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今、やっと「子はいません」と言える

わたしは子どもを産んでいない。でも「子はいません」となぜかずっと言えなかった。

「お子さんいると勉強大変だよね」

社会人になって通っていたビジネススクールの同期に言われた言葉。

「こどもがいない人にはわからないですよね」

子ども支援NPOの広報担当者の言葉。

なぜかわたしに「子どもがいる」ことが前提で話してくる人たち。わたしがおっかさんのようなオーラを出しているのか?中年女性は全員結婚して子どもを産んで子育てしてると思っているのか?

「子はいません」と事実をはっきり言えばいいだけの話と言われればそれまでなんだけど、なぜか言えなかったわたし。「子を産んでいない」ことにコンプレックスを感じていたんだと今はそのときの自分を俯瞰できる。わたしは病気とかそういう理由ではなく「子を産まない」という選択をして今に至る・・・というとカッコよく聞こえるけれど、海外に住んでみたり、山に登ってみたり、ついにはサラリーマンを辞めて田舎に移住したりとしているうちにそのタイミングはなかったという感じ。縁がなかったと言えばそうなんだけど、でも全部自分で選択してきたこと。それでも「子どもいますよね」という前提で話をされるとき、心がずきんとしてた。わたしは子どもが好きである。子どもというより、人間が好きで、小さい人間は見ていて、接していてとにかくおもしろい。かわいい姪3人と甥1人を私なりに溺愛している。

同年代で尊敬する友人がいる。彼女は40歳を過ぎてから海外の大学院に進み、自分よりはるかに若い同級生と共に学び、現在もその国でその国の子ども教育のフィールドで活躍している。その友人のことば「人生おもしろいし、生きててサイコーだし、これからもワクワクしているんだけど、唯一後悔しているのが子を産まなかったことかな」。

子を産まなかった自分を受け止めて「後悔している」という友人のことばに、なんかホッとした感覚があったことを覚えている。
子を産んでいることがすばらしくて、産んでいない自分はダメなんだと勝手に思い込んでコンプレックスを感じていたわたし。ずっと言いたいけど、なんか自分の悲を認めるようで言えなかったことを言ってもらった気持ち。

彼女のことばと、種として「子が産めない」という年齢に差し掛かってやっとわたしは「子はいません」と言えるようになった。器が小さいなと思うけど、これがわたし。このくらいの器なんだわ。

わたしは子を産んだことを前提に話をする人がいる世の中にうんざりしているわけでもあきらめているわけでもない。むしろ「いろいろでいいじゃん」となりつつある世の中には明るい未来さえ感じている。でもやっぱり何かを決めつけられると、対話をする気さえ失せてしまうというのは本音だ。そんな人とはそっと距離を置くことで、自分なりに身を守ってきた。

ビジネススクールの同期のおじさまへ。子がいなくても勉強はとっても大変でした。子がいたっていなくたって、わたしたちはただの完璧ではないひとりの人ですよね?

NPO広報担当のおじさまへ。(なぜかどっちもおじさまなんです)自分の子がいなくてもどこかの知らないこどもの幸せを願う人はいます。自分の子の幸せは願っても、どこかの知らないこどもの幸せは自分には関係ないという人がいるように。

「私には子はいません」

この作品の下書きを始めてから6か月経っていました。わたしのまわりには産みたかったけど産めなかった人も、授からなかった人も、たしかにおなかの中で生きていたのに、この世では命を燃やせなかった子の母もいる。こんな話をわざわざしない人もいるだろうから、わたしが知らないだけで、つらくて苦しい気持ちを抱えている人もきっといるだろうなって思うと、なかなか書けなかった。

でももしかしたら、かつてのわたしと同じように「子はいないんです」と言えずにいる人がいるならば、子を産んでいないことに罪悪感を感じている人がいるならば、わたしもそうだったよ!って知ってくれたらいいかなと。

あとやっぱり、おじさまたちに

「あんたの前提で話をするんじゃないよ!」

という自分自身の怒りを伝えたいんだと思う。

わたし自身も「おじさんってこれだからイヤだわ」とおじさまをカテゴライズして物事を判断しないように気をつけないと・・・と肝に銘じて。

かわいいわたしの姪と甥よ。君たちはわたしが産んだわけではないけれど、叔母なりに幸せを願っています。泣いて笑って喜んで怒って悲しんで、地球上でのライブを思う存分楽しんで生きてください。叔母もそうします(笑)。

お読みいただき、ありがとうございます。またこちらでお会いできたら嬉しいです。

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