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株式会社たがやすが5歳になりました。

最後にnoteの記事を書いてから、気づけば2年以上経っていました。

個人事業主としてのんびりと、その日のご飯に白米と納豆が食べれたらいいや。と働いていた時代から、依頼していただいた組織開発の規模感の必要性に迫られて、代表の鈴木耕平と株式会社設立。その後すぐにコロナ禍が訪れ、法人としての社会への責任や、オンラインやハイブリッドでの場づくり模索、プライベートでは、妊娠出産を3回経験し、地球にやってきた小さい人たちとの365日休むことのないお世話と関係性づくり、母親という役割への戸惑いなどと共に過ごしてきました。

ひっそりと。この春に株式会社たがやすが5歳になりました。時間がないとか、文章が苦手だとか、いろんな言い訳が頭をよぎりながら、この瞬間はもう2度と訪れない。なんとか、まとまらないままでもいいので、文字にしておこう、ここまで応援してくださった方への感謝の気持ちを言葉にしよう。とパソコンに向き合い、それもまた4ヶ月以上かけて、今文字にできたところまでの文章の最後に「。」をつけてみようと思います。




まるで1人の人間みたいに、感じながら。株式会社たがやすさんが5歳になりました

「法」の「人」と書いて、「法人」。まるで1人の人間みたいに、感じながら、たがやすとの関係性を育んできたつもりです。

たがやすさん(擬人化)は、凸凹で不器用で、やっていることは泥臭いし、理解されにくいし、思いのあまり空回りすることも多い気がします。人で言うと、大人になったけど、年齢関係なくちょっと青春とか語ってしまう、熱い人が苦手な人からはちょっと嫌な顔されながら、でも巻き込んでいこうとするような人。(嫌な時は嫌っていってください☺️😂)

一人ひとりとの出会いを大切にしたいと思い、できることを最大限の可能性のもとに模索し、有言実行と共に行動、アクションを真ん中に置けるよう実践/試行錯誤を繰り返すことを大切にしていようとしている人です。

そのようにいられるのは、苦手を埋めるのではなく、得意の凸を合わせていくチーム体制で、多様なメンバー、共創パートナーさん、クライアントのみなさんに支えていただいているからだと思います。あらゆることを、困難な局面もワクワクに変えながら生きている。本質を握りしめて実践を続けていく実践中です。現在5名の株式会社たがやすのメンバーと、20名を超える共創パートナーのみなさんと共創しています。

未熟な部分は多分にありながらも、人だったらそんな人に成長しようということと向き合ってきたのかな?と思います。

私にはない、魅力的で羨ましくなるような仲間のエッセンスが「たがやすさん」には入っているからこそ、自分では想像できなかった存在、好きだと言える存在になっていると感じています。


「ほしい未来のためにできることをする」たがやすのしていること


今1歳の小さいさんが、
20歳になった時にも「この時代に生まれてよかった」と思える地球であること。彼彼女たちに、ウェルビーイングに生きるための選択肢があること。

そのために「なんとかしたい」
〜地域をよりよくして子供の笑顔を守りたい、疾患領域をより良くして患者さんを幸せにしたい、組織をより良くして社員一人一人がウェルビーイングでいられるように…
そんな思いが種火となりわたしを動かすようになりました。

元々は、
ウェルビーイング?ウェルビーイング経済?なんかうさんくさくない?
地球?社会システム?なんだかピンとこない!
出産?子育て?キャリア中断したちゃうっていうしできるなら避けたほうが良くない?
と、人生の前半は批判的思考がすぐ働く&自分の思い込みだけで判断して生きてきました。

対話の場づくりは、自分自身の価値観をじわじわと変容させました。判断を保留にして人の話を何千人と聴ききる経験を通じて、恥ずかしい思いをしたり、迷惑をかけたり。
ただ、楽しいことばかりではなかったけれど、一つとして同じ場はなく、どれも豊かな時間でした。

今、同じ思い(種火)を燃やす方から「一緒に未来をつくりませんか」と声をかけていただき(実際の声は「経営ビジョン/町のビジョンをみんなでつくりたい」「組織開発の相談がしたい」「研究プロジェクトの伴走を依頼したい」…etc)、日々、その土地その組織の目標達成に必要なチームを組みながら共創しています

