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夏目漱石 をあきらめたら こうなった本棚

本棚と言えばきまって木の本棚。
僕の部屋にもあります。
そしてもう一つ別の種類の本棚もあります。
virtualのもの。


1. 本棚

Feel free to call me a bookworm.

が大好きな僕ですが、本棚を増やさないことにしています。職業柄いつなんどき戻ってこない時があるのではないかと思って、家族が本の処分に困らないように本棚は一つだけにしてあります。おへそくらいまでの高さで、120cmほどの幅の小ぶりのものながら、奥行のあるものなのでかなり入ります。お気に入りでこの本棚とは15年ほどのつきあいになります。ほぼ満杯状態にありますが、新しい本を買っては不要な本を捨てていくというシステムをとっているので、決して溢れることはありません。この中でやっていくと決めています。

殿堂入り」した本はずっと残り、不動の地位を与えられます。読み返したいからというよりは、僕の琴線に触れた本に対して敬意を持って残すというのか。完全に自己満足の世界です。いつか自分の子供たちが読書に興味を持つ年頃になった時に、このラインナップから1冊でも選んでくれたら嬉しいですね。

自分の思っていた内容でなかった本や、興味が失せてしまった本は、新旧交代の時期に出ていくことになります。捨てると言っても全て人の作品。ゴミのように捨てるのには気が引けます。他の人にとっては「殿堂入り」する本かもしれません。ですので僕は全ての本を古本買取サイトで有名な Value Books に売りに出しています。あまり高い値がつくことはありませんが、この企業の本の循環を大切にしているコンセプトが好きなんです。買い取れなかった本は病院や学校に寄付するなんて、本への愛を感じませんか?


2. 電子棚

家を空けることの多い僕は、PCかタブレット端末を必ず持ち歩いているので、旅先ではそれらを使って電子書籍を読みます。本が1冊入ってるだけでも荷物が重く感じることがあるので、どうせ持ち歩く端末を使って本を読めるのは大変便利で重宝しています。

要するにvirtualな電子本棚が、自分の部屋にある木製の本棚とは別に存在するわけです。だからこそ小ぶりな本棚一つでやっていけているとも言えます。

しかも僕には電子棚が二つあります。
メインとしては、ソニーストアの "Reader Store" を利用しています。

どの電子書籍サイトもそうですが、購入した本はずっと自分のアカウントの電子書籍棚に残ります。利点としては頻繁に本のセールをやっていること。キャンペーンをやっている時は定価の半額以上で購入できたりする場合もあります。実店舗の書店にはとてもできないこと。何よりも何冊買っても重くならないし場所もとらない。これも利点の一つ。欠点としては、所有をしているという実感がないということでしょうか。それに実際に指でページをめくるわけではないので、どうもどこか物足りない感じは否めません。

Amazonのオーディオブック "audible" も使っています。これは「聞く」本です。プロのナレーターが自分の代わりに読んでくれるので、何か作業をしながら「読書」するには最適です。ここで購入した本も、削除しない限りはずっと自分のアカウントに残ります。これがもう一つの僕の電子棚。

読む速度が変えれる点も気に入っています。速度を上げることによって早く1冊が終わります。速読している状態という訳です。日本語でも英語でもだいたい1.6倍のスピードで聞くのが好きです。あくまで個人の好みですが。1.5倍だと微妙に遅く感じます。2倍にしても聞き取れますが、ここまでくると僕はかなりナレーションに集中しないといけなくなり、作業している手が止まってしまいます。ながら作業の本来の目的から外れてしまうのです。


3. 日本語の本

小学校高学年の頃、本好きの僕は小説家になることを夢にみた時期があったのですが、夏目漱石の『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』などを読んで諦めたんです。こんなの無理と。また父の真似をして難しい岩波新書の本を背伸びして読んだりしていましたが、まぁ難しい。とてもこんな偉い人たちが使うような語彙豊富の文章や物語なんて書けないと、きっぱり諦めたのでした。夏目漱石にいたっては時代も文体も違うのに、同じようなものが書けるわけがありません。難しい漢字や文体を使って書くのが小説だと思っていたのです。かわいい小学生の考えです。

