小学2年生の頃の話
<文字数:約7500字 読了目安時間:約15分>
2年生になった
国語の教科書にはいろんな話が載っている。これを保護者の人、つまり母に朗読する「本読み」の宿題がいつも課せられる。教科書には、「おてがみ」というタイトルのカエル君の話が書かれていて、これを読まなければならない事が嫌で仕方なかった。一年生の頃からカエルが嫌いだと皆に知られているのに、どんな気持ちでカエル君の話を朗読すればいいのか。嫌いなカエルを自分で発音するのは気まずさに耐えられない。僕は「れんらくちょう」にも本読みの宿題がある事をわざと書かず、保護者の承認欄に、内緒で勝手にチェック印のマルを付けた。親に嘘をつくことの罪悪感は凄まじいものだった。だけど、それ以上にカエルが嫌いだというこれまでの自分と辻褄の合わない事ができなかった。今までの自分のイメージを維持できない事が耐えられなかった。
試行錯誤の精神
食べるものの組み合わせを色々試してみるのが面白かった。好きな調味料を好きな時にかける。美味しくなればそれでよい。かき氷のシロップを全部混ぜてみたり、ガムとポテトチップスを同時に食べてみたりした。牛乳とお茶を混ぜたり、クッキーにマヨネーズをつけたりした。もちろん、成功することも失敗することもあった。晩御飯に焼肉のタレをドバドバかけて食べると、
「せっかく作った料理に失礼じゃろー?」
と、母が不満そうに言った。焼肉のタレをかけるとおいしくなるのに、母の気持ちはよくわからなかった。
漢字ドリル
漢字ドリルの宿題を、先生は本当にチェックしているのだろうか?ずらずらとマス目に漢字を書くだけの宿題を、しかも生徒全員のを。先生だって多少はサボりたくなるのではないだろうか。試してみよう。わざと間違えた漢字をひとつだけ書いてみる事にした。「さんずい」を4本にしてみるとか、棒を一本だけ増やすとか、バレる・バレないのチキンレースのような実験をゲーム感覚でやってみよう。案外バレないものだという事がわかった。でも、バレた時の事を考えるとちょっと怖くなって、やめた。
飛び降りてみたい
学校の校舎、2階から砂場に飛び降りようとしてみた。下にある砂場は、地面からは1mくらいの高さがあって、大した高低差ではない。飛び降りる事をやってみたくなった。見た感じだと大した高さではなく、明らかに安全に見えるが、窓から身を乗り出すと、先生が物凄く怒る。先生に追従してクラスメイト達も僕の行動を止めようとした。大勢の圧力に僕は屈して、結局飛び降りる事ができなかった。この高さは絶対に安全だと思うのに。「常識」というやつなのだろうか。
女子から好きと言われる
僕の事を大好きという「オダさん」という女子がいた。男女の好き嫌いなんて実はよく意味が分からない。周囲から散々からかわれた。
「オダさんとお前、好き同士なんだろ?」
そんな噂が流れ始めた。自分は違う。よくわからないのに、そんなのと同じにされたくない。
オダさんは、「すきー」と言いながら僕を追って来た。逃げ続けるのだが、追いつかれると、僕の頭をヨシヨシと撫でてきた。なぜか苛々する。クラスのみんながこう言った。
「ヒューヒュー、お似合いじゃん~」
なにがだよ、と思った。仕返しに、ホウキでオダさんの頭を思いっきり叩いてやろうとすると、オダさんは僕から逃げ、女子トイレにまで逃げ込んだ。
「さすがに、ここまでは来れないでしょ~?」
と言うオダさんに僕はムカッとした。ルールが絶対だとでも思っているのか、と思った。入ってはいけないはずの女子トイレの中にあえて入って、個室の中に追い詰めた。猛烈に腹が立っていた。
「エス君!先生に言うよ!?」
オダさんをついに追い詰めて、ホウキを縦にして思いっきりぶっ叩こうとする素振りを見せた。
その時オダさんは泣いていた。僕は罪悪感を覚えて、その場から逃げ出した。
それ以来オダさんは僕に話しかけなくなり、周りも何も言わなくなった。
学校から帰った時の母
学校から帰ると、母はよく親身になって話を聴いてくれた。
「今日はどんなことがあった?」
毎日、学校での出来事を聴いてくれた。基本的にどんな話題にも返答してくれた。何を言っても許される唯一の存在、最も話しやすい相手。それが母だった。
ドラクエとファイファン
兄がずっとRPGゲームをプレイしている。それを後ろから見ているが、時々凄く怖いシーンがある。ドラクエ5の魔界のおどろおどろしい雰囲気のなか流れる奇妙な音楽が嫌で、恐怖からすぐにその場を離れるのだった。
また、FF5の「くらやみ」という状態異常でキャラクターの目が変になるのが嫌で、見たくないと思った。
