『オールド・クロック・カフェ』6杯め「はじまりの時計」(7)
* * * Confession * * *
なにかを言いかけて口を閉ざした母に桂子は、
「別のことって何?」と問いかけた。
顔見世観劇の同じ記憶を思い出したけれど。あたしがお母さんを避けてきたのは、いじめの告白とは異なる、まったく別のことが原因やと思っていたのだろうか。あのシーンのどこに、そんな場面が。
「たいしたことやないから忘れて」
母が大げさにふる手を父がつかみとる。
「万季さん、逃げたらあかん」
「……ちゃうかったんやし、今さら」
「ずっと謝りたかったんやろ。このまま十字架を背負い続けるつもりか」
公介が幼子を諭すように母にいう。
「……逆に傷つけてしまうかも」
心細げに言葉が尻すぼみになる。
「万季、怖いか」
祖父が静かなのによく響く声をなげた。
母の視線が桂子の前で一時停止し、はす向かいの祖父へとうつろう。
「怖いよ。今度こそほんまに嫌われてしまうかもしれん」
「せやな。せやけど微妙にまちごうてる噂を桂子がどこぞで聞いて信じてしもたら、どないする? 訂正も謝ることもでけへんで」
母は歯型がつくほどきつく下唇を噛みしめ、縋るように隣席の夫を見つめる。公介はそんな万季の手をさする。
父も祖父も桂子も、母が口を開けるのを待っていた。
時を刻む振り子の音が響く。
かたかたと窓ガラスを十二月の風が鳴らす。
だるまストーブの上でケトルがため息のような蒸気を漏らしていた。
このまま時が止まってしまうのでは、そんな感覚にとらわれたときだ。
「南座のロビーで男の人に会うたの、覚えてへん?」
和紙がこすれるほどの微かな声がもれた。
弁当の折箱を片付け、舞台中央を見つめていた母は突然立ちあがると
「混む前にトイレに行こか」と桂子の手をつかみロビーに足早に向かった。 桂子は引きずられるようにして通路の階段をおりる。観音開きの扉を出たところで母が急に立ち止まり、桂子は前につんのめりそうになった。
母が誰かにぶつかっていた。
甲高い声で謝っていたが、知り合いだったようだ。
「娘の桂子です」
きつく両肩をつかまれて、知らないおじさんの前に押し出される。
男の横に訪問着姿の女性と桂子ぐらいの歳の少女が立っていた。桂子は中途半端に頭をさげ、足もとの真紅の絨毯を見つめていた。おじさんの顔は覚えていない。アイボリーのタートルネックしか目に入っていなかった。
「あの人が……あんたの……生物学上の、父親よ」
母は言葉を絞りだし、最後は吐き捨てた。
(to be continued)
第8話に続く。
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