片岡大右物語(5)東京大学の差別主義者
東京大学非常勤講師による自作自演の捏造論文
かつて考古学会を揺るがせた「旧石器捏造事件」という大スキャンダルがあった。遺跡の発掘現場における数々の大発見により「神の手」と称されていた在野の研究家が、じつはあらかじめ土の中に石器を埋めておき、それを自分で掘り出して、「貴重な石器を発見した!」と発表していたのだ。
若い人の中には、そんなバカなことができるのか、と思うかも知れないが、できたのである。何十年もの間、発覚もせず、その業績は教科書にさえ載った。
自作自演。
あらかじめ匿名でまとめサイトを作っておき、その記事をソースにして論文を書いて発表するようなものだ。
そんなバカな不正をやる奴がいるのか、と思うかも知れないが、いるのである。
それがなんと、東京大学で博士号を取得し、DEA(パリ8大学)の学位まで取得している仏文学者である。しかも天下の岩波書店が、そんな不正論文を堂々と掲載しているのだ。
その論文こそ、過去4回にわたって批判してきた片岡大右「長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす」である。この論文のソースは、どこの馬の骨かわからない「こべに」という匿名ブロガーのまとめサイトである。
しかも、このまとめサイトの作成には、片岡大右も協力しているのである。
つまり、自作自演だ。「神の手」である。
自分で埋めておいた石器を、自分で発掘しているのだ。
それだけではない。今度は片岡大右の論文をソースとして、「こべに」がまとめサイトを更新するのである。
これが、ウソを事実にすり替える「こべに軍団」の手口である。「Qアノン」も「神真都Q」も顔負けの、おそるべき「こべにQ」の陰謀論。id:kobeni_08
岩波書店は、こうした「捏造のキャッチボール」による「情報ロンダリング」に加担させられているのだ。
なぜこのような仏文学者が、東京大学や早稲田大学で学生を教えることができるのか。
恋とマシンガン こべに!こべに!こべに!
「私は眞子さんを愛しております」
婚約発表の記者会見で報道陣を前にきっぱりと宣言した小室圭のように、片岡大右が「私はこべにさんを愛しております」と言ったのかどうかは、知らない。
だが、片岡大右の論文には、読んでいるこちらが恥ずかしくなるくらいに、こべにへの愛があふれている。こべにのまとめサイトは、こべにと片岡大右のはじめての共同作業。
片岡大右は自分が作成協力していることを隠して、こべにのまとめサイトを自分の論文のソースとして使用。すると今度は片岡大右の論文をソースとして、「こべに」がまとめサイトを更新。
愛の連係プレー。捏造のキャッチボール。自作自演の情報ロンダリング。
該当箇所を、次に引用しよう。
自分で作成協力したまとめサイトを指して、「適切に指摘」だの「詳細な検証記事」だの「深く感謝したい」だの「併せて読まれたい」だの、よく書けるものだ。恥ずかしくないのか。
片岡大右はまさか知恵遅れではあるまい
片岡大右は、「長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす」(第1回)の中で、『月刊カドカワ』(角川書店)1991年9月号のインタビュー記事を取り上げ、小山田圭吾が同級生を「知恵遅れ」と呼んでいるが、そこに差別意識はないと述べている。
同論文から引用する。
片岡大右のこれらの主張は、私が当ブログにおいて「知恵遅れ」は差別用語であると指弾したことへの反論のつもりなのだ。まったく反論にもなっていない。「一般的な用例」だとして誰も読まない岩波ブックレットを引用するのも、とんちんかんである。
言葉は使われ方によって、どのような意味にもなるのだ。ダチョウ俱楽部の上島竜兵が「絶対に押すなよ!」と言えば、「押してくれ!」という意味である。
「当事者家族や教育現場でもふつうに用いられていた」からといって、差別用語ではなかったという証明にはならない。むしろ、それほど広まっていた言葉であればこそ、差別用語としても使えるのだ。誰も知らない言葉を、差別用語として使うことはできない。
こんな当たり前のこともわからないとは、片岡大右はまさか知恵遅れではあるまい(この用例は差別か?)。
差別用語の基礎知識