わがまま
スイミングの帰りに、お菓子やアイスをねだった。買ってくれるまで、ここを動かないつもりだ。
「いくら駄々をこねても買わないからね。」
と母は言うが、ずっと待っていれば、観念してくれるに違いない。そう思って粘り強くずっと待っていた。
「アンタはわがまますぎる!」
そういいながら、結局アイスを買ってくれた。家に帰る車のなかでアイスを食べた。
厳しくいくよ
自分のやることなすことに問題があるらしく、本当によく怒られる。学校では先生に怒られ、家では父に怒られる。
母はいつも優しかったのだが、その母もついにこう言った。
「今日から厳しくいく事にする。場合によってはもうフルーツキャロットも買ってあげない。」
フルーツキャロットとは、その名の通りの人参と果物のジュースである。いつも好きで毎日飲んでいた。それも禁止されるかもしれない。唯一優しかった母が鬼のようになってしまったら、もう心の拠り所が無い。(もうおしまいだ…)と思った。
妹が産まれる
以前から母のお腹が膨らんでいたのは分かっていた。
ある日学校から帰ってきたら、寝室に知らない生き物がいることに驚いた。いわゆる赤ちゃんだ。驚いて、母にその感想を報告した。
「なんかいる…」
母は嬉しそうに笑っていた。
妹の成長
妹がハイハイを始め言葉を覚える頃から、妹と触れ合う事が急速に楽しくなってきた。不思議な事に、妹の頭に手のひらを乗せると、なぜかヘナヘナと自分のエネルギーが無くなって、自然と笑ってしまう。妹が笑うと嬉しいし、泣くと嫌だなと感じる。妹とのふれあいは楽しくて仕方がなかった。
スイミング
水泳教室で泳ぎが上達してきて、賞を貰うようになった。学校と同じで、そこまで強いモチベーションがあるわけでないが、それなりに嬉しかった。
書道
もっと技能を身につければ、将来のためになる。習い事として、硬筆・毛筆の教室に行くことになった。家から歩いていける距離にあって、墨汁の香りの漂う和室の教室だ。おばちゃん先生のお手本に従って綺麗な字の練習をする。
言われたら本当にやる
殴れと言われたら殴るし、川に飛び込めと言われたら飛び込む。そんな僕に突然突き付けられた難題があった。
「やれるもんならやってみろ。その高さから飛び降りて、頭から地面に着地してみろ。やれるもんならな。」
そう言われたら、
「やってやるよ!お前が言ったんだからな。どうなっても知らんぞ!」
実際に頭から飛び込み、その結果、頭を打ち、首の骨を痛めた。
「冗談が通じないヤツだなあ」
と言われたが、冗談だとわかっていてやった事だ。どうせできないだろう、という相手の思い込みを破壊してやりたい。
「言ったな!もうどうなっても知らんぞ!」
そんな気持ちだ。
トランプタワー
親戚の家に行ったとき、こっそりとみんなのいない場所でトランプタワー作ってみた。それも7段もの高さのものを。僕の能力で、普通の人にはできない事をやったのだ。誰かが見たら驚くだろうなとワクワクして待っていた。親戚一同はみんな、トランプタワーを見て驚いていたようだ。みんなが驚いている様子を直接見る事が出来なかったが、おばあちゃんがニコニコして、
「ほんっとに器用じゃなあ。凄いよ。」
と、僕をずっと褒めてくれた。
算数の疑問
学校の算数で九九を習った。覚える事は得意ではなかったが、九九を学べるおもちゃを触って、少しずつ覚えていった。
しかし疑問が生まれる。
「なんで掛け算って3×4と4×3みたいに左右を入れ替えても答えが同じなんだろう?」
「6×2よりも5×3、5×3よりも4×4の方がデカい数字になるのは何故だろう?」
大人に聞いても「そういうものだから」としか言われない。自分の脳みそで納得できるまで考え抜いた。
つまり長方形の面積をイメージすると理解できる。真四角に近いクッキーと細長い長方形のクッキー、どちらが食べ応えがあるだろうか。答えは真四角のクッキーだ。細長すぎると消滅してしまうだろう。
ノストラダムス
兄が言うには、1999年7の月に恐怖の大王が降ってきて人類は滅亡するという。絶望的な未来を突きつけられた僕は、悲しみに暮れた。あと数年で人類は絶滅するのに、なんで頑張らないといけないのだろう。空虚な気持ちになる。その衝撃的な情報を学校の人、つまりクラスの同級生に教えたら、
「今更知ったの~?遅れてるぅ~」
と、冷ややかな反応だった。あまりにも心外だったので僕は怒って、
「そんな言い方したら嫌われるぞ!」
と相手を刺すように言葉をぶつけた。
「ごめん」
