夜のしじまはおしゃべりだから

昔から寝つきがすこぶるいい。床に就くや否や電光石火で落ちている(らしい)。睡眠に不安のある妻からは「憎らしい位」と言われるがこればかりは仕方がない。
とはいえ、眠れない夜は稀にではあるにせよあるもので、落ち着け落ち着けと唱えるものの頭の中は突然やってきた慣れない事態を収拾すべく右往左往のあわてぶりだ。夜の静寂とは厄介なもので、頼みもしないのにいろんな「輩」が寄ってきては、人の来し方をなじり行く末をせせら嗤う。羊なんて何頭いようがこれっぽっちの力にもならない。夜が白み始めた頃、こちらが白旗をあげ仕方なく次の一日に向けて切り替えるまで「輩」との闘いは続く。

「眠れない」といえば、大動脈解離と心臓手術で幻覚のループにいた集中治療室から、一般病棟に移ってからの事。ようやく正気を取り戻し、昼夜の区別もはっきりとつくようになったのだが、今度は全く眠れなくなった。リハビリも始まり、普通食が摂れるようになって入院患者なりの「生活のリズム」ができつつあるにも関わらず、夜になると眼はしっかりと開いてしまうのだ。これが約3カ月、転院先のリハビリ病院でも続いた。医師や看護師さんたちが慌ただしく行き来する病院の「生活音」がなくなるからだろうか。ただ、この時の静寂は「輩」を一切連れてこなかった。むしろこちらから「輩」に声をかけようとしていたような気がする。感じ考える力もなくしていたんだろう。茫漠とした静寂の中に毎夜佇み虚空を見つめて朝を待つ、夜が来るのがあんなに怖かったことはない。

紅の豚

「よくお前のような飽きっぽい人間が、短い期間とはいえ50回も与太話を投稿できたもんだ。褒美にこれを遣わす」と、友人から「紅の豚」のペーパークラフトキットを下賜された。ミニチュアながらかなり細かいパーツで構成されていて、工作下手にはなかなかに手強そうな予感がする。しかし「飛ばねえ豚はただの豚」である。眠れぬ夜の「輩」に空中戦を挑むか。

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