1970年代前半までは、映画やテレビや日常生活でもキチガイという言葉はふつうに用いられていた。
きだみのるの代表作は『気違い部落周游紀行』(吾妻書房、1948年)で、これはシリーズ化され、『気違い部落』という映画にもなった。
星新一が翻訳したフレドリック・ブラウンの短編集は、『さあ、気ちがいになりなさい』(早川書房、1962年)。 ゴダールの映画『気狂いピエロ』は1965年。
三上寛が「気狂い、気狂い、気狂い」と熱唱する『気狂い』という唄は1972年。
夢野久作『キチガイ地獄』(春陽堂、1933年)、坂口安吾『白痴』(中央公論社、1947年)。ドストエフスキーの『白痴』は黒澤明によって映画化された(1951年)。大宅壮一による「一億総白痴化」は1957年の流行語である。
しかし、1974年頃から反差別運動の高まりとともに、こうした差別用語が問題視されるようになる。
高木正幸『同和問題と同和団体』(土曜美術社、1986年)によれば、1974年5月、毎日放送の時代劇中の「気違い」のせりふに対し、社団法人大阪府精神障害者家族連合会が抗議を行った。これ以降、精神障害者団体によって「気違い」という用語の追放運動が展開された。
その翌年には、同放送での対談番組で対談者が「色きちがい」という言葉を用い、抗議を受けた。
また、1974年3月、京都新聞が近鉄百貨店爆破事件の見出しに「狂気の犯行」と書き、「精神医療を考える会」からの抗議にお詫びと訂正を行い、「問題のありそうな用字、用語は、差しつかえのない限りいいかえる」という自主規制の基本方針を決めた。
これが「言い換え集」「取り決め集」を作るなど、報道機関が差別表現規制に乗り出す一つのきっかけとなった。
同書には、朝日新聞編集委員(新左翼、部落問題担当)であった高木正幸が筆をとった朝日新聞の「取り決め集」が掲載されている。
同書から「障害者について」の記述を引用する。(P196)
このように、この時期までは新聞でも「知恵遅れ」という言葉はふつうに用いられていた。だからこそ、それは差別的な意味でも使用されたのだ。差別用語をなくしても、また別の言葉が使われ、それを言い換えても、またその言葉が差別用語として用いられる。
小山田圭吾を擁護するという大義は障害者差別を正当化するか
こべには自分を批判したツイッターのアカウントに対して、「この方は、小山田くん関連でデマを流すのが三回目くらいの方です。アカウントも度々変わっていますが、心の病をお持ちの方なので、訂正をするのも難しい状況です」と書いた。あきらかな差別である。
障害者差別について厳しい意見を表明しているマスナリジュンは、「女性を守るため」という大義のためであれば、障害者差別を扇動することが正当化されるでしょうか、と問題提起して、フェミニストの石川優実らを猛烈に批判している。一方で、マスナリジュンは「こべに軍団」の支援者でもあり、こべにのまとめサイトをツイッターで宣伝したり、小山田圭吾の謝罪文を無許可で朗読してyoutubeで配信するなどの活動もしている。
こべにの障害者差別について、マスナリジュンは今はまだ知らないようだが、もしも何かのきっかけで知ってしまったら大変なことになる。マスナリジュンのことだから、こべにの障害者差別を絶対に許すことはあるまい。きっとTwitterやnoteでこべにの障害者差別を批判する文章を書き、小山田圭吾の擁護もやめてしまうに違いない。
だから、こべにの障害者差別は、絶対にマスナリジュンにだけは知られてはならない。よって私もこれ以上の言及は今のところやめておきたい。今はまだマスナリジュンに知られてないから大丈夫だが、もしも私のせいでマスナリジュンに、こべにの障害者差別が知られてしまったら逆恨みされて怖いから、今のところは「こべに」の障害者差別には言及しないでおきたいが、障害者を差別する人間が小山田圭吾を擁護しているのだという事実は伝えておきたい。
このように、たとえキチガイを「心の病」と言い換えても、それを使っていくらでも差別的な表現はできる。それは言葉の問題ではなく、発言者の差別意識の問題であるからだ。
「清掃夫」も「小使いさん」も差別用語だった時代
この時期の反差別団体による糾弾の激しさは、同じく高木正幸による『差别用語の基礎知識92 何が差别語・差别表現か?』(1992年)に多くの事例が掲載されている。