組織、地域、コミュニティの声を、まずは現状の状態や課題を知るために丁寧に聴き、その声を元に課題を共有したり共通認識を醸成するための対話の場をひらきます。
必要に応じて、そこに科学的根拠のある情報を集め、その土地その人に合わせたアクションまで。土地やプロジェクト、組織や人にあったやり方/プロセスを、その土地/組織を知っているキーマンと一体のチームとなり、オーダーメイドで共に創るプロジェクトファシリテーション(マネジメント)します。このようなプロセスを通じて、種火を持った方の火を灯し続け、周りを巻き込みながら共創していきます。


ご縁を大切にした先に今日がある

個人事業主のときから、始まりはいつも「こんなことに困っている」「力を貸してくれませんか」「なんとかしたいんだけど絵を描いたらなんか良いこと起きそうですか」といった、なんとかしたいけれど、どこから手をつけたら良いのかわからない。前例が見つけられない。
そういった相談です。

現状から一歩踏み出して声をかけてくださった方の、困りごとを聴ききり、課題に見えていることの深層にある本当の課題やニーズ、その課題の周りに関係する紐づく課題や、関係者をその場で整理して見える化してきました。

課題解決の先に、その方はどうなりたいと思っているのか、私たちはどんな未来がほしいと思っているのか、社会のニーズとはどのような繋がりがありそうか、を見える化しながら整理し、その声に応えるために必要な技術と方法、あらゆる手法で応えてきました。本人が描いている世界がわたしの方向性と異なる場合は、「わたしがほしい未来はこっちですが、あなたはどう思いますか」と伝えます。

結果として、お付き合いが1回では終わらなくて、気づけば10年近くご一緒している方もいるようになりました。ご一緒させていただいた方が、「なんとかしたい」と困っている方とのご縁を繋いでくださることが多く、これまでたがやすとして、営業というものをしたことがありません。ご縁の中で、必要としてくださる方と出会えることに心から感謝しています。

居場所と舞台づくり

現在は、3〜10年規模の研究開発プロジェクトや、メーカー、企業の組織開発プロジェクト等に、個々のプロジェクトの特性に合わせて得意を集めたチームを組み、プロジェクトの節目ごとにチームを閉じます。

たがやすが大切にしていることの一つに、振り返り。それは、集合知を残すという役割もありますが、よいものは次につなげ、そして、よいものをどんどんしていくとやることばかり増えて疲れてしまうので、手放せることは手放し、より改善することでパワーアップすることは改善する。楽しいチーム、うまくいっているように見えるチームであっても、その対象として、チームメンバー自身も、そこに貢献や学びがあるかを自身に問い直し、どちらもなければチームを離れるという選択肢を持ち続ける。そのことが、お互いの信頼や関係性、スピードにも影響すると感じていますし、それは、私自身にとっては、関わりのある方一人ひとりがありのままで活躍する舞台と安心して苦手をサポートし合える居場所でもあります。

振り返りについては、こちらの記事にまとめています。

現時点では、そのような形で、10プロジェクト前後のプロジェクトファシリテーションや、その時々で必要な話し合いの場づくりに、たがやすとして伴走しています。


名前のつかない部署異動


先日、尊敬する友人に「さよさんはこの5年で激しく部署異動したんだね」と言われてハッとしました。

小さい会社なので、部署異動はないのですが、あるとしたらこんな感じかもしれません。

グラフィックレコーディング部
グラフィックファシリテーション部
ファシリテーション部兼任
プロジェクトマネジメント(ファシリテーション)部
科学コミュニケーション部
戦略戦術推進部
経理部?
現在→全ての部署を行き来。
一応会社の取締役

場づくりの実践としては10年が経とうとしていて、ビジュアライズの実践を入り口に、ご縁の中であらゆる話し合いの場に携わる機会をいただいてきました。また、正確な数字はわかりませんが、100名を超えるファシリテーターや進行役の方とご一緒させていただくことで、お一人おひとりの哲学に触れる機会となり、場づくりの技術はあれど、その人の特性、性格、扱う手法やバックグラウンドにより、一つとして同じ場づくりがないことを全身で体感しました。