とにかく文章を書くにあたって僕が大きな影響を受けたと感じるのは、実は意外にも作家ではありません。指揮者の岩城宏之と、ピアニストの中村紘子です。高校生から大学生の時期にお二人のエッセイを読んだのですが、なんと軽いタッチで読みやすい。こんなに気楽に読める文章が書けたらなんて素敵なんだろうって、自然に笑みがこぼれるような不思議な感情になったのを覚えています。なぜか二人とも作家ではなくクラシック界の大物。ピアノを習っていたので音楽にまつわるエッセイに興味をもって読んだのですが、堅苦しくなるような話しをよくもこんなに柔らかく軽やかに書けるもんだなと。とにかく読み終わるのがもったいないようなエッセイ。お二人とも近年亡くなられましたが、そんな捨てられない本が何冊も本棚に残っています。

清水義範の本も何冊も並んでいます。コミカルであるところがクラシック界のお二人とはテイストが違いますが、この方の語り口もまぁ滑らかで読みやすい。こちらは本業の作家さんですので、エッセイストと並べられると気分を害されるはずです。別格であることを強調しておきます。相当調べぬいて書いておられるであろう知識を、上から目線になることなくよくこんなに読み手が受け入れやすく書けるものだと、どの本を読んでも舌を巻きます。

難しい文章を書くことが物書きの仕事だと思っていたのですが、この三人の作品を読んでいるうちに考えが180度変わりました。文章にはいろんなジャンルがあるし、どのジャンルを書く人も物書きだと。また、難しい言葉を並べて文章を書く人だけが物書きなのではなく、読みやすさを駆使して読者を楽しませる技術をもっている人も物書きなのだと。

*敬称略


4. 読む速度

ひと月にどれくらい本を読むのか聞かれることがありますが、僕はこれを愚問だと思っています。50冊読んだとしてもその内容が頭に残っていないなら意味がないし、たとえ1冊でもじっくり読んでその人の人生に影響を与えるような内容ならば最高だし。僕は専門書を職業柄読むことも多いのですが、この類の本はほぼ読み終わるということがありません。辞書に近いような存在ですので、わからない部分だけを読むという形が近いです。興味のない箇所は読みませんし、読むスピードも遅いです。1行理解するのに時間を要する場合もあるし、すぐ忘れる箇所は何度も読むし。小説の場合は味わいたいのでスピードを落としてゆっくり一語一句楽しみながら読むし、自己啓発書なんてどんどん読み進むし。分厚い本もあれば薄い本もある。数を数えることに意味が見出せません。

英語を読むスピードというのは、外国語として読むにあたって個人差はかなりあると思います。僕は大学で莫大な量の教科書や資料を読んだ(読まされた)ので、特に自分の専門分野の内容に関しては自然と速く読めるようになりました。スピードの強弱をつけれる、つまりは、読むべきところまで飛ぶことができるというか。何もすごい能力があるわけでもなく、ある程度の予備知識があれば数をこなすことで誰でも自然にできるようになると思います。逆に言うと、だからこそ膨大な量を大学で読ませるのだと思います。

一度、ESLの宿題でペーパーバックを1冊1週間で読んでこいという宿題がありました。他の授業や課題をやりながらかなりきつかったのですが、単位のためにやらざるをえなかったので必死に読み終えました。この課題図書、自分には全く興味のないSF小説。本当につまらなくてそれ故につらかったのですが、変な意味でのちのち自信になりました。自分にとってこんなにつまらないものでも、それなりに速く読めるのだと(笑)。自分の専門分野でないものでも、どうやらおしりに火がつけばスピードを上げて読めるようです。

