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職業の背負う悲しみ(短編)

島本は女性の職業の実際をリサーチ、調査、研究するXという機関に所属していた。

島本は、アラブ方面の宗教的に敬虔な人々の住むIwan(仮称)という国に調査で来ていた。

燃え尽きるような砂漠の街で、ある石鹸売りの女性に出会った。

後ろからロバに乗った盗賊の一群がものすごい砂ぼこりを上げて通りすぎていった。

女性は持っている石鹸を全部落としてしまう。

あっ……

この国を支配する宗教の関係でベールのようなもので顔を隠していた女性の素顔が顕わになる。

はっと息を呑む。

すごい美貌の持ち主だった。

しかし、すぐまた顔をベールで覆ってしまう。

「どうしてあなたのような美人が石鹸などを?」

質問してみる。

「わたしは結婚しておりますの。この身体を直接売るわけにはいかないでしょう。わたしはこの身体のかわりに石鹼にすべてを託しているのよ。それが商売というものでなくて?」

石鹸をひろってあげると、「ありがとう」と軽く会釈をして、その細身の美人は立ち去って行った。

砂漠のかげろうの中にその女性は消えていった。


今度は極東にあるWa(仮称)という国に降り立った。

そこでわらヨシという娼婦宿が連なる街にある豪奢なつくりの娼婦宿を訪ねた。

休息をかねていたが

現れた女性に驚いた。

息を呑むような流麗な体つきをしていた。

また質問をしてみる。

「あなたのようであれば、大臣の息子とか、かなり条件のよい男性を落とせるのでは?」

「あたしはこの街で1000人の男から求婚されたの、この国には『かぐや姫』という寓話があってモテすぎると結婚から見放されるのよ」

「でも、こんな仕事ができるのは、せいぜいあと五・六年では?」

「先のことなんか考えてないわ、いまできることをやるしかないでしょう?」


つぎは、この豪奢な娼婦街の裏側に位置する、大きな河を渡った場所に位置するもっと庶民向けの、労働者向けの、ある意味ホンモノの娼婦宿を訪れた。

40歳前後と思われる女性がでてきた。

家庭をもっている女性だった。

わたしが知らなかっただけで、いまでは結構あたりまえの風景なのだという。

「旦那さんがこのような商売を許してくれるのですか?」

わたしにはちょっと、いやかなり謎なことだった。

「あっしの旦那はずいぶん前からウツ病だかなんだかみたいなビョーキにかかってて、仕事をしやしねぇズラ」

「あしには怠けとるようにしか見えねぇんだが、先生は、旦那はなまけとるんじゃねぇ、そういう無理解が一番いけねぇっていうだ。とにかく一円も稼いじゃくれねぇだ。この国は生きてくのに金がかかりすぎるじゃ。子供もおるんじゃが、スクールとかいう施設に通わせるのに気の遠くなる金が必要だでのう。スーパーとかで品出しをやってるご婦人とかは旦那が結構稼いでいる手合いじゃ。うちはスーパーで品出しじゃ、金がたりんじゃ」

「そのスクールとかいう施設は何故そんなに金がかかるのですか?」

「さぁ、よく分からねぇだ。この国ではそういうことになってるじゃ」

「ほかの仕事をやりたいとは思わないのですか?」

「慣れれば、この仕事も楽しいじゃ、スーパーの品出しなんてあまりやりたくねぇじゃ。第一、この仕事には需要があるじゃ。この世には色々な理由でフツーの結婚から見放されてる男たちが結構おるじゃ。結婚しとる男もそこそこここにくるじゃがのう。そういう人たちが労働に疲れて、スマホだけを慰めにするってありえねぇだろ?そういう人たちはLINEの友だちリストも10人登録されてないんだ。スマホワールドからすら疎外されとるじゃ、そういう人たちはどこへ行けばいいじゃ?」

その娼婦宿を出ると、島本は少し離れたところにあるさびれた公園で休むことにした。

この国に沢山ある自販機というボックスでコーヒーという飲み物を買って、ベンチで休むことにした。

となりのベンチでは、やはり40前後と思われる女性が座っていた。

髪の毛もボサボサで、齢のわりには多いように見える白髪が混じっており、ひどくくたびれて見えた。

どうも住むところがない人のようだった。

その日の最後に会ったのは今現在職業のない人だった。

ボーっとして、力なく空を眺めている。

はなしを聞いた。

「しくじってしまったのよ。いろいろね。仕事も、男も……いろいろね
両親はもういなくてね。この公園ではそんな感じの人に食事の配給があるの」

「働く気はないの?」

「いまは、あんまりね。
この国はなんだか変よ。
いまは、人々のレベルが上がりすぎていて、ちょっとやそっとじゃ、キツイ労働を抜け出せないわ。
スマホとかエレクトロ技術を味方につけることができる人しか勝てないの。
あたしより15歳は若い女の子のライバーとかいうことやってる娘が、ひと月に500万Wai稼いでいるのよ」

「最上級のスクールを出た娘が初年度に一年でやっと稼ぐ額をたったひと月でたたきだしてるの。もっとも、そういう娘たちも、決して勝ってるわけじゃないのかもしれないけどね」

もう一度「働く気はないの?」と尋ねようとも思ったが
両親を失って、友だちもいない彼女に野暮な質問のような気がして、しばらく一緒に空を眺めていたが、バツが悪くなり
「ありがとう」と言って、その場を立ち去った。
女性は「何がありがとうなのかよくわからない」とでもいったような目つきでこっちを見たような気もしたが、すぐさま、そんなこともどうでもいいという感じでバス通りのほうに顔をそむけた。
はしゃいでいた子供たちがそばにかけよったせいで、鳩が一斉に飛び立つ。
すべてがどうでもいいといった風情のその女性の後ろ姿にはあるもの悲しさが漂っている。
公園に夕方五時のチャイムが鳴り響く。

どこかの国のようにテロこそ起こってないものの独特の重さがあるWaの国の働く人を見て「ふ~ぅ」とため息を吐くと島本は帰国の途についた。

島本は、自国に戻るとホッとした。

そこそこ体のいいマンションに優秀な妻と子供たち

自分は恵まれてるのかもしれないと思った。

Waの国の人々にしあわせが訪れるといいなと思いながら、そのために特になにができるわけでもない自分には安っぽい感傷にすぎないのかもしれないが……

そののち、世界は「コロンテ」というウイルスが猛威をふるいだした。

Waの国の死者は今のところ、総人口にたいしてどういうわけか、大した数を計上していなかったが、夜の営業には規制がかけられている。

彼女たちはいまごろどうしているだろう、などという考えが頭をよぎったが、それもひょっとするとただの安っぽい感傷にすぎないのかもしれなかった。

子を産み育てる、そんな女性の原始的なあり方は、今日もう普遍ではなくなっているのかもしれない。

自分の妻とはまったく違う人生の有り様があたまの中でグルグルかけ巡る。

高層マンションの窓際から見える海には月が照らし出されている。

考え事を遮るように、島本はカーテンを閉めた。

海辺のマンションの13階の一室の明かりが落ちる。





(製作データー)
書き始め 2021年4月15日午後21時48分



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