また、話し合いが必要でも、人・環境・予算がない場が山ほどあることも実感した10年でした。それを嘆くよりも、ないなら創る。制限があることがクリエイティブを発揮させる。と、アイデアや助成金の活用、資金の捻出、メンバーに巻き込む、協力してもらう。あるものに注目して進んでいく力を、必要に迫られて鍛えてきた気がします。

現在、事業の何割かは、予算に限りのある(法人として利益にはならない、社会貢献としてお引き受けする形での)まちづくりの取り組みの伴走であったり、教育現場、行政の産業振興会議なども何年も伴走させていただいています。このバランスは難しいと感じたこともありますが、長い視野で見たときに、私の創りたい未来に必要な取り組みだと感じています。


まだ声にならない願いや、叶えたい未来を実現するための「ビジョン」と「行動」


人/組織/地域が課題だと思っていること、解決したいと思っていることは、入り口にすぎなくて、その先に本当の願いや、叶えたい未来があると思います。

長い目線で本気でその願いを叶えようと思うと、そのために1回ではなく3回、3回ではなく10回、回数ではなく3年。というように、関わり方が変わるようになりました。そして、長いプロジェクトになるほど、始まり〜もやもや期〜転換期〜終盤・・・と、それぞれのフェーズにおいて、目的に合わせた形で可視化する/残すことのパワフルさを感じるようになっていきました。

現場の数を数えることは、少なくも自信のなかった自分の心の支えになっていましたが、今は現場も生活の一部、ほしい未来を創るための自分の生活の一部となり、数える対象ではなくなりました。


キャパシティビルディングへの挑戦と実験

個人事業主で独立した3年は、寝る以外ずっと動き回っていた気がします。声をかけていただいた現場は全てYESで全力で応えていたら、大小合わせると年に約200程度の現場に入っていて、初めの3年で現場の数が600を超えました。現場の数だけ出会いがあり、様々なファシリテーターの方と出会ううちに、場のパターンや、自分の得意不得意が見えてくるようになりました。そして、必要に迫られて自分自身もファシリテーションをするようになりました。

自分の至らなさや自信のなさと向き合い、毎日10枚は描くと決めた手を動かす基礎練習、失敗を繰り返すうちに、目の前の私を頼りにしてくださっている人の役に立つために、ひいては、一つ一つの活動が、その先のほしい未来に向けてベクトルを向けるために、描くだけではどうにもならないと気づき、参加者が話したいことを話せるような問いづくりや場のデザイン、プロジェクトマネジメント、戦術・戦略、その他必要だと感じたことを学び実践していきました。

妊娠をして、自分の意思とは別に、身体が起き上がらない日々を経験しました。それまで体力に自信があり、徹夜してもピンピンしていた自分の身体が、自分の身体ではないようになりました。早産も経験し、たくさんの管につながれてNICUにいる触れることのできない我が子に対して、命の危険にさらしたことを後悔したこともありました。

個人で現場を引き受けているままでは、何かあった時に迷惑をかけてしまう。でも、これまで築いてきた関係性を大切にしたい・失うのは悲しい。
相手の方が大切にしていることを共に理解して、期待に応えられるだけの思いと、技術、スキルを持つ、共通言語を持つ人が必要だ。と感じました。そんな中、たがやすの思いに共感し、えりつぃん(石川)、くりりん(栗原)、ひろのさん(反中)が、場づくりの世界へ飛び込んできてくれました。3人とも、前職は場づくりやビジュアライズとは全く異なる業界にいましたが、今では、誰よりも共創を大切にして、場のこと、チームのことを考えているかけがえのない存在です。それぞれ、関東、北海道、北陸と住まいもバラバラな中、オンラインコミュニケーションを主軸に、それぞれが働きやすい時間に働く。働きやすいスタイルで過ごす。育児をしながら働く。対面ワークショップや会議の際に集まるような形でのウェルビーイングな働き方を実践中です。

そして、お腹の中に小さい人が宿ることで、ますます社会に変容を起こす必要性を感じ、そのために自分自身が変容する必要性を感じ、それができるビジュアライズの技術の体系化、実践者が学びあう場がほしいと感じました。