*ESL: English as a Second Language


5. 洋書

洋書は日本で購入しようとすると高いですよね。例えば、ある日本語に翻訳された800円の文庫本、これが英語のペーパーバックだと2倍の1600円で売っています。ハードカバーのものを買おうとするとなんと4.000円したりする。僕の場合は文庫本で我慢することが多いのですが、内容によってはどうしても原書で読みたい時も。さすがにハードカバーはパスするのですが、買いたい人の気持ちはよくわかります。見栄えも良いですが、読みやすいんですよね、ハードカバー。もう少し安くならないかなぁ。電子書籍で安く買えるチャンスを待つこともよくあります。

和と洋、ただ訳されてるだけの違いという感覚は薄いです。洋書を読んでいるとして、面白い表現するねぇとか言いながらうなったり、この単語何だ?と思ったり。美しい表現に出会ったりすると今度使ってみようとも思います。でもこれは日本語の本でもそうですよね。漢字で書けるものをわざわざ平仮名にしたりするだけでも文章の印象は変わってくるし。そうなんです。違う言葉なら違う味がするのです。

英語でないとすべてのニュアンス伝わらないよなと初めて実感したのが、アメリカでの学生時代に出会った本でした。米国NBAのシカゴ・ブルズ時代のPhil Jackson監督の著書『Sacred Hoops』。Zen(禅)の精神をもって、個人プレーに走りがちな選手のエゴをコントロールしてチームを優勝に導く自伝。Zenという東洋のスピリチュアル的なものは海外で受けが良いのですが、どうも日本人にはちょっとそこまではなぁという完全に受け入れにくい部分があります。それを差し引いてもこの名監督のコーチング論にはかなり刺激を受け、いまだにチームワークや組織の成り立ちに興味があるのはこの学生時代に読んだ本の影響が残っているからです。人生に影響を与える本に出会う確率っていったいどんなものなのでしょうか。


6. 心が震えた本・作家

圧倒的な知識の雪崩に埋もれたと初めて感じたのが、堺屋太一著『東大講義録-文明を解く-』を読んだ時でした。その後、松岡正剛塩野七生、出口治明を知りそれぞれの本を何冊も読みましたが、自分はなんと何も知らない人間なんだろうと意気消沈しました。最近では田中靖浩著の『会計の世界史』に大きな知的興奮を覚え、とても勉強になりました。

山崎豊子著の『沈まぬ太陽』や『白い巨塔』はあまりにも有名です。それぞれ航空業界、医療業界の裏の世界のルポ。膨大な取材量に僕はひれ伏したという感じです。著者の良心と作家としての矜持の裏に、とてつもない執念を感じます。

帰国したばかりでカルチャーショックに打ちひしがれていた僕に外国人の同僚が薦めてくれた本が、Alex Kerr著の『Dogs and Demons』でした。時には目を背けたくなる日本社会への批判、あまりにも正論、なるほど、へー、が入り混じり、日本社会の構造を理解できない僕にはとても勉強になるものでした。日本で働く多くの外国人が、特殊な日本社会を知ろうとして手に取る本です。当時の僕のことを日本人としてではなく、海外から来た一同僚として見てくれていたからこそ紹介できた本だと思います。

*****

読書をすればするほど自らの知識の浅さが露呈します。それでもまだまだ読みたい本が山ほど。本なんて果てしなくあります。

Reading gives us someplace to go when we have to stay where we are.

その場にいながらいろんな世界を知れる。本ってすごいですよね。
読んでる間に愛着が涌いた本を自分の棚にしまう時、なんか嬉しくないですか?自分の一部になったような感じすらします。
かくして本好きは総じて本棚にもこだわる傾向があるように思えます。

僕の本棚に並んでる本って、僕のものだけどみんなのものでもあると思うんです。私もその本読んだよって言ったら、あなたの本が並んでるのと同じことですよね。それってすごくないですか?
すると、小さな本棚でも大きな宇宙に見えてきませんか?


#わたしの本棚


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