見出し画像

多少の愚行なしに人生は前に進まない

最近、少し愚者にならないとダメではと思うこともあります。

いや、自分が賢者だって言いたいんじゃないですけど

究極の賢者って、ほとんど何もやらない人か、ほとんど何も言わない長老みたいなイメージがあります。

僕も、30代半ばから10年以上、それなりにあれこれ頑張ってきて、しかもまったく成果がでなかったもんですから
アラフィフのいま、もう大半のことが面倒くさくなってしまって
本当は限りなく何もやりたくないみたいな気持ちもどこかにあります。

ただですよ!

文明生活というヤツを一応でも享受しておりますと
つまり、電気や水道の通ってる建物で暮らしているのに
あまりに何もやらないでいると
個人のところに、あの請求書というヤツが複数枚届くわけです。

文明社会で意欲減退が起こることはいくらでもありますけど
そうすると、医者に診断書を書いてもらうか(それも無料ではありません)
甚だしくは屋根のないところに追い出されて
「働かざる者食うべからず」という
あの何の意味があるのかわからない、不気味な俗道徳に
ブルドーザーで隅に追いやられる砂利にもにた感じになります。

そうして
「個人責任!」「個人責任!」「個人責任!」というあの連呼も聞えて来て

「オレは大谷ではなかった!」という事実にハッとして

がび~ぃーーん!となり
何かを呪いたいけど、でも何を呪っていいのか分からない状態になります。

しかし、そこで、意欲減退をいいことに、あまりに無為を決め込んでおりますと
成人の場合、先ほどもいいましたが
あの請求書という興冷めなモノが積みあがっていくわけです。

そうしますと
賢者とは、極力何もやらない人のことだ、というあの前提を堅持しにくくなり
多少の焦燥に駆られるのは、まぁ自分の器の小ささを指し示しているとは言え
バイト(夜勤とかを含む)をもっと頑張るか、生活保護を申請するかの2択になっています。

ええ、どちらもきっと愚策の類いでしょう。

でも、起業とかで生活が成り立つところを夢想するのは、もっと愚策かもしれません。
最近流行のFIREとかって、焼身自殺にしか思えないんですが

人生って、どれも愚策とわかりつつ、でも、それをやってみるしかないときもあります。

たとえば、3人に1人が離婚する時代には、結婚は愚策かもしれませんが
生涯独身が愚策でない保証はありません。

まぁ、愚策っていっても
のこぎりで人の首を切ってしまったりすると、どうかという気もしますが

でも、そこまで極端なことでなくとも
寿司屋で醤油さしをペロペロして動画投稿したとか
正直な感想をネットに書いたら、誹謗中傷ということになったとか
インフルエンサーが飲み会で、支持者の女性に足を絡ませたとかでも
かなり厳しいことになってたりするから
「愚策」をおすすめしてるわけではないんですけど

どれも「愚策」にしか思えなくても
どれかしらを選ばないと前に進めないと感じることもあります。

もちろん戦争みたいな愚策は肯定しにくいですが

そんなわけで、今日、夜勤を控えて
「それもどうかな?」と思う一方で
生活保護も、そんなに簡単な道じゃないなと
焦燥に駆られて、ついこんな文をしたためてしまいました。

「多少の愚行なしに人生は前に進まない」でした。

御一読どうもでした。

(あとがき)
「愚行」って、余程ひどいもんじゃなければ、観点の問題でしかなく
「夜勤」も「生活保護」も、観点によっては「愚策」では決してないんでしょうね。

サポートされたお金は主に書籍代等に使う予定です。 記事に対するお気持ちの表明等も歓迎しています。