note_第67回_叔父の葬儀

叔父の葬儀/新井由木子

 叔父の葬儀に参列するため、伊豆諸島の新島に行ってまいりました。
 長い間、病と闘っていた叔父だったので、死の知らせは急ではあったものの、皆ある程度心の準備ができており、滞在させてもらう叔母(母の妹)の家に着くと、誰もが穏やかな落ち着いた雰囲気の中にいました。

 従姉妹のみっちゃんが
「戒名って、必ずつけなくてはいけない、っていうことではないらしいよ」
 お茶を啜(すす)りながら言うと、
「じゃあ本名を墓石に彫ってもいいんだ」
 母が答えます。
「それって、なんだか『金魚の墓』とかの雰囲気あるね」
「アイスの棒に書いて刺してるレベルだよね」
 二人が向かい合って笑っています。
「戒名って、自分で好きにつけてもいいらしいよ」
 更にわたしが言うと、みっちゃんが
「じゃあ『紫式部の墓』とかにしてもいい訳だ」
「生きてる時は普通の人で、死んだら紫式部!」
「じゃあ、隣に『光源氏』でお父さんの墓を建てよう!」
 わあわあと、笑っていると、
「そろそろ支度をしないと、間に合わないよ!」
 しっかり者の叔母が手を叩いて、あたふたと一同喪服に着替えるのでした。

 葬儀は納骨式もその日のうちに含めて、新島の荘厳なお寺で行われました。
 叔父の身体は、すでにお骨になって、骨壺を覆う白い骨箱に入っていました。納骨式と葬儀が同時に行われるのは、最期の時間に島を離れ、本州の病院にいることの多い、島特有の事情によるものです。

 叔父のお骨を祀った祭壇の前で読経、それから寺の本堂に移動して更に読経をします。
「南無妙法蓮華経」と唱える法華経は思わず体を揺らしたくなる明るいリズムを繰り返し、そこからBメロというべき、渦を巻くような心地よい旋律が子守唄のように変わります。
 白いお骨の箱の上にぼんやりと浮かんだ懐かしい叔父の幻が、心地よさげに目を瞑(つむ)り、極楽の雲の上に横たわる幻が見えるように思えました。
「兄貴も気持ちいいだろうなあ」
 と、隣でそっと呟いた母の言葉に、その幻はわたしだけがイメージしたものではないのだと感じました。
 読経は更に納骨した墓前で行われ、最後にもう一度本堂で行われ、参列した誰もが心地よさげに声を合わせて唄うのでした。

 その夜は叔母の家に泊まり、母と一緒に眠りましたが、不思議なことがあったのはその深夜のことでした。
 眠れずに布団に横になっていると、窓の外から聞こえるはずのないお神楽が聞こえてきたのです。それはとてもかすかな音色で、気のせいなのかと思うとそんな気もして、静かになります。けれどしばらくすると、小さくチリンと金属の音がし、歌声が聞こえてくるのです。
 カーテンの向こうの窓はポウッと明るく、今、外を見ればあの世の行列が見られるのではと思いました。でも逆にお神楽が去ってしまうような惜しい気もして、ひたすら耳をすませるのでした。

 お神楽の正体を言えば、それはわずかに降り出した雨が、戸外のガラスや鉄材に当たる音なのでした。離島の夜は、家の中にいてもそのような繊細な音も聞こえるほどに静かなのです。そして耳に残る昼間の読経が、わたしにお神楽をイメージさせたのでしょう。しかし単なる自然現象ではあれ、美しいあの世に叔父は旅立ったのだというしるしをもらったようで、胸が満たされた気分になりました。

 叔父は、古文書を読み解くなどして新島の歴史にも造詣が深い人でした。
 新島の歴史に興味のあるわたしに、過去を調べるにあたり、差別などにも触れかねないことや、人々が脈々と生きていることを尊び、思いやる優しさが大切だということを教えてくれました。
 叔父と会えなくなったのは、とてもさみしいけれど、胸に灯る強いものを残してくれたことが、今は嬉しいのです。

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(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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