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アンノウン・デスティニィ 第25話「ノゾミ(6)

第1話は、こちらから、どうぞ。

第25話:ノゾミ(6)

【2041年5月13日、鏡の世界、つくば市・アンノウン・ベイビー園脱出】
 パトカーのけたたましいサイレンがこだましていた。複数台が出動しているのだろう。また2台が通りを南下していく。
 アスカは黒髪のウィッグをつけ、髪色となじむ黒のキャップを目深にかぶりカイのリードを手に北へとランニングしていた。キョウカはバス停でスマホをいじっている。

《蛙はどこ?》 
(どこに帰ればいい?)

《池だ。忍者はヘブンにいる》 
(実験林アジトだ。バイクは天辻板金工業倉庫にある)

 「忍者」は400㏄バイク・ニンジャのことだ。「ヘブン」は山際調査事務所の自動車整備を裏で請け負う天辻板金工業の倉庫を示している。アスカたちがいつ帰ってきてもいいように、ニンジャを天辻板金工業の倉庫に運んでくれていたのだろう。
「天辻板金工業に向かって」
 キョウカはインカムでアスカに伝え、やって来たバスに乗った。
 
「そのかっこうでバスには乗れないでしょ」
 アスカは学園で黒龍会の男の注意を引くため、ビジネススーツを脱ぎ捨てて燃やし、水色のTシャツに黒のランニングパンツ姿になっていた。越鏡でついた脚の傷も目立つ。帰りはアスカがカイを連れて走り、キョウカはバスで戻った。
 