このような背景も背中をおし、共創ビジュアルプラクティショナー養成プログラムが始まっています。
今年度は2024年8月スタート。
現在受講生募集中
です。

これは、また別のストーリー。
ここでは書き始めないでおきます。


興味を持ってくださった方はこちら▼


後悔しないように、今しかできないことをしたい

子供たちの衣食住や家の役割が必須になり、以前の3分の1も活動できていないもどかしさはあります。本当はもっと関わりたいプロジェクトをグッと堪えてメンバーに委ねたり、文字にしたい現場の出来事をいつかレポートできるようにと手元のメモばかりが増えたり、会いたい方に会いに行くことを我慢したり、読みたい論文も増えてばかりでもどかしい気持ちは積もるばかりです。

同時に、この未知の世界を堪能できるこの機会を大切にしたいとも思っています。この体験が、将来、同じような状況になるかもしれない友人や仲間に声をかける時のヒントになると思うし、私自身が社会システムの一人としてどう感じるのかは体感して自分の意見を持ちたいと思います。1,2,3歳の小さい人たちが家の中にいる生活は、経験したことのない未知の生活です。子連れでの話し合いの場への参加は、物理的には可能だけれど、周りのサポートがないと集中するのは難しいと知りました。

離乳食の小さいさんが2人並んでいる時や、夜中に3人が順次理由のない夜泣きを繰り返し気づけば朝を迎えている日々は瞬間的に「あ、もう無理かもしれない」と思うことも頻繁にありましたが…!それもきっと自分の必要な学び/実践なのだろうと思い、パートナーと共創しながら、なんとか毎日暮らしています。



ウェルビーイングに生きていきたい。そこにわたしも含めて


興味深いなと思うのが、個人事業主の時は、ご機嫌で働いていたものの、通帳から1万円がおろせなくて飲み会代をゲストの方に出してもらうような残念な日々もありました。好きなことを仕事できることが肌をツヤツヤにしていた気がします。

今、5人家族を養う大黒柱をしています。気づけば合言葉は「自分だけでしない/頼る」。長い間、頼ることが誰かに迷惑をかけると思って生きてきました。わたしなんかの話を聞いてもらうなんて申し訳ない、と本気で思っていました。今は、自分が頼ることで、相手からも以前より頼ってもらえる関係性ができてきた気がします。それは、仕事でも、プロジェクトでも、家族でも。今は、ちょっとしたことを頼りあえる関係性は、風通しが良い要素の一つだと感じています。完璧でないことが誰かとつながる余白になる。そんな変化も楽しみながら。

お母さん、なんで何もしてくれへんかったん?
と言われる生き方よりも、自分にできることも好きなことも全部やって生きたで‼️と、私自身も含めて周りにいる人とウェルビーイングに生きていくことが今のところ目標です。葛藤の連続ですが、それも良い意味でエネルギーになるのでしょうか。


感謝してもしきれない気持ち

毎日バタバタして、ひっそりと迎えたはずのたがやすさん5歳。応援メッセージをいただいて胸が熱くなりました。


たがやすさんが5周年を迎えるにあたり、感謝したい方は本当にたくさんいて、全ての方のお名前をあげられませんが、たがやすを共に育てている耕平さん、くりりん、ひろのさん、えりつぃん。北海道大学コンパスプロジェクトWellbeingの探求の機会をくださった山中教授、企画運営/講師としてご一緒くださった玄道優子さん、きっしー⭐︎さんをはじめとしたコアメンバーの皆さん、共創ビジュアルプラクティショナー養成プログラムをゼロから生み出すために多くの時間を一緒に考えてくださった清水淳子さん、麻衣子さん、耕平さん、わっきーさん、修了生の皆さん。出村が駆け出しの頃から、チャレンジする場とビジュアルプラクティショナーの舞台と出番をくださった太田先生、大塚先生、畑先生、高野先生、能登町の灰谷さん、役場や参加者の皆さん。凸凹フューチャーセンターを7年間休まず続けたみーにゃん、おとん、そして凸凹仲間の皆さん。今もたくさんの影響をうけているサステナビリティダイローグの牧原ゆりえさん。一緒にチャレンジングな場に全力で飛び込める恭ちゃん。
寂しい思いを乗り越えて家で待っていてくれる子供たちと出村が出村らしく生きられるために活動を続けることを一番近くで応援・サポートしれくれる祐亮さん、に感謝して。

見守り、フィードバックくださり、応援してくださりありがとうございます!どこまでもマイペースにしか歩めない人間ですが、これからも、よろしくお願いします。

ここまでが、今、書けるところまで。

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