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背中までで、45分。

背中を掻くのに孫の手は必須だ。ものさしでもいい。見当たらない時は妻に「掻いて、掻いて」とお願いする。色っぽさの欠片もない。ところで、沢田研二に「背中まで45分」という曲がある。作詞作曲は井上陽水。

出会いの場所はホテルのロビー
目と目があって あいさつはなく
 夜は始まり それが45分前
会話の為に 名前を聞いて
ありふれた名で すぐに忘れた
 指が動いて それが35分前

それからよりそい 二人で恋をし
長い廊下 転がされて
迷い込んだホテルラウンジバー

二人で飲んだトロピカルシャワー
めまいのように はじけてとんだ
 歌も聞こえて それが25分前
笑った後は けだるい気分
眠りませんか? 僕の部屋でも
 夢に向った それが15分前

二人で手をとり ダンスをしながら
出てゆくのを 見送るのは
誰もいない ホテルラウンジショウ

 部屋に入れば それがちょうど5分前

ドレスを脱いで 抱きあう時に
背中の指が 静かにはねた
それがちょうど それがちょうど 今

 背中まで45分 背中まで45分
 背中まで45分 背中まで45分・・・
 

新潮文庫「ラインダンス」より

行きずりの二人が「事に及ぶ」までを時系列で追った歌詞。45分というチョイスに惚れ惚れとしてしまう。30分では性急だ、60分では長すぎる。45分だからこそ立ち上がるエロチシズム。陽水にしてはわかりやすいという人もいるようだが、稀代の知能犯ゆえにメタフォリカルには何を指しているのかいないのか。誤解曲解を聞き手は無責任に楽しませてもらう。

メロディは気怠く単調、ジュリーの色っぽい声が支えている。セールスも思わしくなかったと思う。編曲の吉田健が「口説くのに45分は長いんじゃないか」と言ったとか言わないとか。

ギターソロやイントロを飛ばして聴くとか、映画は早送りで観るとかが流行りだそうで(もちろん多数派とまでは行かない)。軽々に(とあえて言う)同調して持論を展開している同年代(アラ還)の方もいる。百人百様の聴き方見方があってしかるべきなのでお好きにどうぞではあるが、退屈の悦楽を知らないのはもったいない。気が向いたら一度YouTubeで「背中まで45分」を切り取らずに聴いてみるのもよろしいかと思う。ちなみにイントロは短め。というより「背中までで、45分」なので和田誠流に言えばお楽しみはこれから、イントロしか歌っていないのだ。

今朝、スマホを見たら「note一年おめでとさん」というメダルが届いていた。退職後のボケ防止(緩和ともいう)は、時々安否の確認に誰か覗いていただければ、とりあえずまだ続けるつもり。一見鋭そうな一刀両断には気をつけながら、背中までなるべく45分はかけて、逡巡しながらゆっくりと。


見出しの画像は「arua」さんの作品をお借りしました。

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