いくつか紹介してみよう。
1975年2月、朝日新聞がフランスのジスカールデスタン大統領に関する記事に、「エリーゼ宮殿に清掃夫まで招いた」と書いて、清掃関係者から「清掃従事者に対する差別表現だ」と抗議を受けた。
「清掃夫」自体の表現も、「清掃従事者」「清掃作業員」「清掃労働者」などと通常言い換えられている。
1974年1月、TBSテレビのドリフターズ『8時だよ全員集合』の中で、「小使い、小使い」と連発し、自治労から「職業蔑視だ」との抗議が来た。
「小使い」の言いかえとして、「用務員」という言葉もあるが、これも差別的としてテレビ局が抗議を受けた例もあり、「校務員」という言い方を使用しているテレビ局もある。
75年11月18日、大阪朝日放送のテレビアニメ「魔法のマコちゃん」の中の「小使いさん」という言葉に対し、自治労大阪府本部中央本部が「職業差別」と朝日放送やキー局のNETに抗議、NET側は自治労中央本部員長あて謝罪文を提出した。
さらに、大阪府と大阪市の教育長からも抗議文が朝日放送に伝えられ、朝日放送は両委員会に謝罪文を送った。
1984年2月には、フジテレビのドラマ『乙女学園男子部』で、
「そんなこといっているから用務員にしかなれないんだ」
というせりふがあり、系列局の関西テレビに部落解放同盟から抗議が来たこともあるという。
1990年10月9日、集英社の週刊『少年ジャンプ』(10月22日号)掲載の佐藤正『燃える!お兄さん サイボーグ用務員さんの巻』の中で、新しい担任が来たため学校用務員になった先生を、生徒たちがからかったり、いじめたりするストーリーがあり、そこで「先生じゃなきゃただの働くおっさんなんだ。何を言ってもかまわないのだ」など、用務員の仕事を侮辱する表現がいたる所にあった。発売直後の十月中旬から問題が表面化、自治労大阪本部などの抗議で、同社は回収などの措置を決めた。(同書P189-191)
小山田圭吾はなぜ「知恵遅れ」と言わなくなったのか?
片岡大右の言うように、小山田圭吾が差別意識なく「知恵遅れ」という言葉を使っていたというなら、なぜその後インタビューでは「知恵遅れ」と言わなくなったのか。「村上清のいじめ紀行」を含めて、私が調べたところでは、小山田の「知恵遅れ」という発言が載っているのは、前掲の『月刊カドカワ』(1991年9月号)だけである。
おそらく、小山田自身がこれはまずいと思って使用をやめたか、出版社が自主規制して言い換えたかのどちらかであろう。私は後者の理由であろうと思う。なぜなら、小山田圭吾がファンだと公言していた根本敬は当時から「知恵遅れ」という言葉を使っており、また「村上清のいじめ紀行」は「知恵遅れ」という言葉が出てきてもおかしくない内容である。
したがって、小山田圭吾は「村上清のいじめ紀行」でも「知恵遅れ」という言葉を使っていたが、出版社側がこれはまずいと思って言い換えたと考えるのが妥当であろう。
谷田貝公昭『保育ミニ辞典』(一藝社、2007)によれば、 「知恵遅れ」という用語は、1999年より「知的障害」という用語に変更された。
こうしたことから、出版業界でも「知恵遅れ」を差別用語としてとらえ、言い換えがなされている。
ひろさちや『般若心経実践法』(小学館文庫、2000年)では、次のように断っている。
片岡大右は、1994年刊の堤清二・佐和隆光というインテリが書いた『ポスト産業社会への提言』という岩波ブックレットの文言が「一般的な用例」だと考えるようなどうしようもない学者馬鹿なので、これら本当に一般的な用例について何も知らないのである。この程度の浅はかな知識で、言語や哲学や文学や差別について論じようなど片腹痛い。
親切心から言うが、もう学者人生に見切りをつけたらどうか。
柳美里の『もやし』という中編小説は、1995年下期の芥川賞候補になった。そこから引用しよう。
小山田圭吾のインタビューが掲載された『月刊カドカワ』(1991年9月号)と同じ年に小学館から刊行された村上龍の『コックサッカーブルース』という陰惨で破壊的な小説には、次のように「知恵遅れ」という言葉が明らかに差別的に用いられている。
この小説には「知恵足らず」「知恵遅れ」という言葉が何度も使われているが、2000年に出た『村上龍自選小説集8』(集英社)に収録された際には、別の表現に変えられるか削除されている。そのことは私がすでに2015年の過去記事にて指摘してある。
