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不登校の当事者はきっとそう思えない。 だけど「大丈夫、なんとかなる」と言ってあげたい。

〈でこぼコ家族にきく! Vol.01:Hさん 後編〉

子どものでこぼコに直面したとき、親はとまどい、悩みます。そして、同じ経験をしている人の話を聞いてみたいと願うのではないでしょうか。前編で子どもの不登校に焦り、迷いながらも脱出のために奮闘した話を語ってくれたHさん。後編では状況が好転した現在と、母親として、ひとりの人間として、自身の人生をどのように選択していったのか。同じ立場の方たちへのアドバイスも含めてお聞きしました。
→前編はこちら

変わっていくTくんの話をするとき、自然に笑顔になるHさん

日々の成功体験が積み重なって、変わっていった。

●お子さまは通信制高校のサポート校に進学します。
高校に進学できたことで、わたしも、子どもも、気持ちがラクになりました。ただ、まだホッとはできていません。その学校は不登校生徒のサポートがしっかりあって、先生が自宅に訪問して教えてくれていました。最初はそうやって勉強していくのですが、次は通学へとステップアップしなければなりません。先生は不登校児に慣れている方なので登校へとうまく誘ってくれ、子どもも「行こうかな」となりましたが、電車での通学にはハードルが高かった。知らない人と同じ空間にいることや車両内のニオイを嫌って、子どもは中学生のころから電車に乗れなくなっていたのです。結局、親が車で送り迎えをすることで徐々に通えるようになりました。

●お父さん、お母さんの負担はまだまだ大きいですね。
でも、子どもは〈学校にいけない〉という状況から抜け出せて安心したのか、暴言を吐く回数も減って落ち着いていきます。中学ではできなかったことが高校で少しずつできるようになり、チャレンジする意欲をもてるようにもなったみたいで修学旅行にも行ったのですよ! 電車にも乗れなかった子がほぼ初対面の人と飛行機に乗って、大部屋で泊まって旅行をする。帰ってきて「海鮮がおいしかった」「友だちと空港でお寿司を食べた」などいろいろな土産話をしてくれたときは、とてもうれしかったですね。

●高校で状況が好転したのですね!
一気に突破できたわけではありません。通信制高校・サポート校に進学できて、先生に助けてもらいながら学校で勉強ができて、いろいろな人と会話をして…と、これまでできなかったことが少しずつできていきました。一段、一段、階段を登るように、日々の成功体験を積み重ねていった結果だと思います。

●現在は大学に通われているとか。
大学の通信学部と認定専門学校のダブルスクールで情報関係の勉強をしています。4年間で専門知識を学び、国家資格を取りながら大学卒業の資格も取得できるコースで、論文を提出したり、テストを受けたりと大変みたいですが、がんばっています。バイトもはじめて、早朝から出勤しているのですよ。昔は昼夜逆転の生活をしていたのに、今は朝の5時30分に起きているからおどろきです。

●お母さまも安心ですね。
まだ、ちゃんと卒業できるのかという不安はあります。でも、よくしゃべるようになったし、毎日を楽しそうに過ごしているのでホッとしています。進路相談では、「親が働いている会社に就職したい」と言ったそうです。そんな風に見てくれていたのかと、少しうれしくなりましたね。

自分自身の人生に必要なことを、やめる選択はできなかった。

●ところで、お子さまの不登校に対してお父さまはどのような対応だったのですか?
わたしも父親も子どもが不登校になったときは〈学校には行くべき、行がないのは甘え〉と考えていたので、きびしく接していたところがあります。でも、ちゃんと調べていくと違うとわかって、ふたりで理解していきました。また、子どもが6年生のときに単身赴任となったので、家にひきこもりがちな子どもは父親の赴任先に行くことで気分転換できていたようです。単身赴任から戻ってきても高校に電車で通学できない子どもを車で送迎するなど、できる限りの対応をしてくれていたと思います。

●ご兄弟もいるのですよね?
兄がいます。実は弟が小学6年生で不登校になったとき、高校生の兄も生活が乱れて学校をドロップアウトしてしまったのです。兄弟で大変なのに父親は単身赴任してしまうし、わたしも会社で部署異動があって新しい環境での仕事に慣れなくてはいけなかった。もうむちゃくちゃな状況で、一番大変な時期でした。

