片岡大右物語(1)ほぼ無名の仏文学者
大いなる野望
片岡大右。
その名前を聞いてもほとんどの人は知らない。筆者も知らない。
なにしろ朝日新聞論説委員の藤生京子にさえ「74年生まれ、ほぼ無名の仏文学者」と書かれる始末だ。(「(社説余滴)いま加藤周一を読み直す」朝日新聞DIGITAL 2019年12月22日)
だが当人は、よほどうれしかったのだろう、「感謝に堪えません」という謝辞と共に、記事へのリンクを今もTwitterに固定表示している。
裏を返せば、それくらいしか誇ることがない人生である。
決して馬鹿ではない。
東大と、DEA(パリ8大学)を出て、博士号まで取得している。
2021年7月14日。
小山田圭吾をめぐって騒動が起きた。
片岡大右は、これに目を付けた。
(名前を売るチャンスだ!)
仏文学者としては、どん詰まりである。ボルタンスキーやベニシューを誰が知っているというのか。もっと大衆にウケるものを。
他の研究者から笑われるのを承知で、『ゲーム・オブ・スローンズ』や『鬼滅の刃』まで論じた。だが、話題にもならない。こんなはずじゃなかった。もはや、世間体など気にしていられないのだ。
(有名になりたい!)
それは魂の叫びだった。
2021年7月24日、フォロワーが80人増えたと喜ぶ
片岡大右がTwitterを始めたのは、2019年10月である。9月に加藤周一のシンポジウムで発表し、前述の朝日新聞論説委員から取材を受けた。記事になると聞いて、喜び勇んでTwitterを始めたのだ。
(これでやっとオレも、千葉雅也みたいになれる)
しかし、その思いは粉々に砕け散った。
炎上商法。
片岡大右は、禁断の果実に手を出した。
それまで小山田圭吾になど興味がなかったが、騒動を知って「クイック・ジャパン」を入手した。
「孤立無援のブログ」の人気が、ねたましかった。
北尾修一のブログを読んで、オレも小山田圭吾を擁護してやろうと思った。
中卒の外山恒一にさえリプを送って、媚を売った。
Twitterで「孤立無援のブログ」の誹謗中傷を始めると、アクセスが増えた。「いいね」をしてくれる仲間も現れた。
子育てブロガー、給与計算2級、スノッブな豚、95歳の老人、そんな低スペックの雑魚ばかりだったが、ちやほやされて舞い上がった。
「ほぼ無名の仏文学者」が天下の岩波書店で連載
渡辺淳一の『失楽園』が日本経済新聞で連載されたことにより、日本経済の潰滅が決定的になった、と福田和也は『作家の値打ち』(飛鳥新社)で書いた。
片岡大右の珍妙な作文が、岩波書店編集部のサイトで連載されたことにより、なにかが潰滅するのではないか、と筆者は危惧している。
予兆というべきか、岩波ホールの閉館が決まった。
(片岡大右が小山田圭吾と出会いさえしなければ……)
岩波書店に、やがて怨嗟の声が満ちるだろう。
片岡大右の珍妙な作文こそ「誤情報を多く含む『インフォデミック』」である
この珍妙な作文には、岩波書店編集部による御大層な前書きがついている。
この文章が、すでにメチャクチャである。
「インフォデミック」というのは、噂やデマを含んだ大量の情報がネットで急速に拡散し、現実社会に影響を及ぼす現象のことである。WHOが新型コロナに関するフェイクニュースの拡散を「インフォデミック」と呼んだことで広まった。
小山田圭吾の騒動は、新型コロナという「パンデミック」(感染症の世界的な流行)とは何の関係もない。
したがってこの問題は、新型コロナに関するフェイクニュースの拡散とも異なる。一方は世界規模で多くの人命にかかわる問題であるが、一方はたかが日本の芸能人のゴシップに過ぎない。
「批評家の片岡大右さんが詳細に分析してくださいました」というのも、笑止である。
批評家の仕事というのは、本を読んで論評することである。社会現象の分析もできるかもしれないが、それにはもっとふさわしい人がいる。「批評家の片岡大右さん」は、社会学者の本を翻訳しているだけで、社会学者ではない。
そもそも「ほぼ無名の仏文学者」なのだから、批評家としても三流である。
そのことは参考文献をチェックすれば一目瞭然である。
文献調査も史料批判もまともにできない。これまでいったい何を学んできたのか。
片岡大右の「想像力」を嗤う
片岡大右の珍妙な作文は、フランスの社会学者リュック・ボルタンスキーの引用で始まる。
だが、当然のことながらボルタンスキーが小山田圭吾の騒動を調査して何かを言ったわけではない。それは「国際報道や国際人道支援運動の功罪」について論じた言葉なのだが、いったい小山田圭吾と何の関係があるのか。
それでも、ボルタンスキーの言葉に何かの教訓があるとするなら、それはおよそどんな現象にも当てはまるマジック・ワードに過ぎない。
続いて引用されている「フランス革命期の恐怖政治」を論じたハンナ・アーレントの言葉も同じである。
「国際報道や国際人道支援運動の功罪」であろうが、「フランス革命期の恐怖政治」であろうが、なんでも小山田圭吾に結び付けられるのであれば、およそ誰のどんな言葉でもいい。
リュックもハンナも、きっと苦笑していることだろう。
社会現象を分析するとは、このような憶測を積み重ねる作業ではない。
岩波書店も、落ちたものである。
2004年の小山田圭吾は被害者か?
