小学3年生の頃の話

<文字数:約5000字 読了目安時間:約10分>

新たな科目
 3年生になると、「生活」という科目が無くなり、「理科」と「社会」という科目が増えた。ただ、兄が既に通った科目だと思うと、新鮮な道を通っているというより出来上がった道をなぞっているような気持ちになる。

道徳の授業
 道徳の授業では教科書を朗読して内容について考える。しかし、国語の授業となんらやっている事は変わらないように感じる。なにがどう違うのか?道徳の授業には明確な正解が無いらしく、「考えてみましょう」とだけ言われる。

音楽
 頭の中でオリジナル音楽がずっと鳴っている。任天堂のゲームで流れていそうなオリジナルの音楽が、無限に頭の中で産まれてくる。高音・低音・リズム 全部が鮮明に頭の中で鳴っている。鼻歌で歌う事はできるけど、これを表現する方法はないだろうか?頭の中で流れる音楽を録音する方法があればいいのに。テレッテレテテレレレレテテレレテエレ…

セレマCM
 母と一緒にテレビを観ていた。「冠婚葬祭セレマ」のCMがテレビで流れている。白い衣を着た天使たちが遊んでいる様子。
「あの天使、パンツ見えてる!」
僕がなんとなく言った。いろんなアニメ・漫画から、パンツが見えると恥ずかしい事だというのは常識的に分かっている。それを受けて母が言った。
「え~。そうやって、好きなんだから。パンツ好きなんでしょ?」
母は僕をからかった。だが、別にパンツが好きなんてことは全く無かった。誤解が生じたらしいことに困惑した。
 それ以来、母は「セレマ」のCMが流れるたびに、食卓で毎回こんな風に言うようになった。
「エスはこのCMを見て、パンツが見えてる!って、嬉しそうに言ったんよ。」
「ちがうし!」と否定する。それなのに、
「えー、そんなこと言って。」
このように、恥ずかしがっていると認識されてしまうのだ。
母のねちっこい反応に嫌な気持ちになった。セレマのCMは、テレビで日常的に何十回も流れ、それを観た母は何度も何度も僕をからかった。そのうち徐々に飽きて、僕は何も言わなくなった。それに呼応するように母も何も言わなくなった。

パクリ
 友達のサッサンが物凄く面白い事を言って、爆笑してしまった。あまりにも面白いので、サッサンのネタを広めようと思った。真似をして、他の友達に披露してみた。多少ウケていたのだが、そばで見ていたサッサンが怒って僕に叫んだ。
「パクんな!俺のネタだろ!」
「え?」
怒るサッサンの様子から、その時「パクる」という言葉の意味を初めて知った。人のマネをすると嫌な気持ちにさせる事がある事を知った。

やってみろ
 兄と遊んでいた。布団を収納する押し入れの二段目、少し高いところから畳みに敷かれた布団に飛び込む遊びをしていた。兄が「頭から飛び込んでみ。やれるもんならな。」と言った。今までの経験から、そんなことをするのは明らかに危険だ。しかし、やれるものならやってみろと言われたら本当にやらなきゃ気が済まなくなってしまう主義だ。僕は実際に頭から突っ込んでみた。床の布団に頭が激突した。首が捻じ曲がったような痛みに悶絶した。自分でやった事だが。苦しみのたうち回る僕を見て、兄は言った。
「本当にやるとはな…」

山登り
 家族で「大山」という山に登った。地域ではかなり高い山だという。いざ登ると、父や母を置き去りにして体力のあるままに登っていった。上へ上へと登っていき青々とした自然が繰り広げられるも、一気に頑張って登り過ぎてスタミナが全然無くなった。瞬間的な運動能力はあるのに、持久力は全然無い。疲れてしまって岩場に寝転がった。息をするだけで精一杯だ。もう一歩も歩けないと思った。しばらく時間が経つと、家族が僕のところまでやっとたどり着いた。それまでの時間で休息した僕は再び元気を取り戻し、上へ走り出した。とにかく親よりも早く上へ上へと行きたいと思った。