●それでも仕事をつづけました。
毎日、毎日、子どものことを心配していたし、仕事に集中できなくて辞めたほうがいいのかと考えたときもあったのですが、辞めませんでした。理由のひとつは、親が働いている姿を見せておきたかったから。生きていくためには、社会とつながりをもって働かないといけません。親を通して、その姿を見せておきたいと考えていました。そして、〈自分のために母親が仕事を辞めなくてはならなかった〉と、子どもに思わせたくなかったというのもあります。
でも仕事をつづけられたのは、わたしの母親がサポートしてくれたおかげ。それがなければ無理でした。子どもの不登校では母にも負担をかけてしまったので、申し訳なかったと思っています。

●会社にはお子さんの状況を伝えなかったのですか?
不登校に対して今ほど理解されていなかったので、会社には言えなかったですね。でも、理解が進んだ現在でも、伝えるのはむずかしいかもしれません。周りに気を遣わせたり、心配させたりしてはいけないと考える人もいるでしょうから。

●むずかしい状況に追い詰められて、苦しくなることはなかったのでしょうか。
育て方が悪かったのかと自分を責めたりもしたし、精神的につらかったです。でも、みんなの前で暗い顔を見せてはいけないから笑っていました。あのころは〈心から楽しい!〉という日はなかったかもしれません。
でも、わたしには〈音楽〉という逃げ場がありました。コーラスやゴスペルなどの歌は、子どもが不登校になる前からつづけていた大切なもの。みんなでハーモニーを作り上げるのが、わたしは大好きなのです。しんどい日々がつづいていましたが、歌える場所に行くと自然と笑顔になれました。
50歳になったときは、ギターもはじめました。節目の年に新しいことをしたかったし、楽しんでいる姿を子どもに見せて「お母さんがまた何かをはじめている。おもしろそう」と思ってもらいたかった。あるとき、わたしが家でギターの練習をしていると、子どもはたまたま遊びにきていた友だちといっしょにこっそり聴いていたそうです。「友だちから“おまえのお母さんギターが弾けてすごいな”って言われた」と子どもが伝えてくれて、とてもうれしかったのを今でも覚えています。

●自分の好きなことも諦めなかったのですね。
自分自身の人生に必要なことを、やめる選択はできなかった。サポートしてくれた家族には、心から感謝しています。それに、自分の時間をもつことで、四六時中、子どもにかかりきりになりませんでした。〈わたしはわたし〉で楽しめていたので、お互いに窮屈にならなかったのかも? と思っています。

今悩んでいる親御さんたちへのメッセージとは?

子どもが不登校になったときは、ひとりで悩まないでほしい。

●不登校だったお子さまは変わり、大学に通ってバイトもしています。その状況になって、Hさんご自身に変化はありますか?
実は、会社を辞めるのです。次にすることを決めているわけではありませんが、とりあえずゆっくり休んで、何かをはじめてみようかと考えています。どうなるのかわかりませんが、楽しみですね!

●お母さまもチャレンジをするのですね!
その姿を、子どもたちが見ていてくれたらいいなと思っています。

●お子さまもお母さまも新しいステージに向かうことができた今、経験者として子どもの不登校と向き合っている方へのアドバイスはありますか?
自分の子どもが不登校になったら、焦ったり、不安になったりします。不登校がいつまでつづくのかもわからないし、先の見えない状況に苦しまれると思います。
そうなると親は子どもためにいろいろがんばってしまうのですが、わたしは〈自分を犠牲にするサポート〉がなるべく少なくなることを願っています。今は行政や学校の支援が増えているし、不登校への社会的な理解も深まっています。インターネットを調べると同じ状況の親御さんたちが集うコミュニティも見つかるので、会話をしたり、メッセージをやりとりしたりして、心を軽くすることもできるのではないでしょうか。利用できるものは利用して、家の中に閉じこもってひとりで悩まないでほしいです。
そして、〈自分が楽しめるもの〉を見つけるのも大切。自分の不登校のために親が悩んでいる姿を見ると、子ども自身もつらさを感じます。楽しんでいる姿を子どもに見せるのも親の役割だとわたしは思っています。それに、子どもの人生は子どものもの。何かを変えようと思ったら、子ども自身が変わらないといけないのです。
子どもにつきっきりとなって疲れを感じている人には、「親も楽しんでいいよ」と伝えたいですね。

●では、最後に。今のHさんがあのころの自分に声かけるとしたら、どんな言葉をかけてあげたいですか。
「大丈夫、なんとかなる。なんとかなったから」って言いたい。子どもが不登校になっている当事者は、「大丈夫だから」と声をかけられても絶対にそう思えません。でも、わたしは、そう言ってあげたいです。

【でこぼコ・ラボ:ライター 浦山まさみ】

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