note_第52回草加生き物伝説

草加いきもの伝説/新井由木子

 草加の歴史の中には、さまざまな生き物の伝説が息づいています。
 草加宿場町通りの北の外れ、草加松原の松並木では、往診に出かけたお医者さんが狐に化かされて、松の幹に注射を打ったなどという昔話があります。また、宿場通り街道内でも狐は頻繁に見られたようで、草加の宿の多くを焼き尽くした大火の際には、出火の前日、近辺の狐が大変に騒いだという言い伝えも残っています。
 元々湿地帯だった草加の辺りに街道が整備され、その周りに人が集まり田畑ができ、狐の棲める環境があったのだろうと想像します。

 それから時代はぐっと現代に近くなり、今から70年くらい前。わたしの老父が少年だった頃になると、さすがにもう狐は見られなかったそうですが、田んぼの畦道を横切るイタチの姿は、頻繁に見られたそうです。
 また、犬たちが比較的自由に町内を散歩していたそうで、草加小学校のグラウンドで遊ぶ子どもたちの中に犬が交ざっていることもよくあったとか。鬼を決めるジャンケンの輪に入っていた犬が、プーッとオナラをしたのが可笑しくて、みんなで笑いながらその犬を追いかけたこともあったそうです。

 それが今では草加に住む野生のいきものは、小鳥と鴉(カラス)と、猫くらいになりました。

 さて、草加宿場町通り4丁目あたりに、先ごろまで一匹のノラ猫が棲んでいました。
 この猫にはいくつかの名前があります。通りの鈴木獣医では『しんちゃん』と呼ばれているらしいです。その2軒隣の鈴木薬局で『おかあさん』と呼ばれていたのは、子猫を育てていた時代に薬局に間借りしていたからだそう。更にその4軒隣のバル・スバルで『ニャン』と呼ばれ、バル・スバルに入り浸るようになってからは、『スバル』と呼ぶ人も多くいました。
 『ニャン』は、丸い頭が大きくて体が小さいので、一見子猫のように見えるけれども、実は大そうなお婆さん猫でした。きな粉色のキジ猫で、たまに見せる目つきの悪さと狸のように太い尻尾が特徴。獲物を狩るべく側溝の穴をいつまでも見ていたり、道端のコンクリートの涼しい場所(あるいは冬には暖かい場所)を選んでゴロゴロしていて、機嫌が良ければ道ゆく人にも体を撫でさせてくれました。

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 その『ニャン』の姿が見えなくなったのは、厳しい寒さが続いた昨年の暮れのことでした。4丁目の人々が心配する中、エコマコーヒーの裏で震えているのを発見され、バル・スバルの店主(以下スバル)によって、鈴木獣医に搬送されました。診断は猫風邪。栄養補給の点滴を打って徐々に回復し、退院する時には鈴木薬局もニャンの顔を見に行ったといいます。

 療養のためスバルの自宅にしばらく暮らしていましたが、外に出そうとするとスバルの腕に頭を突っ込んで嫌がり、玄関から出ようともしないとのこと。スバルもニャンを飼う決心をし、今はのんびりと飼い猫生活を楽しんでいるようです。
 先日スバル宅で水風船大会(思いつき書店vol.049)をやった際、スバルに抱かれたニャンに触れると、顔つきがすっかり柔らかくなっていましたが、肉球は長年のノラ暮らしでザラザラしていました。

 こんな話も、いずれ草加のいきもの伝説になるのかなあ。なるといいなあ。

(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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