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サッカーの本質はこころの中に潜むもの

気づけばボールと友達になって半世紀以上。
今でも少年時代と変わらない夢中になれるフットボールがある。

DENとGRANDE。
僕の人生のキーワード。
37年と23年の歳月の中にフットホールが年輪の如く刻まれ、僕の生きざまが詰まっている。

フットボーラー仲間のイマイジーニョとオマウジーニョがやってきた。
歳は息子達と近いけれど僕の中では対等な関係でしかない。

毎回ながら話は尽きないし一緒にボールを蹴っているのがシンプルに楽しい。
彼らと話しをしていると目がキラキラしてしまう。

そんな仲間がいるから明日が待ち遠しいと思えるのだろう。

いつも思うことだが、サッカーは人生の全てではないが空気のような存在なのだと思う。

だからDENでもGRANDEでもサッカーが好きな大人や子どもたちと出会いたくて今も昔も本気で勝負している。
本気で勝負って優勝したいとか有名になりたいとかじゃなくて純粋に向き合うってこと。

挽きたて香る一杯のcoffeeから一日が始まるようにfootball仲間との出会いが僕の一日を豊かにしてくれる。

今年の夏もそんなフットボーラーたちの気配がもうそこまで漂ってきた。

何ものにもとらわれない自由気ままな境地でサッカーを楽しめるのが最高の贅沢。
この経験こそが大人も子どもも心に余白が生まれるのではないだろうか。
無であることの自覚を感じたとき。
サッカーの本質は見えてくる。
この頃はそう感じる。
相手よりゴールを多く取る。
そのために効果的なプレーを選択することがサッカーの本質だと思っていないだろうか。
サッカーの原理原則ではあるが。サッカーの本質とは….いかに。
ボールがあるから自由が生まれる。
自由には目に見えない価値観(マナー)が存在する。
その自由を感じさせるのが大人たちの責任。
それは社会との繋がりの入口でもある。
大人も子どもも関係ない。
上手い下手も関係ない。
誰もそんなことは気にならない。
人はみな様々な輝きを放ち同等な価値を持つ。
サッカーを楽しむ。
人生を楽しむ。
今を楽しむ。
今を笑おう。
今を生きよう。
心が許せる集まりは人生を豊かにしてくれる。
一緒にいる。
この仲間とこの場所に。
同じ空気を吸って。
同じボールを追いかけて。
同じ景色を眺めて。
そこには沢山のエネルギーが満ちあふれている。
ママさんもパパさんも童心に戻る。
子どもの心に入っていく。
子どもはそんな大人の優しさで心が豊かに磨かれていく。
草を取る。土に触る。
黙々とグランドを綺麗にする心は尊い。
父親が汗を流す姿に子供は心に勇気と誇りを持つものだ。
代表ユニを着るよりもお父さんの姿はカッコイイ!
いつの時代も仲間と食べるお弁当の時間は本当に素敵な時間。
どん底から命をかけて繁盛スーパーにした「ひまわり市場」那波さんのお弁当に感謝の心を込めて。
子供たちの笑顔を見ると安心する。
この子達が大人になったとき、この頃が楽しかったと思ってもらえるように。
子どもたちの笑顔と温かいご家庭が増える事に少しでも役立てばと思って汗を流す。
過去の栄光も実績も何もない私にはそれしかない。
サッカーは子どもたちの心に宝物を与え、大人達の心を浄化する。

何気ない日常。
誰も知らない八ヶ岳山麓での日常。
この時の心地よさ。
その日常はゆっくりと流れ続ける。
君たちが大人になったとき。
やがてとてつもない大きな豊かな日常であったことに気づく時がやってくる。
人生の本質も、サッカーの本質もそんな日常がこころの中に染みこんでいくのではないだろうか。
いや。
人生の本質も、サッカーの本質も人間の奥深い心の奥底に元々潜んでいるものなのかもしれない。

今日に感謝し、明日も良き日に。
NEVER GIVE UP FOOTBALL.
NO FOOTBALL NO LIFE.


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