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ABD読書法で高めるウェルビーイング(1)

"ウェルビーイングについて話すとウェルビーイングが高まる"
出典:WELL-BEING_MANUAL

コンパスプロジェクトでは、2020年6月から継続的に、対話を通じてウェルビーイングを高めるオンラインワークショップを実施しています。3年間のプロジェクトで、1年目は今月で最後の実施を迎えます。一般の方にも広くひらいたプロジェクトですので、関心のある方は、ぜひ次年度ご応募ください。こちらのマガジンをフォローいただければ随時情報がアップされます。

ウェルビーイングについての詳しい話はこちら▼

短期集中での非日常のプログラムではなく、日常の中で年間5回を通じて、ウェルビーイングを高めていく(最近は、高めるというよりも、すでにあるウェルビーイングに気づき、味わい栄養にする。というほうがしっくりきています)プロセスを歩んでいます。

コンパスプロジェクトのアーカイブはこちら▼

0. これまでにない教育プログラムをつくることにした背景

コンパスプロジェクト開始当初の2020年6月、コロナ禍で、数ヶ月先がどうなるかわからない状態の中で、やめるのではなく、模索しながら進めることを決めてスタートしました。内容をはじめから決めるのではなく、方向性だけ決め、先がわからないことを楽しみながら続けてきました。ゆったりと、日常とワークショップを行き来しながら、余白の時間には自主勉強会や、受講生の自発的な発案を積極的に実施しています。

コアメンバーは、呼びかけ人の山中教授の他、対話支援ファシリテーターの玄道優子さん、日中は会社員をしながらあちこちで活躍されているちぃ(吉塚知里)さん、きっしー☆(岸靖久)さんの4人で進めており、毎回のワークショップを踏まえて、受講生のみなさんの様子に合わせてプログラムデザインを考えています。こうして、それぞれの専門の視点からアイデアを出しながらこれまでなかった教育プログラムを、ゼロから生み出しています。

「こうなるだろう。」と思うことが、その通りに起きることもあれば、そうならないことの方が多い。毎回、ワークショップ中でも、方向性を変えながら進めてきました。


1.ウェルビーイング×Active Book Dialogue®読書法

今回、2020年8月、2021年2月の2回にわたり、『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために: その思想、実践、技術』( 著者:渡邊淳司、 ドミニク・チェン、安藤英由樹他)の本を読見ました。それぞれちぃさん、きっしー☆さんがABD読書法で対話する場をホストしてくださりました。

ABD(Active Book Dialogue®)読書法とは?▼

当日の進め方イメージ

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2.Active Book Dialogue®の様子とダイアローグ

ABD読書法はもともとA4用紙などに書いて実施するものですが、今回オンライン開催ということで、ちぃさん、キッシー☆さんは、padlletを使った方法で進めてくださりました。とてもわかりやすく、そしてスムーズでした。それぞれ参加者が本の10ページずつ程度を担当し、4枚程度に要約した内容をpadlletに作成してから、全員で順番にプレゼンしました。

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padlletについて詳しく知りたい方はこちらの優子さんの記事がおすすめ▼

第1回は、テンポよく進めていくちぃさんのファシリテーションに、時間があっという間に過ぎていきました。『朝起きてから寝るまで。毎日の中で、あなたはいつ自分が「よい状態」であると感じますか?3つ挙げてください。』という問いに、事前に全員が答えてからスタートすることで、"今"この瞬間のウェルビーイングに意識を向けてからスタートできたのも、穏やかな気持ちでのスタートに繋がりました。

第2回は、参加者でのダイアローグの他、一人で内省する時間もあり、緊張しますねぇと言いながら進めていかれるきっしー☆さんの工夫が素敵でした。当日の流れや、感想の共有もpadlletを活用して共有されていたのも印象的でした。

3.本の内容を一部紹介

以下、本文を参加者で要約した内容になります。
グラフィックby さよ、ちぃさん

ウェルビーイングは「わたし」一人が作り出すものではなく「わたしたち」が共につくりあうもの。ウエルビーングは、人それぞれの心を起点とした新しい発想の「コンパス」。ウエルビーングを決定する要因として、他者との関わりを大切にする人もいれば、他者と関わりもたないことを重視する人もいる。

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あいまいのまま考えるのではなく、要因に分けることで、それぞれの「よい状態」を具体的に捉えることができる。何が良い状態なのか身体の声に耳を傾けてみることも必要。自分と他者を含めたひとりひとりがどういう状態をよいと感じるかを知ること。

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「わたし」のウェルビーイングとより大きな視点のウェルビーイング
個人と組織の在り方は同一ではないと理解することが大事。個人が、個人と組織のウェルビーイングを意識的に分け、両方考えると個人にも組織にもウェルビーイングとなる。

