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自由人ほど結果がでにくい

離婚率が上がったのは、社会(世間)一般が離婚に寛容になったからというのもある。

離婚イコール失敗者と考える人は今日ほとんどいないだろう。

むしろ離婚によって真の自分を取り戻すことができたみたいなはなしは、ブログ空間でよく見かける(シングルマザーになってしまいひどい不自由の人もいるかもしれないが)

フリーターみたいな生き方(僕とかです)にも、会社が正社員として面倒を見られる人数の低下等が相まって、概ね仕方ないというか寛容、あるいは夢を持ってるなら35歳くらいまではむしろ好ましいと考える人すら増えているようだ。

地位も金も必要以上は要らないという人は増えている。

正社員でウツになるくらいなら、多少給与などの待遇や世間体はイマイチでもフリーターの方がマシという考えもある。


ただ、真の自由って、意味を見失いやすいとは思う。

起業をすることも、芸術家になることも、政治家になることも、専業主夫にも何にでもなれるというのは、何にもなれないのに近い。

ランダム度の高さは結果の出にくさにもフツーはつながると思う。

でも、一方向への集中努力は結局ウツを生むだけでは?

そうかもしれない

ただ、真の自由は、他殺や自殺は基本禁じ手みたいな形で、何かしらの自己規制を設けないと、破壊的な選択に飛びついてしまうこともあるだろう。

そうすると、真の自由より、むしろ多少の不自由の方が、ごくフツーのキャパの人にとっては救いになることもあるのかもしれない。

僕は、投稿生活(Twitterなども含む)は、基本ビジネスになっていないので、投稿間隔や辞める辞めないなどもそれは僕の自由なのだ。

アルバイトは、これは僕は低所得層で貯金もないので、やらなければならない。

しかし、このやらなければならないという「不自由さ」が、むしろ今のところは多少の救いになっている。

僕は、noteとは別の場所で、路線バスの写真を中心にしたヲタクなブログを展開しているが、こちらはテーマが絞られてるので、アイデアが浮かべば記事はあっさりできる。

noteでの僕は、雑記の書き手として、特に専門がなく、小説でも、占いでも、洋楽についての記事だろうと、ある意味なんでもできる自由な空間なので、ここ2年くらいはそれがややマイナスして迷走気味の部分がある。

何でもできるということは、何にもできないのと隣り合わせで

仕事がない日に「今日やりたいことは今日尋ねろ」式だと、ボンヤリ呆然としたまま、午後の3時近くになってしまうこともある。

特に投稿空間はSNSが当たり前になってから、無数の情報がそこに溢れるようになったので、今さら、この情報が飽和してる空間に何か自分が付け加えることがあるのか?といった疑問にとりつかれることもある。

僕は別に、離婚だとかフリーターみたいな生き方に世間とかが不寛容だった時代が復活すればよいと考えてるわけでは必ずしもないのだが

自由な生き方と、結果(世間的結果でしかないが)がでることは中々凡人にとっては両立しにくいことなのかもしれないとひしひしと感じている。

お金も地位も名声もそれほどは要らないという人が増えてるのかもしれない。

そこへ、いわゆる「風の時代」とやらで、もう結果すら要りはしないのだとなれば、人はそのエネルギーをどこへ向けるのだろう。

結論感に乏しい長めのつぶやきみたいな文章になってしまったが

ある種の刑事事件は、持て余した自由と表裏一体なのかもしれず

そうすると自由な生き方は逆に強靭な意志力が必要になる部分があるのかもしれない。

というより、自由な生き方指向は、それ故の不自由感がつきまとうケースのほうが多いのかもしれない。

結果がもし欲しければ、ある程度ランダムさを抑えるしかないのかもしれない。

仕事も恋愛もその他のことも

ただ自由度の高い生活空間で、ランダムさを抑えるのは大変でもあり、事実上ムリな場合も多いだろうから、それは机上の理屈を出ないのか。

「自由」と「結果」は両立しにくいものなのか。

受験のときとかって、図書館に通って、参考書とにらめっこしてる時間が多かったですからね。


突然ですが、御一読ありがとうございました。

キリがないのでこのへんで。

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