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本当の自分なんてあるのか(朝note)

ある占いのコンテンツを見てしまい
「本当の自分にアクセス……」という表現がでてきて混乱してしまった。

芸術作品なんかは、10年前に好きになったものは今日でもやはり好きなことが多い。
というのは、芸術作品というのは、ある意味死体といえ
10年前と今日で寸分たがわぬ形式を保持している
この死体性故に感情の反転が起こりにくい
ピカソの絵に感動した人は、一生ピカソが好きなままが多い
マイケルジャクソンにせよエリッククラプトンにせよテイラースウィフトにせよ、僕と創作家は多くの場合直接交渉がない

しかし、直接交渉的な現実においては
昨日の感情(的真実)は今日の感情(的真実)ではなかったりする。

僕は、高校を出て2浪(宅浪)して大学へ進んだ
本当の自己をあえて見つめれば、ミュージシャンになりたかった
しかし、大学へ進みたいというのも、ウソの自分では決してなく
今考えれば、大学へ通った自分も決してウソの自分というわけではなかった。
ミュージシャンになりたいヤツが、大学の経済学部にいるのは、厳密には欺瞞の類だが
いま考えれば、大学にいた自分はウソの自分でも偽の自分でもない

むしろ、あとになると
あれほど、自分にとって「真」であったミュージシャンになる自分は
40にもなると、憑き物がとれるみたく「真」ではなくなった。

ミュージシャンになりたかった自分というのは今でも本当だし、否定するつもりもないけど、ミュージシャン(プロの)の自分というのは、今日現在仮構か虚構の自己で、本当の自分では多分ない
僕は、エリッククラプトンやテイラースウィフトだったことはないし、これからもないだろうからだ(部屋でギターを抱えてエリッククラプトンごっこはできるかもしれないが)

しかし、そんな「真」の自己をある意味押し殺して15年とかやってた、スーパーの仕事は、ある意味欺瞞的自己といえたが
僕のリアルを構成する出会いは、かなりそこにあるので、今考えれば
それはウソの自分や偽の自分ではなかった。

だからといって、スーパーに戻ろうとも思わない
最低時間給ギリギリのところで、ランダムなタイミングでランダムなお客様がつきつけてくる要求に対応する柔軟性はもうないからだ

あんまり、人間が(感情的な)本当のこと(自分)を追い求めるのは、案件や状況にもよるけど危険だと思うこともある。

というのは、人間が真実の自己などを直視すれば、多分、資本主義活動などを積極的にしたいという人は過半数以下の気がするし
たとえば、3カ月前に燃えるような恋慕をした人に、今日、どちらかといえば遠ざかりたくなってることとかもある
しかし、結婚して子供がいれば、とりあえず(今日における)感情の真実にはフタをしたほうが予後がいい場合もある

今日の感情的真実は明日の感情的真実を保証しない場合はいくらでもある
でも、とりあえずつきあいが成立していたり結婚していたりすれば、簡単に反故にはできないこともあるし、そのほうが予後がいい場合もなくはない(ケースによる)

こうなると、本当の自分というのは厄介でもある
「断捨離の効能」を説く人は多いけど
今日の感情や生理を「本当の(唯一の)自分」と決めつけて、あんまりいろいろバッサリ切り捨てるのはどうか?

あんまりストレスな職場や関係は、もしかすると清算したほうがいいのかもしれないけど
あんまり本当の自分なんかを見つめすぎると、芸術作品などをつくるにはよいにしても、一般社会生活には、社会・政治改革運動を起こしたいとか以外では、支障をきたすことのほうが多いのではないか?

大学に行っていた自分や、スーパーで働いていた自分は欺瞞的自己だったのかもしれないが
今日、それをウソの自分だとはあまり思わない
むしろ、あれほど「真」だった、ミュージシャンとして世界で大活躍する自分というのは、いまだとそらぞらしいほどウソの自分に思える
いや、音楽家を目指してあれこれやってた自分はウソでないし
今日、音楽や楽器がまったく嫌いになったわけでもないのだが

あなたは自分にウソをついている

こういう人もいるかもしれない
しかし、人間40より長く生きれば、重層的に自己が複雑に重なってるものだ
たとえば、今日現在好きな異性がいたとしても
突然、12年前とかに職場にいた異性を思い出すこともある
異性なんかより、ガンプラとかをもう1回つくりたい自分もいる
この中で、どれが本当の自分で、どれがウソの自分でというのを断捨離的なやり方で区分するのは、40をこえると難しいのではないか?

山本太郎みたいに、本当の自分が単一であれば、どんなにか救われるだろうと思うこともなくはないが

こうなると、本当の自分というのは、もうひどく厄介だ

お金なんて、ビジネスとかをやって外にとりに行くより、部屋の箪笥にでも入ってりゃどんなにラクだろうと考えるのが人情であれば
物価高で経済成長が終わってる今日、ビジネスなんかをすすんでやりたいのは、むしろ変態の類ではないか?
今日稼いだ1300円は、明日1000円くらいの価値になり下がる
それが物価が上がるということだ。

僕は、明日、バイトがある
バイトなんて、多分欺瞞的自己なんだろうけど
最近、あまりそういう風には考えなくなった

本当の自分にアクセス……

本当の自分なんかにアクセスしたら、下手すると、光源氏みたいに
日々違う女のところへ夜這いに行くしかないんじゃないか

ただ、それで社会生活がうまくいくのは、光源氏ひとりだろう

欺瞞、ウソ、本当の自分……

人間に、本当の自分なんかを考えさせるのはしばし毒でしかないのでは?

職場や婚姻関係が限界でっていう人はまた別なんだろうけど

いや、為政者の失態に目をそらすことをすすめてるわけじゃないけど



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