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ウェルビーイングを生み出すための「よい介入」とは?
個別性への配慮:私とあなたはちがう。多人数が集まる場の意思決定においても「合意」を目指すことが望まれる
自律性への配慮:自身で気づき、行動するものである
潜在性への配慮:無意識による制御と意識による制御
地域文化による主観的ウェルビーイングの因子の違い
アメリカ合衆国では、幸福とは個人が自らの能力を駆使することで獲得するもの。対して日本や中国では幸福な状態は自分の能力よりも、むしろ幸運によってもたらされると考えられている。
日本社会におけるウェルビーイング
周りの環境に対し、主体能動性を感得できるかという「自律性」、他者のウェルビーイングにも貢献できるかという「思いやり」、自律性と他者の存在が調和し、現在のポジティブ・ネガティブ双方を含む状況を受け入れられるかという「受け入れ」。

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神山町の事例にみる
都会に住み、職場と自宅の往復を繰り返しているばかりでは仕事も生活もルーティン化していくが、神山町の生活はそこにある種の「ノイズ」を加えることでルーティン化を阻止し、人々に身体性を取り戻させる。「人間の根底レベルで嬉しい」。自然やコミュニティのなかで生きることの本質的な意味を深く探究することから、テクノロジーを活かしたウェルビーイングへとつなげていく必要がある。

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「コミュニティ」はどこにあるのか
情報通信技術によって人と人のコミュニケーションは大きく変わり、それにともなってコミュニティも変わっている。現代のコミュニティは非常に不確かで定義しづらく、しかしそれゆえに、多様で豊かな可能性が留保されているといえるかもしれない。
コミュニティと3つのウェルビーイング要因
自分や身の回りの世界が存在していることなど当たり前のように思えるかもしれないが、接続過剰で人間が道具化・機械化してしまった現代社会においては必ずしも「当たり前」の感覚とは言えない。だからこそ、コミュニティのなかで自身の存在を確かめられることはウェルビーイングへとつながる。
社会に生きる個人一人ひとりがその場でその人として生きていけるような公共空間をつくることは、そのままウェルビーイングの条件にもなるのだ。

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存在論的安心 ー    人間が存在していることを見つめなおす
近代以降の社会は、共同体的なつながりよりも機能的・経済的な価値を重視し、孤立と流動性が高まった「液状化」社会であり、そんな社会状況が存在論的な不安を引き起こしやすくなっているのだ。人間は「人材」として扱われ、効率よく生きることを求められ、失敗すれば交換可能な存在として社会や経済のシステムのなかに組み込まれてしまったのだ。人間は人間として生きられるべきであり、人間は道具ではないという当たり前の事実を改めて認識しなければいけないのだ。

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公共性 多様な人々が集まる場所を取り戻す
ウエルビーイング/個人のより良い状態を目指す概念。個人が良い状態としてあるためには他者の存在が欠かせない。情報通信技術はいつどこにいても繋がることを可能にしたが同時にバラバラな状態へと追いやってまった。
常に半端につながりあってしまっている。
ジレンマを超えるためのウェルビーイング
コミュニティと公共のウェルビーイングを実践していくことは新たな社会をつくっていくそもの。現在のコミュニティや公共が抱える問題を解決できる可能性もある。何かを効果的に生み出そうとすると、人間の基本的存在が後回しにされ、逆に存在の尊重を優先すると、活動が停止し、目的が達成されないということが起きやすい。

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「何もかが揃い、経済が活発」で暮らす人々→誰もが幸せ?
日本国民の「人生の満足度」は1950年代から1980年代横ばい
21世紀欧米各国における主観的well-beingは19世紀から向上していない(Hills et al., 2019)
⇒インターネット:情報・サービス(amazon)が手元に舞い降り、利便性が高く・ライフフスタイルの向上。その一方、ITの発達:人々に歪みをもたらし、個々の「幸福度」に影響を与えている。

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阻害される自発的な情報選択
「多すぎる魅力的な選択肢から一つを選び出す」認知コストを課されていることがストレスとなる。実世界の方が仮想的状況よりも扁桃体(状況を制御する脳部位)により多くの活動が見られる。感情に訴えるインターネットだが、刺激が低い。長時間のオンラインが、実社会での関わりに影響を与える可能性。プラットフォーム側の取捨選択⇒自律的な取捨選択することが難しいため、スマホを見続けている虚無感「自分の意思で考えているようで、考えていない」

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心が豊かになる滞在時間:Time well spend
SNSが引き起こした問題の提起。受動的に見続けることで気分の落ち込みに繋がる。Time Well Spend 心が豊かになる滞在時間ー Googleでデザイン倫理を担当していたトリスタン・ハリスが退職後に提唱。
日本社会におけるウェルビーイング
欧米では「個(わたし)」、日本では「共(わたしたち)」に人間観が観察される。今回のウェルビーイングプロジェクトでは「自律性」(個人内)「思いやり」(個人間)、「受け入れ」(超越的)という3つの要因が重要ではないか。日本的ウェルビーイング、他者とのつながりの中に重きをおく「共」を基盤とした情報技術のあり方を議論したり、サービスを考えることが有意義なのでは。

