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【ミステリー小説】腐心(4)

第1話は、こちらから。
前話は、こちらから。

<前話までのあらすじ>
昭和50年代に宅地造成された住宅街のテラスハウスの空家で高齢男性の遺体が発見された。死後五日ほど経つとみられる遺体は、連日35度超えの猛暑日のなか腐っていない。死体の発見者は、シルバー人材センターから空家の雑草処理に派遣された二人の庭師だった。死体が腐っていない状況について鑑識の浅田は、ヒ素の関与をほのめかす。
現着した被害者家族夫婦に「ここは暑いから事情聴取は署で」と香山は提案する。

<登場人物>
香山潤一‥‥H県警東野署刑事課巡査部長
樋口武史‥‥巡査・香山の部下
浅田‥‥‥‥鑑識係員

 東野警察署の駐車場は、庁舎の裏にある。
 県道に面した庁舎正面の角を曲がった側道から白いコンパクトカーが滑り込んで来た。ハンドルを握っていたのは、意外にも妻のほうだった。
「先に生活安全課で、ガイ者の行方不明者届けが出てないか確認してくれ。俺は二人を相談室に案内する」
 駐車場のコンクリートは直射日光を反射して、じわりと揺らいでいた。太陽は中天にある。足早に裏口へ向かう樋口の巨躯をもってしても足もとにわずかな円形の黒い影が動くだけだ。香山は額に手をかざし、白のホンダのフィットがバックで駐車する手際を眺めた。
 一般市民を連れているため駐車場と直結している裏口は使わず、正面玄関に回った。エレベーターは入ってすぐの右奥にある。筐体きょうたいは頑丈だが速度の遅い年代物だ。ふだんは階段を使うが、初老の夫婦を伴っているので迷わずエレベーターのボタンを押した。四階の倉庫に資料でも運んでいるのだろうか。「4」を表示したままいっこうに降りてこない。香山は表示板をこつこつと指の第二関節でこづきながら背後を振り返り、すいませんねえ、お昼どきなのにお待たせして、とへらっと笑う。食べる気になれないのでおかまいなく、と返された。夫婦は似てくるというけれど。二人は中肉中背で背丈まで同じくらいで、表情を失ったままぼんやりと二本の棒が立っているようだった。
 エレベーターを二階で降りると、刑事課の向かいの相談室に招き入れた。
 西向きの窓が一つきりの長方形の小部屋は、相談室の表示はあるが、簡単な事情聴取に使うこともあれば、会議や事件の擦り合わせをしたり、資料調査にこもったり、休憩や仮眠室がわりに使う輩もいる。フリースペースといえば聞こえはいいが、使い勝手のいい雑務部屋だ。壁際にホワイトボード、部屋の中央に長机が二つ向かい合わせに置かれている。さすがに署内も禁煙がやかましくなり、この部屋からも灰皿が姿を消したが、元は白かった壁や天井はヤニで黄ばんでいる。扉は開けたままにしておく。
「や、散らかってて、すいません」
 香山は手早く長机に散乱している紙類をまとめて段ボールに突っ込み、おずおずと室内を見回している二人にパイプ椅子をすすめていると、樋口が「遅くなりました」と野太い声をあげて駆けこんできた。バインダーを脇に挟み、両手に緑茶のペットボトルを四本かかえている。体育会系特有の威勢のいい登場に、二人がびくっとする。樋口は、しまったという顔で肩を縮め、「どうぞ」と声のトーンを二段階ぐらい押さえてペットボトルをぎこちなく配る。樋口は、自分の体格が初対面の相手を怖がらせることに十分な自覚がある。参考人聴取や聞き込みでは、相手の警戒をとく重要性もわかっている。それでもラグビーで叩きこまれた癖が抜けない。
「こんなでかいやつが大声だしたら、そりゃビビりますよね。ボリュームを押さえろと注意してんですけど。元ラガーマンの癖が抜けないんですわ」
 香山が苦笑すると、
「ラガーマンですか、ポジションは?」
 男のほうがぱっと表情を明るくする。
「フォワードのバックローで」と樋口が説明するのをまたずに、「ナンバーエイトかな?」とかぶせる。
「よくご存知ですね」
「若いころは花園にしょっちゅう観に行きましたよ」
「地方の弱小大学だったんで、花園の土は一度も踏めませんでしたが、花園に行くぞを合言葉にスクラムを組んだ日々でした」
 そうか、そうかと目を細め、「いやあ、それにしてもいい体してるね、さすがだ」と樋口に笑顔を向ける。少なくとも男の方からは警戒心が霧散していた。それを見計らって、香山もやんわりとした口調で、
「私も何度か花園で観戦しましたが、木本さんは詳しいですね。あ、木本さん……で合ってますか」と問いかけた。
「ええ、木本和也です」
「では改めまして、お名前と住所、柳一郎さんとの続柄を教えていただけますか」
 香山はさりげなく供述に誘導する。樋口が隣でメモを手にした。
「木本和也、五十七歳です。年齢は、必要なかったですか」
「いえ、お教えいただけると助かります」
「住所は東野市若草町3丁目12-1です」
「ということは、柳一郎さんとは同居で」
「はい、一人息子は就職して独立しているので、現在は父と妻との三人暮らしです」
「柳一郎さんのご長男ですね」
「いえ、次男です。兄夫婦が東京にいます」と言いながら気づいたのだろう、兄貴にも連絡せんといかんな、と隣の妻に小声で漏らす。
「ご結婚当初からの同居ですか?」
「いえ、八年前に母が亡くなってからです。父は、家事がまるっきりだめでね。横手町の実家を売ってわが家に」
「ご長男ではなく、次男のあなたが引き取られた?」
 香山の疑問に反応するようにぱっと妻が伏せていた顔をあげ
「そうよ、次男だから親の面倒をみなくてもいいと思って結婚したのに」と夫を睨む。
「こんなところでする話じゃないだろ」木本が憮然とすると、
「あら、家でも警察でもいっしょじゃありませんか。自分は仕事が忙しいからって、お父さんの世話は私に押しつけて。まともに話を聞いてくださったことがあって?」
「よせ、と言ってるだろ!」
 怒鳴りつけると、妻は、ふん、とそっぽを向く。
 まあまあ、と香山は取りなしながら、奥さんのお名前をお伺いできますか、と質問の矛先を妻に振る。
「木本佳代子、五十二歳です」
「奥さんは専業主婦? それともお勤めですか」
「週二日だけですけど、午前中に近所の歯科医院でパート勤務してます」
「看護師さんか歯科助手さんですか」
「歯科助手です」
 そうですか、と叩頭しながら香山は行方不明者届けの挟まれたバインダーを開ける。
「柳一郎さんが失踪されたのは……」
 書面を確認していた視線が止まる。
「三日前の7月31日で、まちがいありませんか」
 佳代子は困惑した表情でちらりと夫を窺い、「それは……」と言いかけて口を閉じる。
 どういうことだ。
 正式ではないが鑑識の浅田の見立てでは、仏は死後五日ほど経っている。だが、失踪したのは三日前だと?
 香山は木本夫妻をまじまじと見つめた。

(to be continued)


第5話に続く。


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