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自分のデータを読み直す

先日、ツイッターで江戸川乱歩の「芋虫」の感想が流れてきました。
どんなのなんだろう、と興味本位で覗いて、圧倒されました。その文章量と人を惹きつける力に。
ただの感想であったはずなのに、すぐに図書館に行って宿題が残っているにも関わらず「芋虫」を借りてきました。それが昨日です。

ここ一、二年はずっと本から離れていました。
勉強が忙しいとか友達との連絡が、とか言い訳しまくって、インターネットに浸かっていました。だめ人間。
本も読まなきゃなとは思っていましたが、手が伸びるのは本棚ではなくてスマホでした。今はパソコンで文章を打っています。
それが、偶然この感想文を目にし、久々に心の底から「本が読みたい」と思いました。どこでスイッチが入るか分からないね……。

という訳で、久々に近代文学に触れてみることにしました。
幼い時にハマって、それからしばらくは離れていましたが、自分の趣味の原点になっているかもしれないところに立ち返ってみようと思いついて。
さて、ここ三日間で読み漁った近代文学の感想をひたすら書いていこうと思います。

「痴人の愛」谷崎潤一郎

カフェーの女給から見出した15歳のナオミを育て、いずれは自分の妻にしようと思った真面目な男が、次第に少女にとりつかれ破滅するまでを描く物語。

Wikipedia

文章がどエロい。
読んでいて途中で数回天を仰ぎました。エロい。

一番メンタルにキたのは「友達の接吻」とナオミが主人公・譲治さんを煽るときに使ったキスです。ナオミに溺れていた譲治さんは、とうとう彼女の不倫をもとに家から追い出すのですが、とてつもない後悔と未練に襲われます。一種のドラッグ。
さてこの接吻、唇にするのではなくて、
「からかわれるとは知っていながら、彼女が唇を向けて来るので私もそれを吸うようにすると、アワヤと云う時その唇は逃げてしまって、はッと二三寸離れた所から私の口に息を吹っかけ」
というものです。
数年一緒にいて、肉体関係も持ち精神的に彼女に依存しきっていた譲治さんにとっては生殺し以外の何物でもない煽りだったでしょう。
実際、ナオミは彼を屈服させるべく様々なものを試みるのですが、この「友達の接吻」であっても「そっと唇に香水を塗っていた」とあります。天性の魔女。
しかもこの本、面白いのが直接的な性描写は一切ありません。R18よりR15よりエロいのでは論争は時々起こりますが、香り、触感、言葉、感情、その全てが魅力的で、ちょっとした描写ですらひどく官能的に見えて、自分が譲治さんと同じ感性でナオミを目の前にしているのではないかと思うくらいです。谷崎潤一郎、天才。
ナオミは自分勝手で策略家で頭は悪くて、それなのに相手を惑わせる術を嫌というほど熟知していて、そのナオミに目を付けてしまった譲治さんは不運だったのか幸運だったのか。どちらにせよ、譲治さんとナオミに散々振り回された河合さんは可哀想だと思います。まともな女性とくっついてください。
一回こんな女性に振り回されてみたい……でも一回じゃ済まないんだろうな……。

「駆込み訴え」太宰治

主人・キリストへの行き過ぎた愛とそれ故の憎しみを抱いたユダが、一方通行の感情についてひたすら独白し、最終的にキリストを金で売る物語。

愛憎ごったまぜブロマンス!!!!

これは新約聖書のユダがキリストを処刑人に売る話までを想像した太宰治の短編です。
畳みかける一人称での台詞。過多なほどの感情表現。そして、自分に向かって話されているのではないかと思わせる語り口の上手さ。太宰治……好きだ……。
この短い話の中で、ユダのキリストへの感情は一転、二転とごろごろ変わります。「愛している」であったり「憎んでいる」であったり「失望した」であったり。
その根底にあるのは、「キリストを支えているのは本当は自分なのだ」という、ある種のプライドと独占欲です。皆から慕われているキリストも私無しでは金勘定も出来ない。私がいないと駄目なのだ。一種の共依存関係だと自分から認めているようにも見えます。だからこそキリストに気のある娘に嫉妬したり、彼の奇行をどうしようもなく恨んだり、自分の歪んだ心情をキリストに指摘されたときに過剰なまでの絶望に突き落とされたりしたのではないかなと。
「銀三十で、あいつは売られる」と安い価値で彼を売り飛ばすことに決める最後。心から愛している彼を殺すことにしたのは、きっと彼の命を自分は握っているんだという征服感だったのでは、と思います。
なんかわかる。

「桜の森の満開の下」坂口安吾

ある峠の山賊と、妖しく美しい残酷な女との幻想的な怪奇物語。桜の森の満開の下は怖ろしいと物語られる説話形式の文体で、花びらとなって掻き消えた女と、冷たい虚空がはりつめているばかりの花吹雪の中の男の孤独が描かれている。

Wikipedia

描写が絵画のように綺麗。この人の部屋が本当にゴミ屋敷だったのか信用できないくらい綺麗。

ずっと山に住み、ずっと一人で、誰とも会話することなく気ままに暮らしていた山賊が、偶然出会った美しい女を妻にすることから運命がガタリと変わります。
この女、中々の怪奇趣味で、人殺しばかりしていた山賊に「人の首を持ってこい」と命令します。しかも自分たちの住む屋敷にいくつもいくつも首を置いてはそれでままごと遊びをします。我が儘でままごと遊びが好き、取り扱うのが首でなければ幼い子供みたいですね。腐臭とか漂いそうで絶対に嫌です。どうしてもと言うならシャーロックのように冷蔵庫に入れたいです。
この物語では、魔性の女に自分一人だった世界を狂わされた山賊が、今まで気付けなかった「孤独」という感情を知って幕を閉じます。少なくとも私はそう解釈しました。
ずっと一人でいて、自分以外の人は「殺して物を奪うもの」。喋ろうが息をしようが関係なかったのです。ところがこの女に出会い、彼女と会話し、人間の体温を知り、そうして彼女は彼の目の前から消えてしまいます。
山賊にとって、何かしらの感情が芽生える相手の人間は、彼女一人だけでした。その彼女が消えてしまった。後に残るのは、絶対に埋められない空虚感のみ。切ない。
決してハッピーエンドではないのに、不思議と爽快な読後感。「完全自殺マニュアル」での言葉を借りれば、「テレビを消した後の静寂」のような気分が味わえます。あれも孤独の一種でしょうか。後追いとか心中とかそう言うのが好きな人は多分好きです。

追記ですが、「文豪とアルケミスト」というゲームを基にしたアニメがあり、そのノベライズではキャラクターの言葉を通してこの「桜の森の満開の下」の考察が述べられています。興味のある方は是非。文豪、近代文学が好きな人はかなりハマりやすいと思います、このゲーム。

久々に本を読んで

読もう、となってからはあっという間でした。11時頃から読み始め、眠くなってきたなと思ったら2時半。時間って速い。
本当はもっと本を読んだので感想を書きたかったのですが、あまりに時間を取られてしまうので。また感想文part2をやりたいですね。少女地獄とか人間椅子とか。

改めて自分の好きだった本を読み返し、最後に読んだ時とはまた異なる考察もして、本って良いなあ~~!!と思いました。
そして近代文学の良さも再発掘。この精密な心情描写や、少し古いからこそ柔らかい文章。起承転結だけが全てじゃない、物語の面白さというのも魅力の一つなような気がします。好きです。


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