 落陽が倉庫の内部を低い角度で照らす。すでに影が支配しはじめている。
「帰ってくるのに、5年もかかっちゃった」
「6時間しか経ってないのにね」
 カイの前にドッグフードと水の皿を置く。アラタが引き取りを母親に連絡しているはずだ。「ありがとう」とゴールデンレトリバーの金の毛並みを撫でる。
 ふたりとも無言でニンジャの黒いボディにまたがる。アスカはキョウカの腰にしがみつき、ユイの、いやノゾミの泣きそうな笑顔を思い出す。熱い感情が胸を逆流する。噛みしめる嗚咽が風にちぎれる。 
 タンデム走行の黒いバイクはいったん実験林北東の通用口を通り過ぎた。あたりに不審車がいないことをたしかめると、コの字型に道路を迂回し通用口にすべりこむ。
「やあ、お帰り。5年も心配かけやがって」
 けさ出て行ったばかりのアジトは、趣が一変していた。
 狭い事務所スペースにアラタの私物のパソコンと周辺機器が押し込められている。
「何があったんですか?」
 アスカの問いに、瑛士が「いや、まあな」と苦笑いする。
「とにかく食べましょう」
 カレー皿を並べながらアラタは気づいたのか、「あ、すみません。キョウカさんたちは、3日連続でカレーに……」
「いいよ。アラタのカレーは絶品だから」
 キョウカがテーブルの上を手早く片づけ座る。
「ふたりともひどくイカシタ恰好だが、何があった」
 瑛士がカレーをぱくつき世間話のついでみたいに訊く。
「アンノウン・ベイビー園で、ユイという4歳の女の子にあった」
 アスカがユイのことを語る。視力が弱く光しか感知しないこと。コウモリの羽のついたリュックが視力を補っていること。
「エコーローケーションだっけ?」キョウカがなぞるようにいう。
「コウモリの超音波による物体認識力のことですね。それを装備したリュック……すばらしい」とアラタが感心する。
 コウモリリュックは、ユイが「パパおじさん」と呼ぶ人物が作ったこと。ユイには透と同じ透視能力があること。アンノウン・ベイビーたちは先天的になんらかの障害を持っていること。アスカが指を折り確認する。
「あたしはユイの指示で『特別室』を見てきた」キョウカが口をはさむ。
「特別室? 何だそれ」瑛士が訊くと、
「見ればわかるよ」とキョウカがアラタにマイクロSDを渡す。
 パソコンのモニターに映しだされた画像に言葉が途絶える。
 教室ぐらいの広さの部屋に、ひと目で畸形がわかる子どもたちが集められていた。下肢が未発達の子に保育士が義肢を装着しようとしている。車いすに乗っている子、ダウン症児特有の顔つきの子もいる。
「見学者に見せたくない子たちの……部屋」アスカが言葉を絞りだす。
「そうね」キョウカ苦々しげに口をゆがめる。
「政府はアンノウン・ベイビーたちの養子縁組を推奨していますからね」
 珍しくアラタが語気を強める。
「ああ、物心がつく3歳までに養子に向かえたほうが、親子関係がスムーズになるとかなんとか、もっともらしいことを言ってるが。要するに、障害が発症するまえに片づけたいって魂胆だな」 
 瑛士が吐き捨てる。
「先天的な障害って、生まれてすぐに明らかになるんじゃ」
「いや、性ホルモンに関する遺伝子の不具合は、思春期になってから発症するものもあるときく」
「ほぼ全員がなんらかの障害を持っているのだったら、プロジェクト自体が失敗でしょ。やめればいいのに」
 キョウカの意見にアスカは心からうなずく。
「難しいだろうな」瑛士が食後の一本をふかしながら、腕組みする。
「どうして」キョウカが詰めよる。
「ここまでプロジェクトが進んじまうと、いろんな利権も当然生れてる。いまさら止めることのほうが困難だ。はじめは小さな雪玉でも転がしゃ、どんどん周りの雪やらゴミやらをくっつけて大きくいびつになりスピードもついて止められねえ」
「……じゃあ、どうすれば」
 キョウカが声をとがらせる。部屋は静かな怒りに支配された。
 沈黙が息苦しくなりはじめたころ、「あの」とアスカが話題を変えた。
「ひょっとして瑛士さんもアラタも、ここで暮らしてるの?」
「ああ、まあな」と瑛士が頭を掻く。
「黒龍会の襲撃にあったんです。あのあとすぐ」
 アスカとキョウカが、がたっと椅子を倒して立ちあがる。
「それで今はここが根城になってる。筑波山ふもとの第2アジトに移ることも考えた。ここはちぃっと手狭だからな。だが、止めた」
「なぜ」アスカが心配を隠さない。
「ここは国有地だから、やつらも手が出せん。だからさ」
「でも、なんで襲撃まで。裏切り者のAを探してるなら、事務所を家探しするだけでいいんじゃ……」
「襲撃の理由はAじゃない」
「じゃあ、何?」キョウカが訊く。
「『フォレストみやま』からひとり生還したやつがいただろ。そいつがやっかいなことに、黒龍会のナンバー2の歳の離れた弟だった。ナンバー2は王龍雲ワン・ロンユンっていうんだがな。弟は兄に認められたいあまり、バンクラボ前で勝手に張り込んでたそうだ。弟が命からがら逃げかえってきたことに龍雲ロンユンが激怒して、二人組の女を探している最中に、また、弟が行方不明になった。で、うちを襲撃しやがったのさ」
 アスカとキョウカが顔を見あわせる。
「アンノウン・ベイビー園の庭に黒龍会の構成員がワープしてきたの。額の傷がいっしょだったから、『フォレストみやま』で仕留め損なったひとりにまちがいないと思う」
 アスカがいうと、「なんだって!」瑛士がくわえていた煙草を落とす。
「学園の緑の迷路に誘い込んで仕留めた。脈がないのも確認したから、こんどは失敗してないと思う。すぐに警察も駆けつけてたし」
 キョウカが結果を捕捉する。
「なんだって、また、そんなところに」瑛士が渋面をつくる。
「激怒した兄に軟禁状態にされてたはずなんですけど、抜け出したみたいです」とアラタが眼鏡をあげ、
「おそらくですが、バンクラボのあたりを嗅ぎまわって偶然ふたりに気づいた。あるいは、ふたりが消えた瞬間を見た。黒龍会の構成員なら気づいたでしょうね、ふたりが消えたのは、越鏡したからだって」
「それで追いかけたのか」瑛士がうなる。
「それにしても、おかしいですね」アラタが首をひねる。
「何が?」
「2036年の時点では、あそこは工事中で関係者以外入れなかったはずです」
「おお、そうだったな」瑛士がアラタに感心する。
「時間は?」アラタがアスカに目をやる。
「1時半ぐらいだったと思う」
「ミラーナンバーが適用されていれば13時31分だから、時間はあってますね」
「場所だけがずれた?」キョウカがたずねる。
「おそらく。空間のひずみがおかしくなっているのかもしれません」
「あたしたちが頻繁に越鏡するから?」
「その影響は排除できません。ただ、『優性卵プロジェクト』がこちらの世界では存在していなかったから。以前から狂いはじめていたのかも」
「そうだな。世界がどっかおかしくなりはじめてるんじゃねえか」
 瑛士がまた煙草に火をつける。
「そうだ、警察に手を回してください。男が急にあらわれて園児を人質にして逃げたことにしておく、と園長は言ってくれたけど」アスカが瑛士に裏処理を頼む。
「わかった」スマホを手に立ちあがる。キッチンのパントリーにもたれて話しだす。
「……ああ、それでいい。そうしてくれ」スマホを切ると「薬物中毒者で処理してもらうことになった。ヤク中にすりゃ、黒龍会にガサ入れができていいとさ」
「それと」とアラタが言いにくそうに切り出す。「どうも鏡界部の監視対象にもなってるみたいなんです」
「それも……あたしたちが何度も越鏡したから?」
 アスカの問いにアラタは、
「というか、鏡界部はそもそも『愛の行方』を追っていたでしょう。黒龍会を内偵していた鏡界部が、2035年5月11日に車が2台越鏡するのを目撃したのではないでしょうか。越鏡を疑い捜査したが鏡界に痕跡がない。ぼくも鏡界部のデータをハッキングしてたしかめてます。すると1年後に該当車が同じ場所で炎上した。それで彼らも時を超えたことに気づいた。そこからアスカさんたちの車もワープした可能性があると」
「ただし鏡界部は証拠を何ひとつ持ってねえからな。ま、ゆるーい監視だ」
「すみません。あたしが……来たばっかりに」アスカが頭を下げる。
「気にすんな。ようやく映画っぽくなってきた。なあ、アラタ」
 瑛士が豪快に笑い飛ばす。アラタは背を叩かれ、飲みかけのコーヒーをこぼした。
「それで、次はいつなんだ」
「20415151001だから。あさって5月15日10時01分、時間だけじゃなく日付も515のミラーナンバーです」
「コンプリートにはうってつけの日ってわけか」
「事務所もこんな状態だし」と瑛士は煙草をもみ消し、
「よし、全員で越鏡するか」
 社員旅行にでも出かけるような気軽さで笑う。

(to be continued)

第26話に続く。

 

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