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森見登美彦は突然襲う。

また森見登美彦の襲撃を受けた。あれほど気をつけていたのに、月日が経つとつい油断してしまう。今回はポプラ文庫から出た「恋文の技術」(新版)という奴である。今さら誰かに想いを打ち明けようというわけではない。そもそも森見登美彦という作家にラブレターの極意を教えてもらおうなんて世間知らずにもほどがある。大文字山から赤い風船を飛ばしてどうする?拒む身体を振り切ってニヤニヤと読み切ってしまったではないか。時間を返せ!

本屋の文庫本コーナーをぶらぶらしていると、突然「森見登美彦」という名前が目に飛び込んでくることが希にある。あくまでも希に。すると何故か一時の逡巡も許されないまま手が伸びて足が勝手にレジに向かい、気づいたときには支払いもすみレシートが握られている。そんなこんなで今6冊の森見登美彦が本棚に居座っている。

森見先生の作品に「居座っている」とは何て失礼な!と怒り出すファンもいるかも知れない。だって素直に「面白かった」「ワクワクしました」なんて言葉がこの作家の褒め言葉になるとは思えないんだもん(いきなり子ども)。しょせん外様、良き森見フリークではないことをいいことにの戯れ言と聞き流してほしい。

作家・森見登美彦がいかにして作られたかはエッセイ集「太陽と乙女」で概ね語られている。読んでいるとココロのから騒ぎや勝手に七転八倒の作品世界が透けて見えるようだ。こういう言葉のモリモリをする人はたいてい照れ屋でひねくれ者と相場が決まっている。ごていねいに「このエッセイはフィクションです」という予防線?を張っているのがカワイイ。嘘でもホントでも清く正しく育った人が「八十日間四畳半一周」なんかするかい。「四畳半神話大系」のあまりの脱線ぶりにあきれて「四畳半タイムマシンブルース」まで読んでしまった。デビュー作の「太陽の塔」でいきなり日本ファンタジーノベル大賞を受賞するなどと恐れを知らぬ狼藉ぶりも目に余る。

森見作品の多くは大学時代を過ごした京都を舞台にしている。何冊か読んでいるうちにだんだん京都が好きになってきた。千年の都はワンダーランドの舞台にはもってこいだということに今さらながら気づいたりして。おかしな学生たちのワチャワチャもいいけれど「きつねのはなし」のような奇譚集もまたいい。あ、いけない、だんだんほめている。

新作を待ちわびる模範的なファンではないので「夜は短し歩けよ乙女」も「ペンギン・ハイウェイ」も読んでいない。しかし、いつ本屋でするりと手が伸びてまた本棚に1冊が加わってしまうかも知れず、そんな危険をはらんで森見登美彦という作家がいる。




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