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居場所はどうやってつくるのか?

居場所がないっていうはなしを聞いたのは
ネットカフェ難民みたいなはなしを聞いたころか
または、不登校が問題にされたころか忘れたけど
とにかく震災より前のはなしだと記憶してる。

自分は、70年代生まれの中高年だけど
2000年より前は、あんまり居場所がどうのなんて問題は少なかったと思う。

僕も、小学校で2回転校して、すごくバツが悪くて、1回はいじめにつながる転校だったけど
2000年より前は、あんまり居場所がどうのなんて悩みはなかった。

いまみたいにスマホはなかったけど
他者がオーガナイズしてる空間がもっとあって
ラジカセとかもってりゃ
ラジオ日本、日本放送、文化放送、J-WAVE、FM横浜、NHKFM
そんなの部屋で流してりゃ、とりあえず居場所はできちゃう
それらって、地上波のテレビと一緒で無料のサブスク

これらの利点って、双方向メディアではなかったっていうのがある
リスナーからのはがきが読まれるくらいはあっても
基本、一方行
SNSとかメールって、双方向メディアだから
たとえば、LINEに丸二日返信がないと、「どういうことだ?」って気を揉むし
Xでリプして、ノーリアクションのリプが3つだと
「のけものにされてる」とか被害妄想的になる

双方向メディアって
「自分が大切にされてない!」とか
「自分はのけものにされている」とか
「誰かが陰謀を企ててる」とかっていう信念をすごく強めてしまう気がする

だから、いまの空間って、他者に親と同じくらい、あるいは
神と同レベルのものを求めようとして
または、他者に対して、実親や神と同レベルであろうとして
そんなの無理に決まってるから、「ああ、ダメだった」って肩を落とす。

そこで、なぜ俺はダメなのか?ということを考えた時
「空気を読まないからだ!」って考えて
空気を読む文化がめちゃくちゃ先鋭化して
「空気を読まないヤツ」を即刻でつるしあげようとする(僕も、あんまり人のこと言えませんが)

で、根底に「わたしが(おれが)大切にされない」不信があって、それを探し求めるんだけど
ネットの時代って、そういうとき、想像力が貧困になって
ほとんどの人が陰謀論にとびついちゃう(僕もややそうだけど)
Xとかって、ある意味陰謀論が充満してる(事実か否かは別として)

で、ある条件が満たされれば、わたしは(オレは)もっと大切にされるハズって考えて、悪循環的に空気を読む。
しかし、どこまで空気を読んでも、一向に大切にされる気配がない
そもそも空気を読み間違えてることがほとんどなんだけど
そこで、空気を読まないのに、ひどい目に遭ってない(ように見える)人とかに不満を募らせる
そこで破裂が起きると、ネット炎上
昔だと、五・一五事件みたいなテロ

すごく長くなっちゃったけど
だから今の人って、空気を読まなければいけない

で、結論っぽくなるけど
居場所がないっていうか
居場所をつくれない理由は
これは、ネットよりリアルのはなしだけど
空気を読む文化のせいで、若い人を中心に
図々しさみたいなものが欠けてる気がする

いや、これは居場所で悩む人のはなしだけど

たとえば、職場や学校や、その他の場所で
なんか、自分がそこにいるおかげで、場の空気が悪くなってる(ように思える)ときがあって、そうしたときに
「自分がここからいなくなれば」とか「自分が死ねば」とか
「自分がしりぞけば」とか、あるいは、空気を100点満点で読む「完璧な自分ができれば」とか考える

図々しくないの

悪い意味で、太宰治みたいな繊細

場所っていうのは、ある一定の義務や役割をはたしたり、最低限のルールをそれほど乱さなければ、図々しさが多少なりともないとつくれないと思う

いや、図々しさっていうのは、まわりに一切気配りがないってことじゃないけど
他人の感情に責任をとりすぎないっていうか

「自分はこれだけやってますから、あなたの要求はこれ以上飲むつもりはありません」って誰に対しても言えないといけないと思う
いや、これは、病気の人とかお年寄りとかひどく弱ってる人を除くけど
無限に相手の要求を呑んでると、誰でもぶっ壊れると思うから

無限に要求をのんだり、尽くしたりは、これはプライベートの関係だから
対社会の関係でそこまでやるのは、豊臣秀吉とか徳川家康とかが世の中牛耳ってた時代ならいざしらず、今日的ではないと思う。

居場所がないっていうのは、だから、他者が無料でオーガナイズしてくれるサブスク的な快(テレビとかラジオ)とかが力を失って
そこへ、空気を読むという果てしない「重税」が課されたからというのもあると思います。
いや、空気を完璧に読めば、いつか自分の素晴らしい場所ができるという誤った前提を手放せないからだという気がします

いや、空気を読むことの一切がいけないんじゃなくて
ある種の図々しさ(いい意味での)がまったくないんだったら
空気を読むことなんかに、メリットはないはずだ

いや、職場とかでは、無論、ある一定の職責を果たしてる限りっていう但し書きがつくけど

ネットとリアルだったら、リアルのほうが顔の表情が見えるから
空気の読み間違いはネットよりは減ると思う

「お邪魔ですよね?」って、さっとどいてあげる気配り力みたいのも重要だと思うけど
ある場所で、そんなにめちゃくちゃ大事になんかされてるわけではないんだけど、それなりに図々しくそこに居座れる
凡人は、こんなかたちでしか居場所なんてつくれないと思う。

それは、多少はしんどいことで
自然体でどこにでもいれる人がいれば、それが一番素敵でラクだとは思うけど

親より自分を大切にしてくれる人なんて、30年でふたり現れるかどうかだと思うから
自分がより大切にされる場所とか、客観的にすごく価値ある場所(会社とか)を探し求めるのをいますぐやめて、
ある種のずうずうしさで場所を勝ち取るんです

もちろん、若い人が、会社で、入ったばかりなのに図々しさを発揮すれば、そりゃもちろん総すかんを食らうでしょうけど
いろいろ、その過程でまなぶことがあるんじゃないでしょうか?


(あとがき)
図々しくさへあれば、どんな場所をも勝ち取れるといってるわけではありません
そうでなく、居場所がないと世界に脅えるような人に欠けてるのは、ある種の増図々しさではないかというはなしです
「図々しさ」は無敵だ!とか、そんなことをいってるわけではありませんので読み違えないようにお願いします

そこまでやるほど会社や学校なんて価値あるもの?

いや、客観的に価値のある場所とか事柄なんて、多分、地上にはほとんどないんです。
価値なんて、その人がどうでるかが半分だから

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