前へ進めない人の特徴
noteの下書きを削除一掃した。
去年の1月あたりから貯めたもので100本以上はあった。
個人的に惜しいものもいくつかあったが一掃した。
いや、そんなことはどうでもいいですね。
中々、前へ進めない人っているじゃないですか?
僕もそうですけど
バイトがある日は、余程のことがない限り、問答無用で職場に行きます。
それはもう迷わないです。
だから、とりあえずですが、8000いくらとかの収入になり、一応、社会の役に立ったともいえるでしょう。
ところが、仕事がない日はボンヤリしてしまうことが多いです。
一番スッキリした休日が過ごせる日は、「写真を撮りに行こう」と思い立ってすぐにでかける日です。
ところが、準備をしてる最中にnoteのアイデアが浮かんだりすると、駆け引きが始まってしまいます。
僕はアラフィフなので、少し遠いところへカメラを持って出かけるよりは、パソコンの前に座るほうが体力の消耗は少ない気がします。
カメラを持って外出のほうが気分はせいせいするだろうけど、最寄り駅までだって歩いて20分近くかかる(僕は普免持ってません。僕の住んでる神奈川は、多分、車なしで生活できる日本有数の県のひとつです)
髪を洗って髯を剃って外出の支度をするより、髪も洗わず髯も剃らずパソコンの画面を開くほうがアラフィフの自分にはめっちゃラクじゃないか?
いや、実際は投稿(Twitter以外)はそれなりに消耗します。
2時間半くらいで完成する文章でも、大体、アルバイトの工場レーン作業の6時間分くらいの体力を消耗してる気がします。
しかし、髪を洗う必要もなく、髯を剃る必要もとりあえずない(ものぐさな物書きライフ、スキンヘッドにしたらどうだ? いやでも、クリリンは毎日頭を剃るわけでそれもそれで面倒だ)
いや、つまり
「A」というアイデアしか浮かばず、別のアイデアが浮かばない状態がもっともことがスッキリ進むわけです。
ところが「A」に対して「B」や「C」
あるいは「A」に対して「マイナスA」というアイデアも浮かびます。
マイナスというのは、それをやめておこうというアイデアで「A」を打ち消すアイデアです。
「A」しかない人の人生はスムーズなことも多いです(障害の有無や「運」にも左右されますが)
たとえば、イチローは「野球」「野球」「野球」「野球」「野球」
どこまでいっても「A」オンリー
奥さんもすごい良妻のようですので、こちらも「不倫」というアイデアは浮かびにくいと思われます。
「神」ど同義の立ち位置をつまらない女との「不倫」でわざわざぶち壊す可能性は少ないように思われます(わかりませんが)
また、「神」を犯そうと考える女性も、そんじょそこらにはいないと思われます。
ところが、中々こうはいかないのが、「神」ではない一般人の悲しいところ。
「A」と「B」と「C」のアイデアが同時に浮かんだら、まず、その人の人生は遅々として進みが悪いものになるでしょう(全部を一遍にできる傑物を除けば)
一般の人がSNSなどで投稿に乗り出すようになって、情報の相対化もまた激化してる感じです。
この激流に近い相対化が起こる大河のような流れの中に、虚しくも投稿を放つ自分がいます。
昔の人は、リアルとマスメディアしかない世界に生きていました。
今の人は、そこに投稿メディアが加わり、情報を得るだけでなく発信者としても複数のメディアを使いわけています。
イチローみたいに「A」「A」「A」「A」という風にはよくも悪しくもいかないわけです。
イチローみたいにはいかなかった僕は、「B」「C」「Z」「R」「T」(この羅列に意味はありません)と分散する自己に頭を悩ましてもいます。
コ〇ナ以降、時代の激流にもまれてる感はすごくあります。
モノや情報、価値の相対化が加速したようで
noteみたいな場所もまだ4年くらいしかいないんですけど、コ〇ナ以前のnoteの出来事(公式イベントに出かけて、登壇者やCEOの顔を見たこととか)が遠い昔のことのように感じられます。
家族とかを除くと変わってないことのほうが少ない感じです。
4年前、父が亡くなり、30年振りくらいに再会した親戚の姉と家の母で会話になり、「まだ結婚してないんですよ(僕のこと)」と母が言うと、その姉が「選んでるからよ」とボソッと言いました。
イチローみたいに「A」「A」「A」「A」とは諸事中々行かないものですね。
イチローみたいに才能がハッキリしてれば、小学生のころからプロ球界から注目されて手を引っぱられることもあるもんですが
凡人はそうはいかないですよね。
今日はnoteよりカメラをやるべきだったのかなぁ~なんて考えたりもしますが、遠方に出かけるにはちょっと遅い時間。
「前へ進めない人の特徴」でした。
御一読ありがとうございました。
(製作データー)
書き始め2022年5月2日午後0時04分
(あとがき)
一時期、悶絶死しそうなほど苦しんで、顔面蒼白脂汗タラタラだったTwitter(趣味アカウント)の状態が逆転し、こちらが56とか92「いいね」がついて何故か盛況。
でも趣味って毎日やってるとゲップがでるから、意図的に見ない日もつくってます。
一方のnoteは4月の月間「スキ」数が「8」で、これは全期間で最低記録
月間PVは「500」を割ってしまい、こちらは2019年の5月以来
「いいかげんやめちまえよ!」と言わんばかりで、強制終了かななんて思うこともありますが
ただ、noteでの自分って、たとえお客がめっちゃ少なくても、この種の考察なりアイデアの書止めって自己省察としても必要な気がするんです。
だから、コミュニティーの形成に失敗しても、アイデアの書止めの場として、それなりに続けるのかななんて、今のところ思っています。
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