と返された。言い過ぎてしまったと思った。謝らせてしまった事に罪悪感を覚え、攻撃的な言葉を使うのはもう辞めようと思った。
自分は自分だ
学校の渡り廊下をひとり歩いていると、いつもより太陽の光が眩しく感じた。どうしてこんなに眩しく感じるんだろう。これを感じているのは何故だろう。そのとき、なぜか突然こう思った。
「自分って何?」
一瞬そう思ったことにより、扉が開いたように疑問の洪水に襲われた。自分が観ているこの眩しい世界は、エスの眼球から入ってくる映像でしかない。不思議だ。なぜ、自分はエスであり、他の誰でもないのだろう。その理由がどうやっても説明できない。世界の中の自分にとって、自分は自分、つまりエスの肉体にしか宿っていない。無数に他人はいるけれど、自分は他人にはなれないし、他人は自分にはなれない。自分は自分だ。世界を体験するのは自分だ。
他の同級生は、こんなことを考えた事はあるのだろうか?僕は偶然にも自分が自分であることに気が付けたけど、そうじゃない子は沢山いるはずだ。その夜は、いつものように風呂に入って寝た。朝になってみると、昨日の気づきの事などすっかり気にならなくなって、元通りの日常を過ごした。
やる気がないなら帰れの話
スイミングスクールでの出来事。他の生徒らが真面目に練習せず遊んでいた。いつも穏やかな水泳のコーチがカンカンになった。
「やる気がないなら帰れ!」
僕はそれを聞いて、非常に腹が立った。そんな子供騙しの文言で子供が従順になると思われているのか?そんな言い方で子供たちをコントロールしようとしているのか?へそで茶を沸かすようだ。じゃあ先生に言われたから、その通りにすればいいんだろう?後悔するなよ!お前のやり方は絶対に間違っている。それを示してやる。見てやがれ!今すぐ着替えてスタコラサッサと帰ってやる。僕はそう思った。コーチのやる気がないなら帰れという一言が、僕にとってはそれほど腹の立つ言葉だった。僕の決意は絶対だ。誰かが静止しに来るかもしれない。引き戻されたら台無しだ。物凄い早さで着替えて、ダッシュして、誰にも止められない勢いで帰った。危険な事をしている自覚があった。大人に逆らっているのはわかっている。いつもならバスで移動するはずの帰路を徒歩で移動した。家に帰ったら、母が定刻よりも早く帰った僕を不審に思ったらしい。
父がソファに横になり、新しく買った大型テレビで大河ドラマを観ていた。
「リモコンを寄越せ。」
僕は父にテレビのリモコンを手渡した。父はリモコンをテレビに向けた。テレビの画面はフッと真っ暗になった。父は体を起こしながら溜息をついた。父はこちらを真っすぐ見た後、冷蔵庫からお気に入りの菓子「アイスボックス」を取り出して言った。
「なんでそんなことをした?」
僕はこう答えた。
「帰れって言われたから。」
しばらくすると、「奥の間」という部屋に呼ばれた。寝室の隣の畳の部屋で、仏壇のある部屋だ。父の説教の内容は次のような感じだ。
「ごめんなさいが言えないのか?練習を続けさせてくださいというべきだろう?そんなことがわからないのか?黙り続けてもなんにも変わらんだろ。わかるまで正座しろ。」
僕は黙って正座した。なんら、納得がいかない。
父は僕に対する教育を熱心にする気だったようだ。3時間の正座を命じられた。父は時々離席し、僕はただ一人になった。僕は正座を続け、考え続けた。父は20分ごとに僕のいる奥の部屋に戻ってきて、
「わかったか?」
と確認に来るが、
「わからん」
と答えると、
「わかるまで正座しとけ」
と言われた。その繰り返しだ。
こんなのは明らかに馬鹿みたいな時間だと思った。この時間は何のためにあるんだろう?もし、「わからん」ではなく、「やっとお父さんの言う事がわかった」とでも言ってみたらあっさり開放されるのだろうか。僕はそれでも正座し続けた。3時間が経過した。父がやってきて、
「もういい。メシの時間だ。」
と言った。僕は立ち上がり、父と食卓に移動し、無言で晩御飯を食べた。食べながら父は僕になにか嫌な事を言ってきたが、内容に興味を持ちたく無かった。母の料理の味もわからなかった。
風呂掃除
