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海とメロンパンとヒダカさん(#シロクマ文芸部)

「最後の日ですからね」とヒダカさんがいう。
 ヒダカさんは黒いビロードの毛並みが美しいくまだ。胸のデコルテに銀色の細い三日月をぶらさげている。

 海に面した高台にある古い鉄筋コンクリート造のアパートの二〇七号室。そこはヒダカさんの夏の別荘のひとつで、他にもいくつか別荘をもっている。夏の別荘というけれど、例年、夏の終わりから十二月の末頃までいる。
「くまって、あんがい裕福なんですね」というと、小さな目をめいっぱい見開いてしばらく考えこみ、「ひと所に長くいると危険ではないのですか」と不思議そうに返された。ねぐらを複数持つことは野生の常識だ。数日ごとに巡回しているらしい。
「でも、ここがいちばん気に入っております」
 山育ちのヒダカさんは、海が見たかったそうだ。
 ヒダカさんが巡回から帰って来るとすぐにわかる。
 坂の下から見上げると、左端から三つ目の南の窓から、黒くて大きな顔をぬっと突き出して、くまが海を眺めている。あたしはうっかりメロンパンを買っていなかった自分に舌打ちし、角のパン屋に駆けこむ。
 ヒダカさんはメロンパンが好きだ。 
 ヒダカさんは正真正銘のくまだから、普段はずどん、どしり、のそりとしているのだけど、ときどき石畳の坂道で駆けあがってくる海風を真っ向から受けとめ、秋桜のようにふわふわふらっと揺れていて、あんなに大きいのに風にさらわれてしまいそうにみえる。黒光りする毛が風になびき、陽に透けて溶けてしまいそうで、あたしはあわてて後ろから広くて大きな背に抱きつく。そうして、確かなボリュームを腕に感じるとほっとするのだ。

 ヒダカさんは、しろくまに憧れている。
「純白で、崇高で、この世でいちばん美しく強いくまです」と胸をそらす。
 ヒダカさんはわりと物知りだ。海が世界中につながっていることも知っている。だから、しろくまの住む氷の海にいつか行ってみたいと、南の窓から沖に視線を泳がす。眼下に広がるのは太平洋で、まっすぐ南にあるのは南極大陸だから、しろくまのいる北極とは正反対なんだけど。たぶん、そんなことはたいした問題じゃない。
 あたしとヒダカさんは、残暑の厳しい日でも海を眺め、メロンパンをほおばりココアを飲む。ヒダカさんは鼻の頭に汗を光らせ「おいしいですね。山にはメロンパンもココアもありません」とむしゃむしゃと齧りつく。メロンパンの皮のかけらが口元の黒い毛をまだらにする。時おり気まぐれに吹く潮風にヒダカさんの汗の匂いがまざる。湿った土と木と苔の匂いだ。

 ヒダカさんには、いろんな最後の日がある。
「ことし最後のエール麦酒の日です」
「やまぶどうのジャムをこしらえるのは、今日が最後です」
「キビタキの渡りの最終日です。ほら、群れが大空を渡りますよ」
 ことさら「最後」を強調している感じが、なんだか気にくわない。今日と明日で何が変わるのだろう。
「むりに最後の日にしなくても、明日もまた、ジャムを作ってもいいんじゃない?」
 あたしはココア用の牛乳をわかす。
「いいえ、ものごとには潮時しおどきがあります。なんにしても終わりがあるのは良いことです。また、新しくはじめられますからね。今日という日が終われば、明日がはじまります」
 ふうん、そんなものかとガスを止める。
「ほら、みさきも今、一番おいしいタイミングで火を止めたじゃないですか。同じですよ」

