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名前のない不自由の戯れたの 3「塗るのご挨拶にかえて、12人の優しい日本人と1人の狂おしい日本人と。」

塗るのご挨拶にかえて、12人の優しい日本人と1人の狂おしい日本人と。

12人の優しい日本人がZoom演劇でやってるのちょこっとだけ見て、ここにはもう自分のやりたいことないんだなっておもった。わかんないけどきっと「これが完成系」だと5秒見たら思うそんな感じの芝居で。覇者みたいな。覇者の芝居みたいな。Zoom演劇の王者みたいな。キングオブズーム。流石です。流石の三谷産業幸喜印。すごいぞやっぱりっておもってYouTubeとじた。

そうじゃない芝居が作りたくて自分はずっと演劇を続けてきたんだと荒ぶった気持ちになったり。そうなると自然と「劇場公演の復活」へ気持ちは向かって。あれだけワクワクした演劇の進化や可能性をZoomの画面の中には求められなくなって。新しさに足並み揃えられない自分になんとなく虚無ったり、演劇の弱さを日々増々感じながらも脈々と進化を拒んできたという点に本質を感じてしまったり、それで余計に落ち込んで虚無るを繰り返す。

そんなきょむきょむうじうじの「私」と「演劇」を繋いでくれていたのは、5月24日に1発のみの生配信で「塗る」という芝居をおこなうためのZoom稽古でした。
昔からなじみのある役者の「石村奈緒さん」が、栃木の実家でひとり芝居をするという企画に、扱いづらいであろう私の作演出を選んでいただき20~30分のひとり芝居を1本書いた。当初は作家としてのみの関りの予定だったが、演出もする流れとなりそっから1か月くらいか稽古している。いわゆるZoom稽古。

上記の通り、気持ちはどんどんZoom演劇から離れていくさなかのZoom稽古なわけで、始めのほうは特に非常にふわふわした気持ちで稽古してた。たぶんもう別れると思ってる相手と酒も呑まずに飯食って泊まらずに帰るみたいな感じの稽古が続いた。
いやよく考えたらその例えは適切ではなかった。

でもなんか始めは2時間もできなくて、すごい疲れたし、頭痛くなったり、言葉で伝えるのも難しかったり、動き見せて伝えるのもなんかうまくできないし。なによりこう、なんか、うまく言えないのだけど本気になれなかったのかなと、思い返すと。情熱みたいのが全然沸かなかった。 あれはなんでだったのかなと考えるも、うまく言葉にできない。でもその言葉にできないものが、8年間私が「演劇」を続けてきた中で、ゆいいつ自分の信用できるものだったり、それが三谷幸喜的でない何かだったり。

頭ではわかってるんだけど、言葉にするのが難しい、文字にするのがもっと難しいあの感じを、あの感じは、生で、人間の役者さんと直接会って、無駄だと思うほどの長い時間を共に過ごして、稽古して、絶望して、稽古して、迷って、本番が近づいてきて、どうしようもない、焦りと、高揚と、緊張と、吐き気と、血気と、盛んと、混乱と、怒りと、笑いと、謎の自信と、人間と、その匂いと。 匂いか。稽古場のあのムワっとする人間の匂いか、劇場のあのムワ~~~っとする、お客さんと役者さんのあの、匂い。 その匂いが、臭さが、熱となり、温度となり、空気となって、何かを作って。 それが私の、演劇のたのしい。

石村奈緒さんはとても真面目な役者さんで。時に泣きながら、自分の家の自分の部屋で「15647文字」の脚本を、繰り返し繰り返し、つらそうな顔で稽古し続けてる。自分の家で。自分の部屋で。しかももう一本あるんでしょ?やばいよ。私だったら絶対やらない。てかできないし、しかも自分の家で。つらすぎる。でも奈緒ちゃんはやめない。ずっと叫び続ける。
その姿がすごくすごく、狂おしくて。 なんかその日から、画面を越えて匂いたってきた。
反省させられた。本気だせっていわれた感じ、というか役者さんに芝居で怒られた感じ。

その日から「Zoom」も「生」も関係なくなって。 相変わらずいつも通り、匂いのする演劇を粛々と奈緒ちゃんと作る。 1人の狂おしい日本人に救われた気がしてる。

奈緒ちゃんの匂いが届けば嬉しい。そこに私たちの演劇は在る

https://www.youtube.com/watch?v=lydDeJl9zQc&feature=youtu.be

↑ いしむらなおがひとりぼっちでぼうけんする演劇

『塗る』『五月二十四日』

5月24日(日)13時より開演

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