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養老孟司の「些事かげん」

歳を重ねるごとに他人事自分事大事小事の整理がつけられなくなっている。禄を食んでいたころは、それにかこつけてうまい事逃げおおせていたものが、あれもこれもとスカスカの頭にやってきて動かないくせにそこだけ忙しい。もとより雑念を拾い集めて体裁つけて生きているようなものなので、「老境」などは幽谷の彼方である。

養老孟司の「ヒトの壁」を読む。この人の本はほとんど読んでいない。最近は亡き愛猫まるの飼い主として認識されている向きもあるようで、やれやれテレビというものは。とはいえ番組自体は嫌いではない。「バカの壁」はあまりの売れ方に引いてしまった。悪いクセだ。

「ヒトの壁」に戻す。極めて読みやすい。人間論と銘打っているが、人間観の方がしっくりくる。世の中が右往左往したこの2年間の覚書き。もちろん論拠はしっかり立てているが、論破しようという気はさらさらないので、最後は「諸行無常」になる。

そうなるんだから、しょうがないだろう。なるようになるさ。これは現代では不人気である。「ああすれば」が入っていないからであろう。現代人は自分というものがあるという信条を堅く守っているから、世界が自分を外してひとりでに動くのが気に入らないのかもしれない。でも「自分の意志で」動くものが世間にどれだけあるか、考えたことがあるだろうか。

先が見通せない事の不安は誰にでもある。打てる次善の策は用意しておくに越したことはない。それでも不測の事態は起こる。だから「仕方がない」という諦念は常に持っていなければいけない。これは決して後ろ向きな事ではない。誰かが「現代は偶然がどんどん減っている、それは危険な事ではないか」と言っていたが、その通りだと思う。だから日々不躾に飛び込んでくる大本営発表の「今日は何人が」などというテロップに一喜一憂する人々も確かに多いのだろう。

「おお」という発見にあふれているわけではない。ただこの人の世の中との付きあい方はとても平熱だ。些事と大事の見極めができているのだろう。こんな「老境」なら分け入ってみるのも悪くない。


見出しの画像は「まろとみろ」さんの作品をお借りしました。


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