 十二月も暮れになると、ヒダカさんは冬ごもりのために山の家に帰る。冬ごもりの間に子を生み、子育てを終えた夏の終わりにアパートに帰ってくる。ここ数年ヒダカさんは同じルーティンを繰り返している。ただし、最後の日は十二月三十一日のこともあれば、二十七日のこともある。何を基準に決めているのだろうと尋ねると、
「体内時計が知らせてくれるんです」そろそろですよ、と。
「へえ、それは便利ね。いいなあ」あたしは膝を抱える。
「人にはないのですか? 市庁舎の時計はあんなに立派で、腕時計もデジタル時計もとても精確なのに」ヒダカさんは不思議そうな顔をする。
「きっと、何かを得ると何かを失うんだね、知らないうちに」
 あたしは鼻をひくつかせ、知ったふうなことをうそぶく。
 水平線に沈む夕陽が朱色のグラデーションを濃くする。

 ピンポーン。
 玄関を開けるとヒダカさんが立っていた。そうか、今日が最後の日ね。
「はい」とあたしはメロンパンの入った袋を渡す。昨日、角のパン屋であるだけ買っておいてよかった。
「こんなに。ありがとうございます」
 ヒダカさんは大きな体を不器用に折る。
「最後の日だからね」あたしは下手なウインクをする。
「では、わたくしからは、これを」
 やまぶどうのジャムの瓶がいっぱい詰まった籠が差し出される。
「えっ、これぜんぶ?」
 おそらく、ことし作ったジャムのほとんどだ。
「最後の日ですから」
「ありがとう。元気でね。また、来年の夏ね」
 あたしがぽんとヒダカさんの太い腕をたたくと、ヒダカさんは小さな瞳であたしを見つめ、「来年はもう戻りません」という。
「今日が、ほんとうに最後の日です」
「えっ」あたしはジャムの籠を落としそうになる。
「山の家には帰りません」
 そこで、ようやく気づいた。いつもなら山に帰る荷物でぱんぱんのリュックを背負っているのに、今日はコマ付の白いスーツケースを引いていた。
「じゃあ、どこへ?」
「しろくまの住む氷の海へ。やっと決心がつきました」
 ヒダカさんは、ぐっと顔をあげる。胸の銀の月が揺れる。
「夢を叶えるんだね」
 あたしは、ぐっと涙を呑みこむ。
 坂道を船着き場へと、黒くて大きな背が遠ざかる。
 いつか――「南極でしろくま発見」のニュースの流れる日が、来るかもしれない。
 海は今日もきらきらとまぶしく白い航跡を引いている。

<了>


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今回もぎりぎり……というか。
今回はどうしても、今日、投稿したかったので一日寝かせました(笑)
だって、お題が「最後の日」ですから。
ことし最後の日に投稿したくて。
小牧部長様、ことしは、たいへんお世話になりました。
心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

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皆さま、これが正真正銘、ことし最後の投稿となります。
ことしも、拙著をお読みいただき、またあたたかいコメントをいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
すぐに頭をもたげるサボり癖と、それに負けてしまいそうになる自分の怠惰さに対する自己嫌悪とに苛まされ続けましたが、皆さまのスキとコメントに励まされ、なんとか毎週投稿だけは死守することができました。

ことしは、noteで知り合った憧れの幾人かの方々とお会いすることも叶いました。まさか、こんな出会いが、この歳になってあるとは思ってもみませんでした。
「書く」ことの楽しみはもとより、皆さまの鋭く、深く、多彩な記事にたくさんの刺激をいただきました。この充実をなんと表現すればよいのか。拙い私はことばを持ちません。
noteの海に飛び込むまで、私の周りには、本を読む人などほとんど皆無で、ましてや(仕事以外で)何かを創作しようとエネルギーを傾ける人など見当たりませんでした。
それが……noteには、こんなにも「読む」ことも「書く」ことも「表現する」ことも好きで、また実力を持った方々がきら星のごとくまたたいている。なんて、noteの海は、豊かで広くてすばらしいのでしょうか。

来年もそんな刺激を皆さまから、びしばしといただきたいと願っています。
あと数時間で2024年ですね。
どうぞ、明年も、お互いに切磋琢磨していただけると幸いです。
2024年が、皆さまにとって充実した一年となりますように。

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