小山田圭吾のすごい好きな本
片岡大右が浅はかな知識でいくら小山田圭吾をエクストリーム擁護しようとも、小山田圭吾が「知恵遅れ」という用語を差別と蔑視の意識において用いていたことは明らかである。
『月刊カドカワ』』(1995年12月号)の川勝正幸によるインタビュー記事で、小山田圭吾は根本敬の『因果鉄道の夜』をすごい好きな本だと語っている。(正しい書名は『因果鉄道の旅』である)。
(引用元「『でも、やるんだよ』魂で、ぶっとばせ!」『月刊カドカワ』(1995年12月号))
根本敬もまた雑誌『ガロ』に掲載したマンガの中で差別用語を用い、部落解放同盟から糾弾されている。この時には青林堂の長井勝一社長と共に、部落解放同盟中央本部まで出向いて謝罪した。だが、これをきっかけに根本敬はむしろアンチ・ヒューマニズム、あるいは差別主義の方向に針を振った。それは自らの活動に「特殊漫画家」や「幻の名盤解放同盟」という挑戦的な呼称を用いたことにも表れている。
そして「鬼畜系・悪趣味系」の担い手となるが、これは小山田圭吾やその周辺のミュージシャンに多大な影響を与えている。
スチャダラパーは根本敬のファンであることをたびたび公言しており、「規制だらけの現代社会にモノ申す!? スチャダラパーのニュー アルバム『11』が到着!」という記事でも、インタビュアーはそれをわかったうえで「根本敬作品にも相通じる“でも、やるんだよ!”イズムに満ちあふれた今作について3人に話を訊いた」と書いている。
根本敬の『豚小屋発犬小屋行き』(青林堂、1991年)の解説は電気グルーヴの石野卓球で、次のように述べている。
しかしながら、片岡大右はこれらを全く論じることなく、「小山田をめぐる今回の騒動の背景として何より重要なのは、しばしば言及されてきた『鬼畜系』や『悪趣味系』といった、今日では廃れた過去の文化現象ではない」という言い訳めいたことしか書けない。これは、根本敬を読んでいないか、読んでも理解できないか、自説に都合が悪いか、それの全てであろう。
岡崎京子のような今日では廃れた過去のマンガ家よりも、根本敬の方がはるかに大きな影響を残している。
野間易通は、「この『鬼畜系』こそが、現在のヘイトの潮流のルーツではないはと思っている」と書いており、これはまったく正しい。根本敬にも影響を与えた『危ない1号』初代編集長の青山正明について、野間易通『実録・レイシストをしばき隊』(河出書房新社、2018年)は次のように言及している。
このように、1981年の時点で「知恵遅れ」を差別する意識はあったのだ。
小山田圭吾は、根本敬を好きすぎ
小山田圭吾が「すごい好きな本」だという根本敬『因果鉄道の旅』(KKベストセラーズ、1993年)から、「根本敬、”中年愛”への原体験~K教諭は吉田佐吉の原型だ!」の一部を引用しよう。
根本敬のこうした自分語り、いじめ語りが小山田圭吾の語り口調にも影響を与えているのは明らかであろう。
ブスいじめを語ったあとで、じつはそれで皆に非難されたとか、悪質なイタズラを語ったあとで、じつは内向的な性格で友達がいなかった反動だったとか、こうした鬼畜エピソードと自分を卑下する語りとのバランスが絶妙なのである。
これが鬼畜エピソードを「ちょっといい話」に変える根本敬の話芸のテクニックである。
根本敬に心酔していた小山田圭吾はそのテクニックを真似たのだ。
沢田君がジャージを脱がされたいじめを語ったあとで、じつはそれをやったのは「外から来た奴」だと言い、村田さんの全裸オナニーいじめを語ったあとで、「かなりキツかったんだけど、それは」と付け加えることで、自分の罪を軽くし、いじめを「ちょっといい話」に変えるのだ。
こべにや片岡大右は鬼畜系について何も知らないので、こうした悪趣味エピソードがお笑いネタとしてウケていたことも知らない。だから、そのまま真に受けて小山田圭吾は「ちょっといい話」を語っているだけだ、いじめをしていない、と言うのである。あきれてものが言えない。
そのあげく、「ちょっといい話」のエピソードを削って引用している私のブログはデマだと騒いでいるのである。こういう小学生レベルの読み書き能力すらない人間を相手にするのはまことに骨が折れる。
でも、やるんだよ!
