であると。

どこかの馬鹿面の男が電信柱の陰からやりきれねえほど悲しい目で人を見つめやがる。

虐げられた人間はやがて選民思想に目覚める。ユダヤ教、中華思想、韓流、BLACK LIVE MATTERS。みな根っこは同じである。わたしも虐げられすぎて観念的な自由にしがみつくようになってしまった。(日本観念論哲学)

存在論的な非対称性があるとなおも信じる根拠はなんだろうか。何が存在するかの最善の説明において、物理的なものと心的なもののどちらかに特権を認めるべき、深い理由があるのだろうか。(新実存主義 マルクスガブリエル

「精神」ってバカにならなくて。「心はどこまでも自由なんだよ」と一部のリベラルが主張しますが。ひとつしかない現実にみなが拘泥するから軋轢が生まれる。自分は観念の世界で構わない、存在は譲ろうと。部分的にせよ。それをお人好しと見るか謙譲と見るかでまた答えも変わってくる。

そして、感情やモチベーションといった心的なものが真に現実を動かす動機づけになったりもするもの。現実を変えるのは物理的なものですが物理的なものを動かすのは人間の内的世界である。しばしば。別にわたしは存在論を否定している訳ではないが。今のわたしは極めて観念的に生きている。

人は哲学的になるほどかえって観念的になっていくものである。(日本観念論哲学

わたしは宏池会が好きである。今の立憲民主よりは自民党左派の方が信用に足ると考えている。とにかく財政を早くしてほしい。

先ほど財務省の障害者雇用へ応募しました。履歴書には「財務省を変えて見せる。ザイム真理教徒を改宗させる」と書きました。岸田さんも総理になる前は「分配と成長」「財源は国債でいい」と繰り返し発言していた。いつの間にか財務省ヤクザに絡めとられた形だが。その正体をこの目で見極めたいと思う。

マルクスは人間の本質は経済であると言ったがわたしはリビドーであると考えている。マルクスは人間と人間とのあいだに起こる事象は必ず経済的原因を持っているとしたが。わたしはむしろ性的原因が大きいと考える。世界中の権力者が私を殺せないのも彼らの多くがホモでありわたしに恋愛感情があるから。

リビドーがポジティブに働いたとき、人間は驚くべき文化や芸術、学問を創造する。ヘテロは女性に、ホモは男性に、女性は男性にリビドーを持ち各々の仕事の極めて根源的なモチベーションとなる。これは存在が根拠であるが、心的なものがいかに人間の生産活動において大きな役割を果たすかの証左であり、観念論というか、つまりマルクスガブリエルの唱える「新実存主義」的なものを補完する。

なぜわたしが哲学を語っているかというと。政治や経済、あるいはその他の実学に言及すると、やはり利権に絡む関係者からクレームが来るからである。暫くはわたしも本音を堪える。美少女と形而上学の話が一番害がない平和であると。意外かもしれないがわたしはオーソドックスな哲学もそれはそれで語ることができるのです。これらの研究は今後「日本観念論哲学」としてまとめていきたいと思う。ちなみに千葉雅也さんのオマージュでもある(´・ω・`)

そして、若き天才哲学者佐々木洋宣さんにも言及しておこうと思う。彼には柚里絵の件で大変お世話になった。彼は東洋哲学が専門であるが将来有望、前途洋々な哲学者であることを紹介しておく。


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