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【ミステリー小説】腐心(11)

第1話は、こちらから。
前話は、こちらから。

<前話までのあらすじ>
住宅街の空家で高齢男性の遺体が発見された。死後5日ほど経つ死体は、連日35度超えの猛暑日のなか腐っていない。腐敗しない遺体について鑑識の浅田は、ヒ素の関与をほのめかす。検視の結果、死因は吐瀉物による窒息死。死亡推定日時は7月29日ないし30日。行方不明者届の受理は7月31日。失踪状況を同居家族の次男夫婦から聴取したところ、失踪日について夫婦の供述が食い違う。未必の故意も疑われる。捜査は、香山をリーダーに樋口と小田嶋の三人で進めることになった。鑑識の浅田から、下足痕について不審な点があると連絡を受け、香山は鑑識の部屋に向かう。

<登場人物>
香山潤一(30)‥H県警東野署刑事課巡査部長
樋口武史(24)‥巡査・香山の部下
小田嶋裕子(33)巡査・香山の部下
浅田‥‥‥‥‥‥鑑識係員
木本柳一郎(87)‥被害者・遺体で発見
木本和也(57)‥‥被害者家族・柳一郎の次男
木本佳代子(52)‥被害者家族・和也の妻
瀬名牧蔵‥‥‥‥遺体の第一発見者・庭師
相良俊夫‥‥‥‥遺体の発見の通報者・瀬名の相方の庭師

 鑑識係の部屋は三階東奥の吹き溜まりのような場所にある。
 刑事課も空気は澱んではいるが、常に喧噪に攪拌されている。鑑識の室内は澱みが無言で堆積している。
 入ってすぐの前室テーブルに簡単な現場の見取り図が用意されていた。バックヤードの扉をノックすると、奥から紺色の作業着姿の浅田が頭を掻きながら現れた。
「あれ、グっちゃんは?」
「樋口には防カメの手配をさせてる。小田嶋さんと三人班になった」 
 へえっと、浅田は気の抜けた相槌をする。
 浅田にとって捜査の人員など関心の埒外だ。こいつの興味は茫漠たる科学知識の大海のゴミの中にしかない。人事に毛ほどの関心を示さないからこそ、署内で唯一気楽に付き合える人物と香山は目している。
「気になる下足痕げそこんって?」
「まずは、これ」
 パソコンを起動させ画像を呼び出す。香山は浅田の肩越しに画面をのぞく。爪先から踵まで山型の規則正しい溝が並んでいる。ラバーソールか。
「ペダリングソールなんで、ドライビングシューズかビジネススニーカーの類でしょう」
 香山が見やすいように浅田は椅子をずらした。
「メーカーは?」
「調査中ですが、量販品でしょうな。サイズも男性平均の26センチ」
「特定は難しいか。この下足痕がどうした?」
「唯一の不明痕です」
「他はわかってるのか」
 それなんですわ、と浅田がわざとらしいため息をつく。
「空家なんで、いたずらに入る子どもの足跡が無数にあるかと予測してました。なのに、いっこも無かったんです」
 さも残念そうにまた、ため息をつく。
「桜台は少子高齢化が激しいんですかね。それとも、いまどきの小学生は塾通いで忙しいのか。空家探検は子ども心を刺激するスリル満載のはずなんだがなあ……」
 ため息の理由は、そっちか。小学生の浅田が野球やサッカーに興じる姿は想像できないが、空家とか秘密基地とか、そういう宝物探しは好きだったのかもな。鑑識の仕事はその延長線上か、と香山は内心で吹き出す。
「この靴痕はどこに?」
「門から玄関までのアプローチです」
「チラシを撒きに来た不動産屋かなんか?」
「その線はアリでしょう。けど、玄関の三和土たたきにチラシが散らばってなかったんですよ。かといって、犯人の足跡ってのでもなさそうなんですよねえ」
「なぜだ?」
「ホトケはリビングで倒れてた。仮に殺しの現場が別だとしても、少なくともリビングまで運ばないと。なのに、足跡は玄関の外までしかない。となると、この下足痕はホシのもんじゃないでしょう」
 そういうことか。浅田は事実から逆算して推理する。
「ホシの手掛かりにならない下足痕をわざわざ見せるために、聴取が済んだばかりの俺を呼んだのか?」
 多少の皮肉を口調にこめてやる。
「や、見てもらいたかったのは、こっちですよ」
 浅田はにやりとしながらモニターに別の下足痕を二つアップする。
「右が第一発見者の瀬名牧蔵のもの。左が相方の相良さがら俊夫のです」
「遺体発見者の下足痕の何が不審なんだ?」
「あるべき場所にないんです」
「あるべき場所に……ない?」
 香山の語尾が斜め上に跳ねあがる。
「どういうことだ」
「これ、見てください」
 テーブルに置いている現場見取り図を指す。
「雑草処理が目的だったんで、二人の足跡は庭には無数にあります」
 庭全体を赤ペンで大きく丸する。
「庭以外でも、門扉からアプローチ、勝手口にまわる通路。けっこういろんな場所にありました」
 二人の下足痕を採取した場所に赤丸のシールが貼られている。
 そりゃそうだろう。雑草は家の側面の通路にも裏口にもはびこっていて、脚立が裏口に続く細い通路に立てかけられていた、と香山は記憶のフィルムを呼び起こす。
「あるべき場所に、あるじゃねえか」
「家の外はね」丸眼鏡の奥の細い目が、香山を見つめる。
「瀬名は発見時のようすをどう供述しました?」
「……玄関の扉が開いてたんで不審に思って入ったら、リビングで人が倒れてるのが見え、慌てて駆け寄った、と」
「部屋にあがる際に靴を脱いだとしても、玄関の三和土に下足痕がないとおかしいでしょ」
「ないのか?」香山は浅田を睨む。
「ありません。瀬名はどこで靴を脱いだんでしょうね」
 浅田は挑発するように口角をあげる。
 香山は腕を組んで、黄ばんだ天井を見上げる。先月いっせい取り換えをしたLED電燈の周囲だけが新しく、借り物みたいに浮いていた。瀬名と相良の再聴取が必要か。熱中症による認知症老人の死亡事故で片付くはずだったのに。謎が沁みのように後から浮き出てきやがる。
 尻ポケットにさしているスマホが震えた。小田嶋からだ。
「どうした?」
 ――家主と連絡がつきました。
「いつ来れるって?」
 ――明日、午前の会議に出てから。東京からなので早くとも14時過ぎになるそうです。
「まず署を訪ねるよう伝えてもらえんですか」
 あ、また、語尾が妙なことに。いかん、と香山は自分に舌打ちする。
「きょうは、日報書いたらあがって」
 ――ですが……。
「俺もこれから浅田と一杯やるから。本格的な捜査は明日からお願い……明日から頼むわ」
 ――了解しました。
 スマホを切ると、浅田が目の前でにやにやしていた。
「『てっちゃん』に行くか?」
 駅の裏通りの雑居ビルに、沖縄料理の居酒屋がある。カウンターとテーブルが五卓だけのこじんまりした店だが、沖縄出の店主が包丁をふるう。ゴーヤとラフテーとうまい泡盛。浅田の蘊蓄を聞き流しながら、うだった頭をもみほぐすにはいいだろう。

(to be continued)
 

第12話に続く。


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