ボルタンスキーについて語りながら、片岡大右は唐突に、「2004年のコーネリアスファンサイトの掲示板」の画像を挿入する。それは荒らし行為によって、「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」という文言で埋め尽くされている。
これは、こべにが検証サイトに掲載したものと同じ画像である。こべにによる杜撰な検証記事は、片岡大右との共同執筆であることは、すでに明らかになっている。
片岡大右はこの画像を挿入することによって、小山田圭吾の立場を加害者から被害者へと転換させようとする。「小山田圭吾はアンチからこんなひどい嫌がらせを受けていた」という印象操作である。
この掲示板はすでになく、ページの断片がウェブ魚拓として保存されている。片岡大右が用いたのは、その最も荒らされたページのスクリーンショットである。
だが、こべにの「小山田圭吾氏いじめ記事に関する検証 その2」によれば、荒らし行為を批判する次のような挑発的なコメントもあったとされる。この挑発的なコメントについては、5ちゃんねるや「はてな匿名ダイアリー」でも議論されており、これがアンチによる一方的な荒らし行為ではなかった可能性がある。
もちろんこの書き込みの信憑性には疑問符がつく。
だが、荒らされた掲示板の画像を証拠として掲載するのであれば、その背景にはこうした挑発的なコメントがあった可能性があるということをきちんと明示しなければならない。最低限守るべきルールである。
しかし片岡大右は、そうした都合の悪い情報を意図的に伏せて、ただ「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」という強烈な文言のみを切り取って掲載しているのだ。
平気でこのような悪辣な印象操作をする者に、ファクトチェックをする資格などない。
なぜ小山田圭吾は2004年に謝らなかったのか?
そもそも芸能人の掲示板やサイトが荒らされるのは、よくあることである。
この荒らし行為は、誰がどういう意図でやったのかわからないし、単独犯か、それとも集団によるものかも判然としない。小山田ファンによる「自演」さえ疑うことができる。小山田らしき人物のコメントも、本人なのか、ファンのなりすましによるものか、その真偽さえ不明だ。
つまり、2004年のファンサイトの魚拓などというものには、何の証拠能力もないのだ。
にもかかわらずこの画像を掲載する目的は、小山田を被害者にしたい印象操作、それだけである。
挑発コメントを発掘した人は、「小山田圭吾には2004年に謝ってほしかった」とも書いている。この最初の炎上の時に、小山田圭吾が誠実な対応をしていれば、騒ぎはそれ以上広がらなかったはずである。
「クソガキどもを糾弾するホームページ」も「小山田圭吾における人間の研究」も存在しなかったはずである。
だが、小山田圭吾は何の対策も講じなかった。これは明らかに失策であり、愚かだったのだ。弁明や謝罪する方法など、いくらでもあった。
例えば、1999年に『日蝕』で芥川賞を受賞した平野啓一郎は、同作に「ぱくり」という汚名を着せられた。
ネットにも書き込まれたが、当初は事実無根だからと無視していた。しかしネットの世界では、たとえデマであろうが訂正されない限りずっと残り続ける。したがって、積極的にネット空間に「言葉を発する」ことがいかに重要かということに気づき、公式ブログにおいてこの嫌疑を否定する記事を発信した。
次の記述は、じつに示唆に富んでいる。
したがって、オリ・パラ開会式の作曲担当に抜擢されるまで、この問題を放置し続けた小山田圭吾にこそ、第一の責任があるのだ。自業自得である。
これは余談だが、捏造ブログの作者などという事実無根の誹謗中傷やデマに対して、私が反論の言葉を発し続けるのも、このためである。自分の「名誉」は、自分で守らなければならない。
2004年の炎上時には、次のようにコメントしたファンさえいた。
だが、こべにも片岡大右もこれを無視する。私がいくら間違いを指摘しようと、岩波書店もDOMMUNEも週刊文春も訂正に応じない。こいつらこそがデマの発信源なのだ。
それは、この時に謝罪を拒否した小山田圭吾と同じ不誠実な態度である。
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(マタイ福音書)