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自立のための3つのアプローチ
残念ながら、ほとんどのテクノロジーはウェルビーングをサポートしてない。⇒ ポジティブコンピューティングできてない。
3つの異なるタイプの取り組み
「予防」:特定の要因に取り組みネガティブなインパクト減らす
「介入」:人の感情を決定する要因を変更する
「特化」:特定のウェルビーングの要因をサポートする新しいテクノロジーを開発。

ウェルビーングとは何か?という問いを最大化すること。 生み出されたプロダクトが、モチベーション、自分や他者への愛を増大させてる。

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異なる規範から学ぶべきこと
ウェルビーングとは何?
実はいろんな分野で研究に取り組まれてきた。
自分たちが設計しないといけないものが何かを知ること重要
(ex) 医学的モデル/ポジティブ心理学/デザイナーやエンジニアが設計
異なる様々な規範の研究は、ウェルビーングをサポートするためのデザインに使える。
倫理と哲学 日本がもつ可能性
ウェルビーングをビジネスの中で実現は様々な壁を超える必要ある
(企業利益とユーザーの幸福はときに矛盾することがある…)。ユーザーが自ら選択することが難しくなる。我々は本当にユーザーの中から自立性が生まれることに誠実である必要。自律性・・「人間とは何か?」を問い続けた哲学者たち。
「人間」というものに対して、西洋と東洋の違い
日本=「ロボット大国」
その根幹に非生命的なものと関係性を結べる哲学があるかもしれない⇒ 「人間の自律性をいかに担保するのか?」という問い。
日本という存在は大きな意味を持つ


コロナ禍におけるウェルビーイングについて考えてみる

インターネットにおける情報や通販や様々なサービスが膨大に増え、利便性が高くなりました。ライフフスタイルも向上したのだと思います。一方で、”ITの発達は人々に歪みをもたらし、個々の「幸福度」に影響を与えている” と記述の通り、何もかが揃い、経済が活発で暮らす人々が必ずしも幸せというわけではないことは、おそらく多くの人が気づいているけれど、どうしたら良いのかわからないままになっているようにも感じます。

情報通信技術によって人と人のコミュニケーションは大きく変わってきたし、それにともなってコミュニティも変わっています。この1年の変化を体験した人なら、たった1年で社会は大きく変わるという体験を少なからずしていると思うのですが、加速するオンライン化は、短時間に大勢の人とつながることを可能にした代わりに、他者と自分の境界線を曖昧にもしているように感じます。自分が何者なのかを握っていないと、自分がどこかへふわふわと飛んでいきそうな感覚。

情報技術は人の幸福を目的として設計されているわけではないので、一人ひとりが自分のウェルビーイングを認識し、そのためにどのようにITツールを使っていくのか考えてみる時間が必要なんだけど、目の前のやらねばならないことに忙殺されている・・・ように見えます。

"ウエルビーングを決定する要因として、他者との関わりを大切にする人もいれば、他者と関わりもたないことを重視する人もいる"という一文は、キーになるんじゃないか。次々に新しいコミュニケーションツールが出てきました。今で言うと、clubhouseが出てきて、短時間でたくさんの人が繋がりを作ろうとしている様子は、楽しい人もいれば、焦りや心地の悪さを感じる人もいて。私は、一人の時間、無音の時間、何もしない余白の時間を埋めていくほどに、息がつまる感覚を覚えます。体の中が情報で詰まってしまって、新しいアイデアや心躍ることが飛び込んできたときに掴み取る余裕がなくなるので、"他者と関わりを持たない勇気"にこれからのつながり方のヒントにしたいです。いろんなことが見える化されるようになりました(繋がっている人数、業務効率、出勤管理・・・etc)。それって本当に見える化する必要あるの?一部のヒエラルキーの高い人のための物じゃないの?管理者が管理しやすくするための手段なんじゃないの?それは、わたしたちをウェルビーイングにしているの?

考えすぎと言われるかもしれませんが、考え抜かれた「見える化」のデザインがあるなら、「見せない」優しさのデザインもあってもいいのはないでしょうか。

何が良い状態なのか身体の声に耳を傾けてみるために、立ち止まる。自分と他者を含めたひとりひとりがどういう状態をよいと感じるかを知るためにできることを増やしていきたいです。

"人間は「人材」として扱われ、効率よく生きることを求められ、失敗すれば交換可能な存在として社会や経済のシステムのなかに組み込まれてしまったのだ。人間は人間として生きられるべきであり、人間は道具ではないという当たり前の事実を改めて認識しなければいけないのだ。"

ABD読書の後のダイアローグについては、次のレポートにまとめたいと思います。



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