「風呂掃除」の仕事は毎日僕がやることになっている。洗剤の「マジックリン」を浴槽の全体に3~6回シュッシュして、取っ手のついたブラシで浴槽の全面をひととおりガシガシと擦ることで洗剤を浴槽の全体にゆきわたらせ、すこしだけ間をおいてシャワーで洗い流す。浴槽に洗剤が残っていない事を確認し、浴槽の排水口に栓をして、巻くタイプの水色のフタをガラガラと閉じ、適温の湯が出るように蛇口を捻る。41度ほどのお湯を流すためには温度調節が必要だ。蛇口には赤と青の二種類がある。赤い蛇口を捻ると最初は水が出るが、しばらくしてボイラーが「ボォー」と音を鳴らす。しばらくして急激に温度が上がっていき熱湯が流れ出す。青い蛇口はいつものように冷えた水を出すだけだ。この赤い蛇口と青い蛇口の回転の角度によって、温度が決まる。適温だと思ったら、風呂場を出て、冷蔵庫にマグネットで貼られたタイマーを15分にセットし、スタートボタンを押す。ここまでがミッションだ。タイマーがアラームを鳴らせば、それを聞いた誰かが蛇口を閉めに風呂場に行くことになっている。毎日それをやるのが当たり前になっている。
食べてはいけないスイカの皮を食べる
夏、セミが鳴いて、スイカが出てくる。スイカの赤い部分は美味しい。でも種が邪魔で、食べにくい。塩をかけるともっと美味しくなると聞いた事があるが、塩をかける事には父も母もあまりいい顔をしない。漫画「おぼっちゃまくん」のワンシーンで、貧乏のあまりスイカの皮や種を食べるシーンがあった。しかし、父や母はスイカの食べ方として、赤い実の部分を食べるもので皮や種は食べるものではないと言った。しかし実際に食べてみれば、スイカの皮も案外食べられるものだった。「おいおい、皮まで食べるなよ!大丈夫か?」と心配された。
田舎に向かう
家族全員を乗せた車を、父が運転する。これから、父の田舎に行って、その次は母の田舎に行くらしい。後部座席に乗って、3時間半くらいの時がずっと車の中で過ごされる。暇だからゲームボーイをしてみたり、窓の外の光景にあれこれ言ってみたりするのだが、少し車酔いをしながらも、やがて寝てしまうのだ。心地よく、うつらうつら、こっくりこっくりして、時々目を開いてみると、窓から夕暮れの風景が見えて、キラキラとした街灯の光が流れてくる。目が醒めるのは、「着いたでー、起きてよー。」という母の声だった。なにがなんだかわからないが、気が付いたら田舎に到着している。それがいつものパターンだ。
墓参り
田舎に行くと必ず墓参りという行事がある。ご先祖様のお墓に祈る所作をする。大人達がそうする。山にのぼって、木々に囲まれ、お墓に手を合わせる。
熱湯浴びせ事件
ある日、僕と兄は一緒に田舎の風呂に入った。その時、兄がニヤニヤしながら突然あつ~いシャワーを浴びせてきた。兄は赤い方の蛇口を思いっきり開けた。ボイラーによって風呂の水が急激に熱くなる事を知らなかったらしい。というより、いつも住んでいる家のボイラーよりも田舎の家のボイラーの方が高温になる仕組みだった。シャワーヘッドを僕に向けて、容赦なく熱湯を浴びせた兄は笑っていた。僕は絶叫し、全身の皮膚が焼ける苦痛に「ギャーーー!」と言いながら、風呂場から逃げ出した。兄は弟が本気で苦しむ様子に少し違和感を覚えた。45~60度くらいだと思っていたが、実際には60~90度くらいの高温の湯を浴びせたのだった。火傷を負った弟に、兄は何も言わずとも、悪い事をしたという気持ちが伝わってきた。
仏様のごはん
「仏様のごはん」は、奥の間にある仏壇に行き、ご先祖様のために供えられた少しの米の入った特別な器を回収し、新しい米を母に入れてもらって、器をまた奥の間の仏壇に供える。その際、緑色の細長い線香を手に取り、それを二つに折り、マッチで先端に火をつけ、灰の入った壺に挿し込む。おりんというお椀型の仏具に棒を叩いてチーンと鳴らし、手を合わせて、音の消えるまで、しばらく目を閉じて拝む。そういうことになっている。何故?といっても仕方がない。仏様を尊重するためにこういう動作をとることになっているからだ。
神様のごはん
仏様にご飯を供えるだけではなく、神様にもご飯を供える。神棚は部屋の高いところにあるから今までは母がお供えしていた。子供の自分の身長では届かないから、椅子を使って神様にご飯を供えた。
バレンタインとホワイトデー
幼少期の頃から友達のAちゃんからはいつもチョコを貰っていた。ホワイトデーにはお返しをしなくてはならない。しかし、お返しが本当に苦手だった。お返しをすることに抵抗があってできない。自分から誰かにプレゼントすることも難しい。気まずい気がして、何故かそういう事ができない。なんでだろう?「君がそんな事をするなんて珍しい!」なんて言われたくない。とにかく自分から誰かを誘ったりプレゼントを送ったりする事が無い。それが何故だかわからない…
進級
人間関係で自分自身に戸惑いを覚えはじめる。そんな経験をしながら、いつの間にかエスは3年生になった。
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