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子どもが不登校になったとき、「早く学校に行かせないといけない」と焦っていた

〈でこぼコ家族にきく! Vol.01:Hさん 前編〉

子どものでこぼコに直面したとき、親はとまどい、悩みます。そして、同じ経験をしている人の話を聞いてみたいと願うのではないでしょうか。でこぼコ・ラボでは、でこぼコ家族たちの貴重な経験をお聞きする企画をスタート。初回はお子さまの不登校を体験したHさんのお話を2回にわけてご紹介します。前編では不登校になった子どもと向き合い、迷いながらもなんとか前に進もうと奮闘する過程を語ってもらいました。
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Hさん@でこぼコオフィス

当時は不登校ではなく、登校拒否という扱い。

●お子さまが不登校になったのはいつですか。
小学5年生です。3学期に友だちとケンカをしてコブをつくってきて、別の子からも手をだされていました。その日以来、学校に行くのを嫌がって休みがちになったのです。
でも、当時のわたしは、〈学校を休む=サボっている〉と考えていたので、「学校に行け!」と怒っていました。

●怒るお母さまに対してのお子さまの反応は?
「うざい、消えろ!」といった暴言を吐いたり、何かをバンと叩いたり、自分の気持ちを押さえられなくなっていきました。そのうえ6年生に上がったタイミングで夫が単身赴任してしまい、さらにナーバスになって。泣きながら父親に電話したこともあったようです。

●学校の対応はいかがですか。
最初は先生やクラスメイトが迎えに来てくれて学校に行けることもあったのですが、子どもは途中で帰ってきたりして、ちゃんと通えませんでした。
それに、今から10年くらい前のことですが、不登校への理解が進んでいなかった時代。担任の先生が、嫌がる子どもを引っ張って学校に連れていったこともあります。わたしも〈とにかく学校に行かせないといけない〉と考えていたので、これもひとつのきっかけになるかもと容認していたところがあります。
でも、6年の一学期にあることが起こりました。実はクラスメイトたちは子どもに不満をもっていたそうです。あいつが掃除をせずに早退するから、自分の負担が増えるって…。そんなクラス全員の前に担任は子どもを連れて行って、「絶対に学校にくる」と約束させたのです。今から考えるといじめのようなもの。その後、子どもはまったく学校に行けなくなりました。

●その話はお子さまから聞いたのですか。
手伝いにきていたおばあちゃんに、子どもが話したそうです。その報告を受けて、わたしも〈そんなことがあったのなら学校に行けなくなっても仕方ない〉とは思ったのですが、当時はまだ〈学校に行ってほしい〉という気持ちのほうが強かった。だから、卒業式だけは「けじめ」だと言って嫌がる子どもを出席させてしまいました。親としては、卒業式という記念は必要だろうと考えたのです。でも、子どもにとってはいらないものだっただろうなと今は思います。

●お子さまが学校に行けなくなったとき、お母さまの気持ちはいかがでした?
焦りました。勉強をしていないから社会で生きていけないと考えて〈この子はどうなっていくのだろうか〉と不安だったし、状況を解決できる日も見えていませんでした。それに、当時は〈学校に早く復帰させないと不登校が長引く〉という情報があって、〈とにかく早く学校に行かせないといけない〉と焦っていました。

●周囲に相談できる人は?
いませんでした。学校の先生はあてにならなかったし、会社の人にも言えません。昔は「不登校の生徒」ではなく「登校拒否児」と呼ばれていて、今よりもっと理解されない存在でしたから。

●「登校拒否」だと、学校に行かない本人が悪いというイメージが強くなります。
不登校は本人だけの問題ではありません。いろいろな要因が関わっています。とはいえ〈問題の解決は本人の中にある〉と、わたしは経験から学びました。周囲の人が子どものためにと一生懸命に考えて、できる限りサポートしても、子どもは「じゃあ、学校に行く」とはならない。子ども自身が行く必要があると気づかないと変わらないのです。
例えば、小学校のころですが、不登校の子どもが「○○をしてくれたら学校に行く」と言いはじめたことがあります。親は学校に行ってほしいと必死になっているから、望みをつないでほしがるものを与えてみたりもしました。でも、よい方向にいったためしはなかったですね。

感情を抑えされない姿に不安を感じて、
カウンセリングを受けたりもした。

●中学はそのまま地元で進学します。
そのころのわたしは環境が変わると〈行けるかもしれない〉と思っていて、夏休みが明けたら、新学期になったら、気持ちを切り替えて通学してくれるのではないかと望みをつないでいました。でも、やっぱり行けなくて…。なので、中学校への進学が最大のチャンスだと考えていたのです。
いろいろな学校を調べて、子どもを連れて全寮制の中学校を見学したりもして。でも、子どもが嫌がったので地元の公立中学に進学することにしました。中学校には入学前に連絡をとって、小学校で仲よしだった子と同じクラスにするなどの配慮をしてもえたのですが、通えたのは最初の一週間。そのうち行かなくなってしまいました。