たとえ鬼畜系・悪趣味系カルチャーを知らなくとも、「村上清のいじめ紀行」を読めばそこにある醜悪な差別意識に気づくはずだ。
にもかかわらず、こべにのまとめサイトにも片岡大右の論文にも、小山田圭吾が口にした「超ハードコアなおかしい人」、「超狂ってた奴」、「耳が聞こえない奴」、「南米人とハーフみたいな顔」、「フランケン・タイプ」、「超鼻詰まってんですよ」、「やっぱ頭が病気でおかしいんだか、ただバカなんだか、というのが凄いわかりにくい奴」、「お風呂に入らないんですよ、こいつは(笑)。まず、臭いし」、「みんな同じ顔の奴」、「おまえボランティアされる側だろ」、といった差別意識にまみれたセリフが何一つ出てこないのは、どういうわけか。
「知恵遅れ」が差別語かどうかなど、検討する必要すらあるまい。
マスコミが真実を報道していないというのは、ある意味では正しい。新聞もテレビも、これらのセリフをそのまま報道することはできなかった。それほど、ひどいからである。
「吉野家」の伊東正明常務による「生娘をシャブ漬け戦略」という発言でさえ、読売新聞の報道では「若い女の子を牛丼中毒にする」となっていた。(2022/04/18)
ちなみに、1996年公開の映画『シャブ極道』でもそのタイトルが問題となり、変更を求める映倫やビデ倫と、それを不服とする監督とで法廷バトルまで起きている。
ところが、こべにと片岡大右はそれをいいことに、小山田圭吾の差別発言をすべてカットしたうえで、まとめサイトを作り、論文を書いている。チンコもウンコもオナニーも言わない、きれいに漂白されたアイドルのような小山田圭吾が、はたして本当の姿なのか。真実を伝えているのか。
渋谷系オリーブ少女のアイドル幻想をブチ壊す「ズルムケ」と「フルチン」
根本敬の作品世界を理解するには、石野卓球も書いていたように、まずはズルムケとフルチンを知らなければならない。いずれも男性器のことだが、東京都知事選の政見放送で、後藤輝樹が唱えたポコチン主義とはイデオロギーにおいて相違がある。
後藤輝樹がいうポコチンは、イケメンのさわやかな『少年ジャンプ』のようなポコチンだが、根本敬が『ガロ』で描くズルムケは、いい顔の親爺のズルムケチンポ、つまり画像を載せられないのが残念だが、血管が浮くほどに勃起して亀頭もむき出しのズルムケチンポのことである。
「取りすました場を、一瞬にしてブチ壊す様な、ズルムケ親爺の下品なパワー」(根本敬『因果鉄道の旅』26頁)
この「ズルムケ」「フルチン」こそが、鬼畜系を象徴するアイコンであり、小山田圭吾が心酔した根本敬ワールドのシンボルである。
小山田圭吾が根本敬から受けた影響の大きさは、たんに語り口調を真似するという表面的なものではなく、魂の奥底にまで及んでいる。
片岡大右のいうようにその人生経験が音楽に反映されているというのなら、小山田圭吾の音楽はなによりもまず「ズルムケ」「フルチン」なのだ。私には小山田圭吾の音楽はどれも「ズルムケ」「フルチン」にしか聴こえない。
したがって、NHKの子供番組で流していい音楽ではない。
たとえば、根本敬は次のように「知恵遅れ」を描写している。
小山田圭吾はこうした描写を何度も何度も、目に焼き付けるほど繰り返し読んだに違いない。根本敬にインスパイヤされたのだ。
そうして、沢田君との出会いを次のように語った。トイレに入ってからウンコをする姿を目撃するまでのカメラワークはみごとなくらい一致している。
小山田圭吾もつくづく因果者である。これに関わった者は皆、「トリコじかけの明け暮れ」によって報いを受ける宿命なのだ。
すべてを平等に差別するから差別ではないというロジック
