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#3「黄色いノートを開いて、宇宙への旅に出かけよう」

”Say When! ”は、お酒を注ぐときに「ここまでって言ってね」「ちょうどいいところで知らせてね」という意。お気に入りの一杯を味わうように、ゆっくりと楽しんでいただけるエッセイを綴っていきます。

 
 リビングの本棚に黄色い表紙のスパイラルノートがある。
 ところどころ茶色いシミが散り、あざやかだった色も褪せてしまっている。大人になりきれない筆跡で記した「地球と宇宙の科学」というタイトルのインクもにじんで消えそうだ。もう、かれこれ30年以上昔のノートである。

 高校まで物理が大嫌いだった。だから、大学で一般教養の必須科目として物理の講義をどれか一つ取らなければならいと知ったときには茫然とした。いくつかあった選択肢のなかからしかたなく選んだのが「地球と宇宙の科学」という講座だった。今から思えば教授は、物理嫌いが大半を占めていることなど先刻織り込み済みだったのだろう。

「この宇宙は、膨張宇宙なのか、収縮宇宙なのか、現時点ではわかっていません。」
階段教室の教壇に立った教授は、よく通る声で静かに話しはじめた。

 膨張宇宙ならば永遠に膨らみ続け、収縮宇宙ならば臨界点を超えると縮み、最終的には1ミリどころか1ミクロンよりも、もっと小さくなり、やがて点になるという。映画よりも壮大なスペクタクルに想像が追いつかず、私の脳は息もつけないほど興奮していた。30年も昔の授業だから、当時の最先端議論も今では決着がつき、膨張宇宙に軍配があがっている。

 私の心をつかんだのは、どちらが正しいかということではない。

 宇宙とはどこまでも広がる空間であり、この世界の一番外側の根源的な枠組みだと思い込んでいた。「宇宙」という絶対的な空間がまず在り、その内側に星や地球があるのであって、宇宙は果てのない空間であるということに疑問を抱いたことすらなかった。
 雨が空から降ってくることを、月が地球の周りをまわっていることを不思議に思いもしなかったように、私にとっては、揺らぐことのないあたり前の大前提だったのだ。

 宇宙が膨らんだり、縮んだりするという概念そのものも驚きだったが、膨張するということは、宇宙の外にふくらむことのできる空間があるということであり、収縮に転じればあとには広大な空間が残ることになる。どちらにしても、「宇宙の外側」があるということだ。
 はるか頭上に空があり、その空とも大気圏ともよばれる層の向こうに宇宙があるように。宇宙の外に、宇宙をすっぽりとおおう空間があるのだ。とすれば、その空間を、さらにぐるりとくるむ空間があるかもしれない、そのまた次も…。玉ねぎの皮のように、そのまた次の次も夢想できる可能性があるということだ。

 宇宙の外を見る「目」を手に入れたような、そんな衝撃だった。
 それまでは井の中の蛙よろしく、井戸の真上の空しか知らなかったのが、宇宙の外に飛び出てはるか彼方から俯瞰する視点をみつけた気がした。

 意味のわからない公式が並ぶだけで、ひとかけらの面白みもなかった物理が、途方もないロマンに満ちた学問だと気づいた瞬間だった。高校時代にこんな授業を受けることができていたら、物理を毛嫌いすることもなかったのではないか。そんな少しの苦さとともに、次の授業を心待ちにするようになった。
 私は毎週、宇宙への扉を開くように、講義室のドアを開けた。

 その後も教授は、最先端の宇宙物理を私たちにもわかるように話してくれた。

 ニュートリノのことを知ったのも、この講義だった。
 どんな物質もすり抜けてしまい、つかまえることのできない幽霊のような物質が存在すること。それが絶え間なく宇宙から降り注ぎ、私たちのからだを1秒間に数百兆個も貫通しているのだと。想像をはるかに超えた真実に目がくらみそうになった。のちに小柴博士がニュートリノの研究でノーベル物理学賞を受賞されたとき、私は少し得意げになったものだ。
 ドップラー効果、トンネル効果、αβγ理論、ステファン・ボルツマンの法則……。さまざまな理論が見せてくれる宇宙の不思議に興奮しながら、私は夢中になってノートを取り続けた。教授の語る一言一句をもらすまいと、必死で書き続けた。

 黄色い表紙のスパイラルノートをめくると、あの頃の興奮と熱が今も伝わってくる。ドラえもんの「どこでもドア」のように、黄色いノートを開くと、私はいつでもあの大講義室から宇宙への旅に出かけることができる。 


小柴昌俊博士の逝去の報せに、大変驚きました。また、一人偉大な知の巨人が旅立たれたことに、心よりご冥福をお祈りいたします。

 



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