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【気まぐれ日記】#21「めざめのスープ」

わが家の朝食は、パン食だ。
結婚したころから変わらない。
というより、実家にいたころからずっと、朝はパン。

トーストとフルーツと紅茶、あるいは牛乳たっぷりコーヒー。
こどもたちが小さいころは、フルーツが
前夜に作り置きしていたプリンに変わることもあったけれど。
だいたいが、こんな感じだった。

そこに、4年前の冬からスープを追加するようになった。
きっかけは、次男の高校受験。
風邪の予防対策に、とはじめた。

スープの実は、7種と決めている。
縁起かつぎもあって、ラッキーセブンの7。
(そもそもが、受験対策だったので、その名残り)
ときには末広がりの8種のときもある。
特別なものは用意しない。
余り野菜を使う。

たとえば、今朝作ったのは。

ちょっとだけ残ったにんじん。
ブロッコリーの茎。
大根のしっぽ。
きんぴらに使った残りのれんこん。
ごぼうのささがき。
みそ汁の余りのさつまいも。
野菜を全部で6種。
それに、ブロックベーコンを足して、7種にする。
野菜6種+ブロックベーコンと決めている。

付録のカレンダーめあてで、
毎年、年末になると雑誌の『和楽』を買う。
このカレンダーが、なかなかいい。
若冲や北斎、狩野派などの
アーティスティックな日本画のカレンダーで、
壁掛けカレンダーとしては小ぶりなところも気に入っている。


和楽

2020年のカレンダーは、小原古邨だった。
ほんとうにビューティフル。

つい、寄り道をしてしまった。
カレンダーは、余談。

カレンダーめあてで購入していた2016年の和楽1・2月号に、
料理家の辰巳芳子さんの特集記事が載っていた。
辰巳芳子さんといえば、
『あなたのために、いのちを支えるスープ』が有名。
和楽の特集記事では、こんなことをおっしゃっていた。

スープになる前のね、切った食材を入れただけの鍋の状態が美しいようでなければ、鍋の中の景色が美しいようでなければ、おいしい味には絶対にならないわね。
※『和楽』2016年1・2月号「辰巳芳子さんと日本美を探して」より抜粋


なるほど、と感心した。

でも、雑な性格のわたしが作るスープは、
辰巳さんが言うような「美しい鍋の景色」には、
何年たっても近づけそうもないシロモノだ。
冷蔵庫の残り野菜が主役だしね。
それでも、残り野菜からでる出汁は、
なかなかコクがあり、
顆粒コンソメを小さじ1杯たすだけで十分においしい。
塩・こしょうもしない。

スープの歴史は古く、
5世紀の古代ローマの料理書『アピキウスの料理帖』にも
数種類のスープが載っているそうだ。
もともとは、固くなったパンをつけて食べるためのものだったらしい。
皿に固くなったパンをちぎって盛り、
そこに季節の野菜をやわらかく煮込んだスープを注ぐ。
乾物と化したパンを、もどすための手段としてスープがあったわけだ。
その名残がクルトン。

欧米では、スープは飲む(drink)ではなく、食べる(eat)という。
主菜の前に出される前菜という認識だからだろう。
英語のsupper(軽い夕食)はスープと語源が同じだから、
やはり、スープは食べるものなのだ。

中世ヨーロッパでは、
野菜を煮込んだスープは栄養価が高いため
医者が処方する薬の一種でもあったのだとか。

辰巳芳子さんの「いのちを支えるスープ」も、
もとは、お父様の介護から生まれたもので、
お父様が亡くなられたあとは、
介護施設にスープを提供する活動をはじめられている。

レストランは、フランス語の「restaurer(レストレ)」が語源といわれ、
「回復する食事」を意味し、
それはすなわちスープを指していたそうだ。
レストランは、元気になれるおいしいものを食べる場所ということだ。

さあ、明日も、めざめのスープで元気に過ごそう。



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