野間易通は『実録・レイシストをしばき隊』の中で、「90年代鬼畜系はビートニク~サイケデリックといったアメリカのサブカルチャーと、ポストモダン思想の合体であった」と述べている。
つまりは、バッドテイスト(悪趣味)カルチャーと、「すべては等価だ」という価値相対主義の結びつきである。そして、青山正明による「権威の頂点に立つ天皇も、弱者である精薄児も同じレベルでチャカしているわけで、そこには差別意識はない」というロジックこそが、ヘイトへの歯止めを失わさせたのだ。
小山田圭吾がフリッパーズギターを解散してソロになった1990年代は、ちょうど根本敬がもっとも活躍した時期と重なる。テリー伊藤も根本敬のファンとなり、そのイラストを日テレ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(1991年)のタイトルロゴに採用し、テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』では「街角のいい味おやじファッション」という、いかにも根本敬ワールドの企画をプロデュースする。
だが、続いて放送された「ヒッピーはヤッピーになれるか」という企画で、事件は起きた。
これは、公園で野宿している人たちを「ヒッピー」と呼び、「ヤッピー(エリートサラリーマン)に変身してみませんか」と声をかけ、シャワーを浴びさせ、散髪をさせ、ファッションデザイナーがコーディネートした洋服に着替えさせて、その変化を楽しむというものである。
これは当然ながら抗議を受ける。
テリー伊藤は当初は抗弁していたものの、最終的に非を認めて謝罪した。ネットで公開されている謝罪文には差別を考える上で重要ないくつもの論点が示されている。
これを読むと、小山田圭吾と障害者との間に心の交流があった、などとする擁護派の認識がいかに甘いかがわかる。
先に、片岡大右の主張を引用しておこう。
片岡大右が典拠とした『月刊カドカワ』(1991年9月号)の「スピリチュアル・メッセージ」という記事は、公正なインタビュー記事ではない。
音楽ライターの平山雄一が手がけた読み物で、小山田圭吾へのインタビューを元にしてはいるものの、インタビュアーの発言はすべてカットされ、小山田の発言のみを恣意的に切り貼りして作られている。つまり、構成者である平山雄一による脚色が強く働いているのだ。構成者しだいでどのような人物像でも作れるのである。
片岡大右がこの記事を読んで、小山田が障害者と「分け隔てなく」「かすかな畏怖を持って付き合っていた」と解釈したところで、それは平山雄一がそう読ませるように書いているだけである。
したがって片岡大右のこれは、読書感想文みたいなものである。
こべにや片岡大右は、私のブログを恣意的な切り貼りだと非難しておきながら、一方で、自説に都合の記事はたとえ切り貼りであってもこのように典拠として用いるのであるから、およそ論理というものを知らないのである。
『月刊カドカワ』は本来文芸誌だったが、見城徹が編集長になった1986頃から人気タレントに書かせた稚拙な小説やエッセイを掲載するようになり、芸能雑誌と揶揄されてもいた。しょせん、その程度の読み物である。
片岡大右はこんな読み物を典拠とし、いつも鼻を垂らしていたKこと沢田君が、小山田が買い与えたひも付きの箱ティッシュを首から下げていたというエピソードを引用し、ことさら美しい友情の証として喧伝するのだ。
同じ場面が「村上清のいじめ紀行」では、小山田圭吾によってどのように語られているか、確認しておこう。
これがいかに思い上がった差別的な認識であるか、テリー伊藤の謝罪文を通して考えてみよう。
「ヒッピーはヤッピーになれるか」を考える会
テリー伊藤は企画趣旨を次のように説明している。
