人生に強烈なメメント・モリを。
辞世の句にハマっている。
特に、戦国時代あたりの、まさに死と隣り合わせだった人たちが遺した「人生最後の句」に、なぜか異常に強く惹き寄せられている。
例えば、豊臣秀吉が遺した辞世の句なんか最高で、
意味としては、「思えば、人生は露のように儚かった。大阪での栄華もまるで夢のようだった」と言ったところか。
どうだろう。これほど粋でセンスを感じさせる人生最後の言葉が他にあるだろうか。
しかし、その中身はいち百姓から一国の武将にまで成り上がり、天下を手に入れた偉人が遺した句にしては少し寂しく感じられる。
おそらく、秀吉にはやり遺したことがあったのだろう。乱世を突っ走って頂点にたどり着いたものの、そこで手にした豪華絢爛にあまり価値を見出していないのではないだろうか。私にはもっと他にやるべきことがあった、と悔やんでいるようにも見える辞世の句である。
秀吉のように、なにかしらの目標に向けて突っ走っる人生を歩んでいた人が自分の「死」を意識して振り返ってみた時に感じるのは、「他にするべきことがあったのかもしれない」という、ごくごく自然な後悔に対する侘しさみたいなものなのかもしれない。
それとは逆に、もうやり遺したことはない、なんて晴れ晴れした気分で死ねるのだろう、と詠った句もある。
例えば、こちらも戦国武将、上杉謙信が遺した句。
「死んだあとに行くのは天国か地獄か知らないが、私の心は雲のかかっていない月のように晴れ晴れとしている」
まさに、潔し。自分のやり遺したことはなく、いつでも死ねる。
この覚悟からは男らしさを通り越して、もはや生物としてのすべてが詰まっているような句ではないか。
あれこれ今でもいろんな人が遺した句を探しているが、すべてに置いて言えるのは非常に言葉選びとリズムのセンスが良い。
自分の人生を31文字にギュッと濃縮し、それを短歌のリズムと粋な言葉に乗せ換え、詠んだ人の心に強くインパクトを残してくる。
そこからうかがえるのは、それぞれの人生、他の人では体験できないような、自分だけが見てきた景色そのもののようではないか。
彼らが遺したのは、31文字のプロジェクションマッピングなのだ。
僕も、歴代の偉人たちが遺した句に憧れて、この「辞世の句」を詠んでみようと試みてみるものの、これと言ってしっくりくる句は未だ完成していない。
多分、「死」に対する覚悟どころか、どこかで自分ら永遠に生きるのではないか、と勘違いしているのかもしれない。
それでも、なにか辞世の句を遺そうと自分の死についてあれこれ妄想していると、いろんなことが見えてきている。なにか、誰かの心を揺さぶるような句を詠もうと思ったら、それこそ強烈に自分の死を意識しないと無理なのだろう。
花も人も、散る時を知ってこそ美しく輝くのだ。
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