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「妄想トレイン」からの脱出~ひとり旅のすすめ

「友近・礼二の妄想トレイン」をよく観る。脱線を繰り返しながら二人の進行でしっかりと宿までたどりつく。石原良純の暑苦しさもたまには許せる。「久野ちゃん」が突然見せる暴走がいい。演歌を聞かないので徳永ゆうきという人はこの番組で初めて知った。血液検査のたびに「鉄分」が少なめと出てしまうわが身でも十分に楽しめる小一時間なのだ。

「妄想トレイン」に初めて乗ったのは、喘息で学校を休みがちな小学生の時。発作の気を紛らわせるためによく地図帳を開いてはぼんやりと眺めていた。文字通り汽車のない旅で、そこではシベリア鉄道にも羽幌線にも自由に乗り込めた。車窓の風景は事典やテレビが脳内補完する。ただそれはあくまで代償行為。喘息が軽くなってくるとそれは三次元での実現に向いた。妄想から始まったので、むろん実行は一人(妄想は共有するものではない)。小学校5年生から春休みには一人でどこかへ遠出をすることに決めた。といっても日帰りの事もあれば千葉から福島の親戚や宮城の親の知人宅に泊まらせてもらう位の他愛もないもの。それでも毎夏の家族旅行とは全く違う解放感はローティーンに旅の醍醐味を教えてくれるのに十分だった。

高校生活を間近に控えた中三の春休み。義務教育最後ということで、旅館への宿泊が実現(宿には親から連絡)。新宿から中央本線に乗り松本城を見て、二日目は天竜川の舟下りをして豊橋から新幹線で戻るというルートを設定した。泊まったのは伊那路の箕輪町にあった国民宿舎。夕食後の部屋での過ごし方がわからず、早々に寝床についてしまった。せいぜいぼーっと夜空でも眺めて高校で起こるであろうあれやこれやに思いを馳せていただんだろう。春休みの一人旅は高校入学後なくなり、この信州の旅が打ち止めになった。交友が広がる中で、一人で出かけることが激減したわけだが、せめてあと3年間一人旅を続けていればもう少しオトナな青年になったんじゃなかろうか。

一人旅をしたことがない人はどの位いるのだろう。こんなご時勢で躊躇してしまうのもわからぬではないが、「ソロ活」ってのがあるじゃないか。旅行は「行く」ものだけれど、旅は「出る」もんだ。自分を成長させてくれるかどうかなんて知ったこっちゃないが、知らない自分に出会えることは請け合いだ。そうさ、get  out ! 


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