「異質な違う存在」として避けるのではなく、「互いに親しく交わり親しく笑い合う者同士」として交流していた、だから差別ではない。これは片岡大右に限らず、北尾修一、赤田祐一、村上清らが小山田圭吾を擁護するのに使ったおなじみのロジックである。
しかし、それこそが差別だと糾弾されたのだ。再びテリー伊藤の謝罪文から引用しよう。
小山田圭吾を擁護する者たちの人権意識を見ると、この謝罪文が交わされた1993年以前に逆戻りしてしまったかのようだ。いったい彼らはこの三十年で何を学んだのか。
謝罪文の最後の一文を、嚙み締めてもらいたい。
これは余談であるが、この企画の後、テリー伊藤は再び根本敬をゲストに招き、浅草の路上で「親爺ファッションショー」を行うも、テレビ放映はされずお蔵入りとなった。(根本敬『人生解毒波止場』洋泉社より)
岩波書店はいつからヘイト出版社になったのか
長々と書いてしまったが、この程度のことは出版関係者なら知っていて当たり前である。それにもかかわらず、「知恵遅れ」は差別用語ではないと強弁する無知と偏見にまみれた論文を掲載する岩波書店の見識を疑う。
「朝日・岩波文化人」の知的レベルも落ちたものである。片岡大右が無知なのはしょうがないが、編集者が輪をかけて無知だというのでは、話にならない。
岩波書店は、『人権読本』『人権は国境を越えて』『ヘイト・スピーチとは何か』という本を出している。その出版社が、差別主義者の小山田圭吾を擁護する論文を掲載するとは、企業理念に泥を塗る行為である。
かつて白土三平の『忍者武芸帳』を出していた青林堂が今ではヘイト出版社に成り果てたように、岩波書店のこれも時代の流れだろうか。
差別主義者を教育現場に出してはいけない
「差別主義者」などのツイートで名誉を傷つけられたとして、竹田恒泰氏が、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏を訴えていた裁判が結審し、最高裁判所は上告を棄却した。これで、竹田氏の敗訴が確定となった。
争点となったのは、山崎氏が竹田氏を指して、「この人物が教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者だとすぐわかる」などとツイートしたことである。
一審の東京地裁も、二審の東京高裁も、これを含む5つのツイートすべてが「公正な論評である」として、違法性を認めず、請求を棄却していた。そして最高裁判所の裁判官も、「差別主義者」というツイートは公正な論評であるとの判断を示したのだ。
差別主義者を教育現場に出してはいけない。当然のことである。
小山田圭吾を擁護する者らは、「村上清のいじめ紀行」における障碍者への蔑視を軽く見て、小山田はいじめの実行犯ではないから冤罪だとまで言う。問題のすり替えである。こうした考えを絶対に許してはならない。
犯罪であれば、裁かれれば終わる。時効にもかかる。
しかし犯罪の元となった思想は裁かれることなく、時空を超えて生き残る。それがまた別の時代に別の場所で、偏見と犯罪を生む。だからこそ徹底的に叩き潰しておかなければならない。
小山田圭吾を擁護するばかりか、ツイッターでしつこく何カ月にもわたり私を誹謗中傷してきた片岡大右は、東京大学と早稲田大学の非常勤講師である。
同じく、小山田圭吾を擁護し、私のブログを名指しでデマだとツイートした高村夏輝は埼玉県立大学・准教授である。同じく、小山田圭吾はいじめをしていないと強弁する大月英明は南山大学の講師である。
差別主義者を教育現場に出してはいけない。
学生たちをヘイトから守らなければならない。
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