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集団主義の日本と個人主義のデンマーク、子育ての違い

デンマークに移住して14年め。子育て歴13年。私たちが日本からデンマークに移住する時、私のお腹の中には息子がいた。今思えば新しい、言葉も知らない国での初めての出産は不安だらけだった。

その当時、主人にはデンマークと日本以外にもアメリカで働く選択肢があった。どの国で子育てをするのが一番いいのか。答えは簡単には出ず、とりあえず、第3国(この場合アメリカ)に住むと帰省しなければいけない国が2か所になってしまうという物理的な理由で、どちらかの家族が近くにいる国にしようという結論になった。どの国も一長一短。

There is no perfect place in the world…

このセリフをお互い良く口にしてい事を思い出す。

私たちはその時点ですでに3年一緒に日本で暮らしていたので、向こう3年デンマークで試してみようということでスタートした私のデンマーク子育てライフ。私には昔から、向こう見ずなところがあった。良く言えばチャレンジ精神旺盛。悪く言えば後先考えられず行動してしまうタイプ。

最初の5年は辛くて日本に帰りたいと何度も思った。嫌がる息子を日本の幼稚園に3日間、小学校1年生に3日間、体験入学させたりもしてみた。今思えば、自閉症の彼にとって、なんて過酷な体験を強いてしまったのかと悔やまれるばかりだが、当時の私は日本の幼稚園、小学校の制服を身に付けた息子がとても誇らしく可愛かった。

そして、私の父が嬉しそうに、息子を一緒に幼稚園まで迎えに行ってくれたその姿は、日本で子育てが出来なかった私の残念な気持ちと、両親に孫の成長を側で見せれない申し訳ない気持ちを少しだけ癒してくれたのだった。

日本の幼稚園でも、小学校でも、丁寧に校長室に通して頂き、たったの3日間デンマークから来ているだけの息子に、他の子どもたちと変わらぬ接し方をしてくださった。私は日本人の持つ優しさと細かい思いやりに溢れる教員の方々の姿にとても感動したのだった。その姿からは、紛れもなく、息子に少しでもいい経験をさせてあげようという心配りが隅々にまで感じられた。

日本の教育、子育ての環境は、あくまでも集団主義社会で成り立っている。いいか悪いかは別として、いわゆるグループカルチャーだ。これはあくまでも私の見解であるが、日本のような集団主義の国では、集団の中に子どもを育てる枠組みがある。もちろん、その集団主義のプレッシャーゆえに生きにくさを感じている子どもたちが大勢いることは否めないが、ここではその論点から離れて、事実だけを取り上げて行くこととする。

日本の子どもたちの日常は朝の挨拶や朝礼から始まり、みんなで決まった一緒の給食を食べ、そして給食のあとはみんなで自分達の教室を掃除する。

運動会ではみんなで共通のダンスを練習して親に披露し、音楽会でも合唱コンクールでも、集団での練習の成果を発表する。

そして、卒業式でさえ集団で式次第の練習があり、みんなで一緒に卒業できることを喜びとする。

子どもたちはそうやって、集団の中で規則やルールを学び、物事の良し悪しを身に付けていく。そこには、学校全体で子どもを育くんでいく意識があり、親はある程度の生活面での躾や道徳的な価値観は学校に委ねることも出来る。

一方デンマークは言わずも知れた個人主義社会である。学校教育の中に、決まりや枠組みというものが極端に少ない。それは、個々の子どもたちが、成長段階、性格、勉強のレベル、興味、家庭環境などそれぞれ違っていて、その子どもたちの違う個性があくまでも尊重されるからだ。

学校にはもちろん決められた制服やランドセルもないし、みんな一緒の給食もない。掃除に関して言えば、学校が雇っている清掃職員がしてくれることが当たり前で、自分達が汚している意識さえ少ない。

学校教育はUddannelse と呼ばれ、学問的な系統だった仕組みを意味する。その代表的なことの1つが中学三年生、高校三年生にあたる年の卒業時のテストだ。学校内で教えられた学問を終えていることの証明のテストとも言える。そのため、入学試験、いわゆる受験というものは存在しないのだ。

それでは、子供のモラル的な教育や、社会のルール、強いては食育や、道徳観念、協調性…それらはどこで身に付けていけばいいのだろうか。

個人主義であるこの国では、すべての子どもの教育の責任はそれぞれの家庭内にある。学校で教えてくれない大切なことは親が家の中でその発達段階に応じて教えていく必要があり、教師の役割は必要な勉強を教えることである。

話は少しそれるが、私は幼い頃から両親が共働きで、小学校に入った頃からいわゆる鍵っ子で育った。近くに祖父母や親戚が住むわけでもなく、学校から戻ると自分で適当に家にあるご飯を温めて食べていた記憶がある。日本の家庭ではそれほど特別ではない光景だと思うが、主人にその話しを初めてした時大変驚かれたのを覚えている。

(*ちなみに、デンマークでは10歳になるまで、子どもを1人で家に放置してはいけない法律がある。それでは、共働きの夫婦はどうしているのか。それは、多くの祖父母世代が孫世代の子育てに関わることで解決しているパターンが多くみられる。)

加えて私の母親は、愛情はある人だったが、子育てに関して言えば全くの放任主義。そして、今思えば彼女も典型的な発達障害のある女性だったのだろう、心が通い合うようなコミュニケーションもあまりなかった。もちろん、昭和の団塊世代の父親は、家で見かけることさえ少なかったし、子育ては母親の仕事と信じて疑っていなかったと思う。

そんな家庭環境で育った私には、両親から何か教わったという記憶も少なく、家庭内での子どもの教育やしつけというものが良くわからない。

なので、突然子どものしつけ全般は家庭内の役目だと言われても、何をしていいのかわからず、どうしてもそれがお腹におちず、どうして学校で教えてくれないのだろうか…と不満ばかりを募らせていた。

幸い主人の母親はフルタイムで働いていたにも関わらず子育てに情熱を持っているタイプだった。私が異国から来た嫁であるにも関わらず、いつも子育ての一番の味方でいてくれた。

私はここで、集団主義と個人主義のどちらの国の方が子育てにいい環境かということを論じるつもりはない。それぞれが一長一短であり、パーフェクトな国は存在しないのだ。

でも、自閉症の子どもを育てることになって、時々ふと考えずにはいられないことがある。もし息子が集団主義の中で育っていたなら、もう少し出来ることが増えていたのではないだろうか…と。

そんな時私はいつも自分に言い聞かせる。

今ここにある生活が、私という人格を磨いてくれるベストな環境なのだと。

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