●お子さまは、ずっとお家にいるのですよね。
自宅でスマホとゲームの日々です。わたしは本人の気持ちがわからないし、すぐ人のせいにするところも頭にくるから、「勉強したら」とか「スマホをやめたら」と言っては怒り、その度に子どもは「うるさい!」とキレていました。
感情を抑えられない子どもの姿を見ると、親はとても不安になります。そんなときに不登校を支援するセンターをインターネットで見つけて。料金はそれなりにしましたが、〈とにかく学校に行かせたい〉、その一心で週に一回のペースでカウンセリングを受けさせました。

●お子さまは素直にカウンセリングを受けてくれるのですか?
センターにはマンガがあるし、帰りには外食もできるから、家にいるよりはマシという感覚でカウンセリングを受けていたようです。でも、中学校に行けるようにはなりません。
最近、子どもにあのころのカウンセリングで気持ちの変化があったのかを聞いてみたのですが、「まったくなかった」と言っていて、がっくりしましたよ(苦笑)。

●中学校の対応はいかがでしたか。
中学校の先生も忙しいのか、たまに訪問して、会話をして帰られる程度でした。でも、2年生になったころ、先生から紹介されて大阪市の「こども相談センター」に通いはじめたのです。それまでの支援センターは止めて、こちらで週に一回カウンセリングを受けるようになりました。
また、相談員からすすめられて発達診断を受けてみると、軽度の発達障害であることも判明。子どもがいつも「めんどくさい」と言うのは〈本人の中で理解ができないから〉だと説明され、子どもの内面が少し理解できたように思います。
相談センターには中学2年・3年と通って、何かが大きく変わったわけではないのですが、親も相談員と話せるのはよかったですね。ネットや本を頼りに自分で調べるには限界があったし、専門家からアドバイスをもらえるのは助かります。

Hさんは今回のインタビューにあたって
Hさんのお母さんや息子であるTくんにも、当時の話を聞いてきてくれていました。

〈学校に行かせないといけない〉という考えが薄まって、
ほめることが多くなった。

●勉強はどうしていたのですか?
小学6年生から家庭教師にきてもらっていました。小学生のころは勉強に集中できなくて、部屋の中をウロウロしたり、部屋から出てこなかったりしていたのですが、中学生になったら少し落ち着いて勉強ができるようになりました。大学生の先生だったので勉強よりゲームの話をしていることもあったのですが、それでもいいと思って。わたしもそのころには〈絶対に学校に行かせないといけない〉という考えが薄まっていたし、子どものことを理解しようと心がけてもいました。ほめることが多くなって、「勉強がんばっているね!」などの声かけもしていました。

●中学三年生になると、高校進学という問題もでてきます。
親の考えですが、高校には行ってほしかった。だから子どもには普段から、「将来は働いてお給料をもらって生活しなくてはいけないから、高校には行っておいたほうがいい」と伝えていました。中学3年生のころにはいろいろな学校の資料を取り寄せて、「こんなところがあるよ」と見せてみたりして。本人も進学を考えだしていたようで、興味をもってくれました。

●お子さま自身に変化の兆しが見えてきたのですね。
この間、本人に聞いてみたら「高校に進学したころから働かないと生きていけないとわかってきた。このままではダメだと思って大学進学も考えはじめた」と言っていました。きっかけはテレビやYouTubeだったみたいです。いろいろな番組を見ている中で〈今ちゃんとした家に住めているのはお金があるから、お金がないとそれができない〉と気がついて、「自分はこのままではダメだ、生きていけない!」と悟ったそう。
あと、中学校へ通えずに家に籠もっていたときも保育所時代からの友だちとはつながっていて、よく家に遊びにきていたのです。その友だちは、学校に行けている子たち。彼らと話すことで、進学など将来について感じ取れる部分があったのではないでしょうか。

●高校は通信制を選択されました。
全日制の高校はむずかしいだろうと考えていたので、最初から通信制高校を調べました。資料を取り寄せたり、オープンキャンパスに参加したりしてリサーチし、ある通信制高校のサポート校に絞りました。中学3年生からはその高校が派遣してくれる不登校生徒をサポートする家庭教師にきてもらって、事前準備をスタート。無事に進学できたときは、気持ちがラクになりました。
でも、中学校の卒業式には出席できなくて。校長室で証書を渡すというので嫌がる子どもを連れていき、校長室で卒業を迎えました。

【でこぼコ・ラボ:ライター 浦山まさみ】

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