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ノアールの夢 #6「Truth」

これまでのストーリーは、こちらから、どうぞ。

https://note.com/dekohorse/m/m99f01112d970

<あらすじ>
聡子のもとに現れたタキシード姿の黒猫ノアール。彼はルキアという異次元から、テラ(こちらの世界)に不法滞在するものを取り締まりに来たという。聡子は偶然ノアールの命を救っていた。そのため3つの願いを叶えてくれるという。2つめの願いにノアールが用意した夢の舞台は、露天風呂のある旅館の離れ。ところがノアールは、実は聡子の飼い猫の銀毛のシルバーだとわかった。そして、聡子は大切なことを思い出した。
<登場人物>
主人公:聡子
ノアール(異世界ルキアの黒猫)
シルバー(聡子の飼い猫:ノアールの正体)
智樹(聡子の恋人)

* * *

聡子はシルバーを右手で抱きかかえ、空いた左手で顔に派手に湯をかけた。涙が湯にまぎれ姿を消す。その手で湯をバシャバシャと叩いた。
「な、何をするんですか」
シルバーが、降りかかる滴に顔をしかめる。

「子猫のころは、お風呂でこうすると喜んだじゃない」
「あの頃は、かわいかったね」

「もう、子猫じゃないんですから、止めてください」
シルバーが顔をしかめる。

そのふくらんだ頬を聡子は指でつつく。
こぼれる湯を竹筒に受けていた鹿威しが、石にあたって一拍の音を立てた。


「あの日、けやき通りの郵便局前交差点で、信号が変わるのを待っていたのは、ルキアの不法滞在者ではなくて、私だった。そうでしょ」

シルバーは顔をそらして何も答えない。

「あの日、智樹とつまんないことでケンカしたの」
「ううん、ケンカというより、私が一方的に腹を立てた」

聡子は腕からシルバーを離し、泳ぐように湯をひと掻きして、庭を背に座った。湯煙が霞となってシルバーをおおう。

「大学のカフェでいつものように冴子が自慢話をはじめて。適当に相槌を打っていたんだけど。それが、たぶん彼女の癇に障ったのね」

「たまには、智樹にも連れていってもらいなさいよって、絡んできたの」

『デートがいっつも井戸川の河原なんて、おかしいわ。
 それって友だちレベルじゃない。あんたたち、本当につきあってるの? 
 聡子のことを想ってるなら、わがままぐらい聞いてくれてもいいよね』

「そう言って、由香たちに『ねえ』って同意を求めるから。私も空気を読んで、そうよね、なんて言っちゃったの」
聡子は思い出して、ため息をつく。シルバーがしなやかに肢体をくねらせながら泳いで近づいて来た。

「そこに、ちょうど智樹が通りかかって。冴子が小声で『ほら』って言いながら肘でつっつくんだもの。もう、公開処刑みたいな感じ」

聡子は火照ってきた体を冷やそうと、立ち上がって風呂の縁の滑らかな岩に腰かけた。秋風が湯気を巻きあげながら、体を撫でてゆく。

「智樹にね。青山にお洒落なバーができたから、今度、そこに連れていってほしい。って、言ったの」

聡子は大学のカフェでの場面を思い出しながら、足で湯をバシャバシャと掻きまわす。その被害を避けようと、シルバーが少し遠ざかる。

冴子や由香たちが、ニヤニヤしながら二人のやり取りを眺めていた。
好奇に満ちた女子の視線に晒されて、照れ隠しもあったのだと、今ならわかる。

「また、くだらないこと言ってんのか」

智樹がそれだけ言い残してすたすたと通り過ぎようとしたとき、聡子の中で何かが外れた。たぶん、日ごろの不満が塵のように少しずつ積もって、知らないうちにうず高くなっていたのだろう。
智樹と過ごせる時間なら、どこでも、どんな形でもいいと、つきあい初めのころは思っていたのに。だんだんと欲張りになっていた。女は欲張りな生きものだというけれど。冴子たちと比べてしまう自分自身にも、いらだっていたのだと思う。

「一度くらい私のわがままを聞いてくれても、いいじゃない!」
「私のこと、好きじゃないんでしょ。もう、いい!」

智樹の背に向って、溜まっていた不満を砲弾のように浴びせると、聡子はバッグをつかんでカフェから走り出た。事の仕掛け人の冴子たちも、聡子のあまりの剣幕に一瞬、身を強張らせた。だが、すぐに「聡子って案外ヒステリックなのね」とひそひそ囁いたのが、智樹の耳に届いた。
智樹は冴子を一瞥して睨みつけると、猛ダッシュで聡子の後を追った。


「智樹が追い駆けて来たことはわかってた。いつもだったら、それだけで満足で、そこで仲直りだったけど。あの日は、どうしてか、とにかく智樹から逃げたかった。だから、通りの向こう側に渡ろうと思って信号を待ったの。すると、いつの間に渡ったのかはわからないんだけど、向かいの通りを智樹が駆けて来るのが目に入った。たぶん、向こうからの方が、私の姿が見つけやすいと考えたんだろうね」

「それで慌てて、信号が点滅をはじめてる北側に渡ろうとした」
「もちろん、左折の車になんか、全然気づいてなかった」

聡子はのけぞって空を見あげる。どこまでも高い澄んだ秋の天があった。鰯雲が波のように連なっている。
あの時。何であんな行動をとったのだろう。苦い悔恨が喉の内側を滑り落ちる。あの日も、空はこんなふうに晴れ渡っていたというのに。
聡子はそれをゴクリと飲み下して、シルバーに視線を戻した。

「体の向きを変えて走り出そうとした瞬間に、何かがすごい勢いで額にぶつかってきた。あまりの衝撃にバスケットボールでも当たったのかと思った。よろけて歩道の傍らで、頭を押さえてうずくまっていると、キキィィ――って、タイヤが激しく軋む音が長い尾を引いて響いた。その瞬間、そうね、瞬きするくらいの一瞬だったんだけど、周囲の人たちが皆、固唾を飲んでフリーズしたように思えたの。その後、車はすぐに走り去っていったわ。横断歩道の前にいた人たちは戸惑ったように顔を背けてた」

聡子は腰かけていた岩から立ち上がり、そっぽを向いたままのシルバーを抱きかかえて、湯舟に身をひたした。その顔に額を寄せる。

「捨て身で私を助けてくれたんだよね」

どんなにがんばっても声が震え、涙がかぶさる。もう、聡子は、はらはらと流れ落ちる涙を隠そうとはしなかった。

「私はノアールを助けたんじゃなくて」
「シルバー、あなたに命を救われた」

聡子はシルバーの前脚の脇を両手でささえ、そのつぶらなキャッツアイを見つめた。涙が頬から耳朶へと、幾筋もの川筋を描いては聡子の長く美しい首の後ろへと消えてゆく。

一人と一匹の間には、永遠に続くかと思えるほどの静寂(しじま)があった。それを破ったのは、空気を震わせる鹿威しの乾いた拍だった。


シルバーがぽつりと声を漏らした。
「すべて、思い出してしまったのですね」

「私は、どうやら本当にミッションに失敗してしまったようです」

深い嘆息とともにシルバーがうなだれた。


(to be continued)

(7)に続く。




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