大河ファンタジー小説『月獅』69 第4幕:第16章「ソラ」(4)
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第4幕「流離」
第16章「ソラ」(4)
(コンドルはノリエンダ山脈の山頂を超えると急峻な北壁に沿って急降下。ソラは再び失神していた。)
どさっ。
顔面を強打し、ソラは目を覚ました。
細かな羽毛が埃となって舞っている。ごつごつした岩の上に抜け落ちた薄茶色の胸毛が散乱していた。鼻、頬、腕、腹。ソラの全身に鈍痛が走る。起き上がろうとして吐いた。口の中にどろりと血の味がした。
轟々と風が吹きつける。奥は暗くてよく見えない。
軋む躰を無理にねじって背後を振り返ると、中空に突き出た岩盤の端で、コンドルが翼を広げ羽繕いをしていた。下から見上げると黒一色だったが、広げた翼の先端には白い羽根も見えた。
――逃げねば。だが、どこに?
ソラは這いつくばったまま、岩盤の縁を覗いた。
自分が今いるのは、鋭く天を衝き屏風のようにそそり立つ岩山の崖にできた洞だとわかった。吹きつける風が容赦ない。五月だというのに連なる嶺にはうす汚れた雪がまだらに残っている。
奥の闇で何かが、のそりと動いた。ソラは身構える。
「この絶壁から飛び降りて果てるか、雛のエサとなるか。いずれにしても、おまえの命は風前の灯。天卵の子といっても、光るだけじゃあ、喰らう相手に力を与えこそすれ、己の命の助けにもなんねえとは。哀れなもんだ」
嗄れた声で嘲笑うと、コンドルは巨大な翼をこれ見よがしに広げ、ソラに背をむける。
極上の獲物はわが子に残すつもりか。気流を見定めると、雪嶺の連なる中空へと滑るように飛翔していった。白い尾羽が太陽の光をはね返してきらめき、すぐに点となった。
ほっとしたのもつかの間、頭上にはヒナの嘴が迫っていた。
腹這いのままソラは後ずさる。
がらっ。
崖の縁に掛けた足もとの岩が崩れる。落下した音が響かないほど、洞は急峻な岩山の頂近くにある。
落ちる――と目をつむった瞬間、鋭い嘴に掬い取られた。落下の危機はまぬがれたが、すぐさま嘴はソラを咥えたまま天に向けられ、そのままごくりと丸呑みにされた。
赫黒くぬめった底なしの闇に呑み込まれた。酸っぱい饐えた臭いが鼻をつく。荒波にもまれる小舟のごとく上下左右の不規則な蠕動に翻弄される。立つことはおろか姿勢を保つこともおぼつかない。ソラは激しく吐いた。ぬるっとした液体にまみれ、躰の自由が利かない。だが、本能がこのままでは駄目だと警告する。背の箙に突っ込んでいた矢は飛行中に落ちてしまい一矢も残っていない。腰に差した手刀を探る。手がぬるぬるして柄をうまく握れない。「獲物を一撃でしとめるなら、喉か首だ」ノアの教えが脳裡をかすめた。ぬめりの海で身をよじる。立ち上がろうとすると、すべって足を奪われる。昏い胃のなかでソラの躰だけがぼおっと光る。その微かな明かりを頼りに喉の位置を、不規則に動く胃壁をかきわけて探る。
――見えた、あそこか。
細くくびれた空洞を見つけた。ソラは手刀を握り直す。足もとを何度もすくわれ体勢を崩しながら、手の届く限り高い位置に渾身の力で手刀をぎりぎりと揉みこむ。
ぎゃぎゃ、ぎゃぎゃっ、ぎゃぎゃああ。
けたたましいだみ声が、喉の内壁を揺らす。コンドルの雛は痛みを取り除こうと、首を激しく振る。ソラは懸命に手刀の柄を両手で握り、さらに深く押し込む。ちぎれた血管から鮮血がしたたる。コンドルの雛は激痛にのたうち暴れる。その体内で血と胃液と消化しきっていない懸濁にまみれソラの意識も朦朧としていく。
断末魔の叫びをあげ、無秩序に暴れまわっていた雛の動きが不意に止まった。
一瞬、躰が浮いたと思った瞬間、頭を逆さにして高速で落下していく感覚に襲われた。コンドルの雛が痛みにのたうつあまり断崖の巣から脚を踏みはずしたにちがいない。ソラが閉じ込められている腹が空圧に押されひしゃげていく。息が苦しくなる。
ソラはまた失神した。
(to be continued)
第70話に続く。
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第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
第2幕「隠された島」は、こちらから、どうぞ。
第3幕「迷宮」は、こちらから、どうぞ。
これまでの話は、こちらのマガジンにまとめています。
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