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花火よもやま。

7月29日夜は今期2回目の参戦で神宮球場にいた。久しぶりのネット裏2階席。心臓の持病持ちにはなかなかにキツイ階段を牛歩のように登る。甲子園のアルプススタンドなんかどうなってしまうのだ。しかし登ってしまえばここは試合観戦に悪くないポジションだ。屋根がかけられていて何より風が心地いい。夏の間、5回を終了すると花火が上げられる。外野席の後方から打ち上げられるそれを見るのにいいんじゃないかと1%くらい気分が上がってはいた。

ツバメが珍しくリードして終えた5回「ドン」「ドン」と音はするが一向に花火が見えない。おかしいなと思っていると花火は見事に屋根の上で大輪の花を咲かせているようなのだった。相変わらずの浅はかさにあきれてしまうが、村上が久々のホームランを打ち小川が1500投球回を達成し勝利投手になったので低迷する今期にあっては上々のゲームなのだ。

ライトスタンドのはるか後方にスカイツリーが見える。ということはあの方角で今日は隅田川の花火大会があるのかとしばし目を凝らしてみると、米粒にも満たないような小さな花らしきものを発見した。「おーやってるねえ」と試合内容もいいので余裕の感想だ。

はるか40年近く前、妻と私は一度位隅田川の花火とやらを見てみようかと出かけていったが、憶えているのはただひたすら人込みを歩いたことだけ。時折音のする方向を見たりはしたが(実際多少は見えたのだろう)、夏の風物詩なんて情緒とはほど遠い徒労だけが残った夜だった。当時もおそらく数十万人の人出はあったと思うが、聞くところによるとコロナ明け(不思議なワードだ)の今年は100万人の人出が見込まれているとか。いやはやというかもうそれだけで正気のサタデーナイトではないことが想像できる。

隅田川の花火大会が飢饉など死者への鎮魂を起源とする言説が作り上げられたものであることはすでに様々なところで論考されている。花火一般にそういった側面があったにしても、少なくとも隅田川にその趣意はあまりない。

とにもかくにも100万人だ。そもそも花火見物として隅田川は好立地ではない。ゆったり桟敷などを組むスペースもないからいきおい川沿いの道を人々が彷徨うことになる。控えめに言っても有象無象の集団が所せましと行き交うわけで、沿道に住む人々や商いをされている方はさぞかし迷惑だろうと思う。その混乱をメディアは面白がって帰宅難民とか言って取り上げる。難民って何だっけ、ねえ?

まだ両親が健在だったころ、地元は印旛沼で国際花火大会というのが開かれた。何か国もの花火師が腕を競い日頃日本でも見られない花火も見られるというので、沼畔に設けられた桟敷席を購入しを両親・私たち夫婦・弟夫婦で大挙して見物に行った事がある。印旛沼畔はそういうスペースが確保できる(それでも人の土地に入り込むような狼藉者は出る)。珍しい花火のオンパレードにその競演を楽しませてもらったが、終わり間際ににわかに激しい雨に見舞われ、ずぶ濡れの酷い目にあった。どうも花火にはあまり恵まれていない。

各地で出ている花火大会を見合わせる声を聞くと、それもむべなるかなと思う。隅田川で花火を見るなら、屋形船なんかを借り切って、時折川岸に向かって「やあ、アサヒビールのう〇こちゃん」とか言いながらひととき浮世なんてどこへやらの人になってみたい。


見出しのイラストは「mania-note」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。

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