ジャンプ力
 学校にはいろんな地形がある。隙あらばジャンプ力の訓練をしていた。天井に手が届くかどうかのチャレンジ、壁キック、高所からの飛び降り。マリオのような動きができれば楽しいだろう。このように飛んだり跳ねたりする癖があり、周囲からは変な奴だと思われていたのだが、全く気にしなかった。学校の廊下には、壁にデコボコがある。僕はそれを利用してマリオのように壁キックをやりたいと思った。地面からジャンプするだけだと、少ししか飛べない。壁を利用すると、より高く飛べるのではないか。僕のジャンプ力は着実に上がっていき、脚の筋肉が少しずつ発達しつつあった。

シャボン玉を割られた事件
 休み時間に廊下の水道で、僕は一人でシャボン玉を作って遊んでいた。石鹸と水のバランス、息の吹きかけ方。様々な因子によってシャボン玉の大きさは変わる。奇跡的に、今までで一番デカいシャボン玉ができた。まさかこんなに大きなシャボン玉が作れるとは思ってもみなかった。僕は圧倒的に巨大なシャボン玉をうっとりしながら眺めていた。いたずら好きのクラスメイトが現われ、「ッオーイ!」と、ご機嫌な様子で、シャボン玉を手で破壊した。僕はヤカンが沸騰するようにブチ切れた。
 頑張って作ったものをこうして破壊されると、ブチ切れてしまう。僕は我を忘れて、そのクラスメイトに本気で蹴りを入れてしまった。クラスメイトはうずくまり、泣いていた。そういえば僕は蹴る力がやたら強いのだった。我に返った僕はうろたえた。こんな時、ホイミやケアルが使えるわけでもない。どうすることができるのだろう。

暴力をやめよう
 怒り狂って暴力をふるうなんて、そんな野蛮な事はもうやめにしようと心から思った。イラッとすることもあるだろう。そんな時にも絶対にこらえて、我慢をするのが平和の道だ。僕はこれからは、絶対に優しい人間になろう。感情にまかせて暴力をふるうのは、野蛮な人間だ。感情にまかせて悪口を言うのも野蛮な人間だ。絶対に自分はそんな風にならないようにしよう。嫌な事があっても我慢をする。暴力や悪口を言わない。それが人格者なのだ。そう心に誓った。

レーズンパン事件
 パン作りの授業。生地をこねて、好きなトッピングを入れて、焼く。レーズンは嫌いなので絶対に入れない。自分の好きなトッピングだけ入れた、芸術的な至高のパンを作るのだ。僕も、クラスのみんなも、パンが焼ける事を楽しみにしていた。焼き終わって、みんなが自分の作ったパンを手に取る。しかし、僕の作ったパンは見当たらない。どこにもない。
「これがエス君のパンだよ」
と言われたものは、確かにパンだが、こんな形じゃなかったはずだ。違う生徒の作ったパンだ。周囲のみんなが、
「エス君のパンこれでしょ」
と言う。僕以外の全員がそう言っている。僕は自分を疑い始めた。
(自分が間違っているのか?)
そう思って、半信半疑でそのパンをかじってみた。中から嫌いなレーズンが出てきた。不快感からオエッと吐き出した。僕のではなく、さとう君のパンだったのだ。つくづく、みんなのいう事など信じられない。集団の意見など、みんなが流されて正しいっぽい雰囲気を作り上げて言ってるに過ぎない。みんな周囲に流されて意見しているんだ。

一人称を使いたくない
 エスはこんな事を考えていた。自分の事を「エスくん」と呼び続けるのは子供っぽい。だから一人称を変えよう。「俺」は野性的なアピールが強いし、「僕」は良い子アピールが強い。その中間の自分の呼び方って無いのか?なんの味付けもされていない呼び方がいい。ならばいっそ「ワシ」がいいかもしれない。自分の事はワシと呼びたい。自分の事を「ワシ」と言う事にしよう。
漫画雑誌
 ジャンプ・マガジン・ガンガン等の漫画雑誌を読んでいた。父や兄が好んで読むからだ。絵柄で大まかな判断ができる。劇画調の漫画や少女漫画調の漫画は、読んでいて面白いと思った事が無い。僕が面白いと感じるのはギャグ漫画のような太めの線で描かれた漫画であることが多かった。
 そしてある日、コロコロコミックを買ってもらうようになった。ふざけた漫画ばかり掲載されていて、心地よい。ふざけていないものを見るのは退屈だ。

