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夢はないけど欲はある

私には「夢」がない。
ここで言う「夢」とは将来○○になりたい、という将来に生業としてやりたいことがあるかどうかだ。

私は滋賀の田舎の小さな町で生まれ育ったので、将来芸能人になって大金持ちになる!みたいな大口をたたく人は周りにおらず、将来はどこかの会社で働いて、20代で結婚して仕事を辞めて、子供を産んで、子育て落ち着いたらパートで仕事して老後を迎えると思っていた。今思うと田舎特有の刺激がなくて平凡な子供時代を過ごしていたと思う。(決して田舎を否定しているわけではない。)
保育園で将来の夢を発表する時はクリーニング屋さんになりたいと答えていた。なぜクリーニング屋さんという子供にしては渋い夢だったのかというと、当時わかったさんのおかしシリーズの本が好きで、わかったさんがクリーニング屋さんだったから、という理由だ。
この本懐かしいと感じる方多いのかな?

小学校や中学校の時は保育士や薬剤師になりたいと思っていた時期もあったが、それも何となく思っていただけで本気でなりたいとは思っていなかった。
大学は栄養士免許を取得できる学部に入ったが、その学部を選んだ理由も将来何か資格や免許があった方がいいだろう、という理由であった。
そんな学部で4年間学んでいたわけだが、この学部で学んだからといって、なぜ栄養士免許を生かせる仕事に就かなければいけないんだ?もっと色んな選択肢があっていはずだ!と思っており、結局栄養士としての仕事には就かなかった。
就活の時期の私は人生で一番ひねくれており、人生で一番人間的にダサい時期でもあった。

夢を持たず社会人になったのだが、決して夢があることに対して否定的な意見を持っているわけではなくて、夢を持つことは素晴らしいことだと思うし、夢を持っている人を羨ましく思うことだってあるし、夢に向かって努力できる人は本当に尊敬する。
けれども夢というのは子供の頃に持つものだと思っていて、大人になってからは夢は持たないものだと当時は思っていた。今思うとなんて悲しい考えだろうと思う。

24歳の時そんな考えを覆してくれる人に出会った。

私は新卒で入った会社を辞めて語学留学&ワーホリのためにカナダへ行った。その語学学校で出会った1個年下の男の子がこんなことを話していた。

「僕の夢はデザイナーになることで、将来は自分のブランドを持ちたいと思っています。オランダのデザイン学校に行くためにここで英語を学んでいます。」

私にとってはかなりの衝撃だった。お寺の鐘を撞いたような衝撃だった。平凡な暮らしをしていた夢なし田舎ガールだった私は、大人になってもキラキラした目で夢を語るその男の子に出会い、そうか、大人になっても夢は持っていいんや!と思えるようになった。

いや、冷静になって考えれば夢なんていくつになっても持っていいし、どんだけ私視野狭かったねんっていう話やし、そもそも自分が生まれ育った国を離れて勉強しにきてる子なんて何かしらの夢を持っている子が多いやろし、そんなんも分かってなかったんかい!と当時の私に言いたい。

その日から夢について考えるようになった。
ワーホリで初めてした仕事がバリスタで、バリスタに興味を持ったので、自分のカフェをオープンさせるのもいいなぁ、とか、人に物を教えるのが好きなので日本語教師もしてみたいなぁ、とか、バイヤーとなって世界中を飛び回り、輸入雑貨店を開いてみたいなぁ、とか夢は大きく膨らんだ。

ある時ふと思った。
これは「夢」ではなくて「欲」なんじゃないか?
あれもしたい、これもしたいと思うことは「夢」ではなくて「欲」なんじゃないか?

私のあれもしたい、これもしたいは「夢」という言葉より「欲」という言葉の方がしっくりくる。

私には夢はないけど欲はある。


人生でしたい100のリストを作成した。
100を超えて105個書けた。多分まだまだ書ける。
欲まみれじゃないか。

私には夢はないけど欲はある。


夢がなくて悩んでいる人がいると聞くが、悩まなくていいと思う。
「夢」はなくても「欲」があれば人生はそれなりに楽しいと私は思っている。

あれもしたい これもしたい
もっとしたい もっともっとしたい


THE BLUE HEARTSの曲でこんな歌詞の曲があるが、この曲のタイトルは「夢」だ。私のあれもしたい、これもしたいも実は「夢」なのかな。


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