ドラゴンボールについて
 ストーリー漫画は「ドラゴンボール」が圧倒的にトップクラスで例外的に面白いと感じた。それ以外はほとんど積極的に読みたいと思えない。ドラゴンボールという漫画を読むと、なんであんなに熱い気持ちになれるんだろう?ドラゴンボールという漫画とそれ以外の漫画では違い過ぎる。スルスルと読めて、スムーズに熱中でき、いつの間にかとんでもない所に連れていかれるような感覚になる。惜しいところまで行く作品は沢山あるが、ドラゴンボールは別格のように感じる。

漫画を描こう
 漫画を描こう。僕は今、なんとなく漫画を描きたい気持ちになったから描いてみようと思うのだ。そうして自由帳で漫画を描いていると、面白そうなものには人が集まってくる。そうしていると友達が増えていった。別にプロを目指そうというわけではない。そういうのは一部の天才が超努力して初めて成し遂げられる遠くハイレベルな世界の話だろう。そんなことは全く考えていない。

声がデカい
 声がでかいと何度も何度も指摘された。だから、声を制限しよう。マックスを100とすると、みんなと調和するには20くらいの声が丁度よさそう。小さい声でコミュニケーションをとろう。

自作のギャグ歌
 自作のギャグ歌を連呼していた。
「あ~なにそれ~なにそれ~ あ~なにそれ~なにそれ~」
という歌だった。大声で歌い続けていると母もうんざりしてきたようで、
「もう、うるさいよ!」
と注意してきた。それでも僕はその歌が変なツボにハマっていて、歌うのが気持ち良くなって、逆にもっと大声で歌ってみた。
「静かにしろ!それ、全然面白くねえから!」
痺れを切らした父は怒鳴った。楽しい気持ちは一瞬にしてゼロになって、それ以上なにも言えなかった。普段から面白い事をを純粋に追求している自分にとって、「面白くない」と言われる事はかなりの恐怖だった。「面白くない」と言われると、生きる意味や人格を否定されたみたいな絶望感を感じるのだった。

不条理な自作ギャグ小説
 国語の授業の一環で、各々で創作小説を書くことになった。本当にどんな物語を書いてもいいらしい。読書感想文のように良い子のフリをしなくてもいい。自分の感性を爆発させるチャンスだ。最近ハマっている漫画「すごいよ!マサルさん」みたいに、めちゃくちゃで不条理な会話をどんどん盛り込もう。僕はノリノリで自分が面白いと思うものを書いた。同級生達に見せてみると、僕の書いた創作小説に爆笑していた。創作活動は楽しい。
 家に帰ってゲームをしている時の事だった。いつも父と母は僕のランドセルの中をチェックするのだが、今日はその中からあのオリジナル爆笑創作小説の原稿用紙が発見されてしまった。父と母はそれを読んでいるらしい。母は特になにも感想を言わなかったが、父が突然何かを言い始めた。
「んならこれ、くだらん。なに書いてるんか分からん。全ッ然、面白くねえがなこんなもん。なあこれ、面白くねえんじゃけど。」
父が僕に聞こえるように言った。一瞬にして頭が真っ白になって、ゾワゾワと神経が凍り付くような不快感を覚えた。自分が追求してきた面白さが全部否定された形になる。自分が本当に楽しいと思えるようなものは、父にだけは二度と見せたくないと思った。

噴水ジャンプ中に
 いつものように、校舎の裏の噴水でジャンプして遊んでいると、突然クラスメイトの女子から聞かれた。
「ねえ、好きな人いる?」
「そんなん、いない」
「珍しいね。一人くらいいるもんだと思うんだけど。」
その女子は去っていった。明確に好きな人なんて考えた事が無い。あえて見た目のいい人なら選べるのだけど。

サンタさん
 クリスマスイブは妙にワクワクする。食卓の脇にクリスマスツリーを飾って、ピカピカ光らせる。特別な日を盛り上げるために、部屋を飾り立てるのが楽しいし、飾られた部屋を見るとワクワクする。
 なによりも、明日にはサンタさんがプレゼントをくれる。好きなゲームソフトを。その正体はもしかしたらお母さんかお父さんなのかもしれないが、そんなことはどっちでもよくて、このクリスマスというイベントが楽しいのだ。

次は4年生
 あっという間に3年生が終わった。
小4年 https://note.com/denkaisitwo/n/n7609898cdb00



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