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読書日記「認知症の私からみえる社会」

タイトル「認知症の私から見える社会」  
 著者:丹野智文
 発行:講談社 +α新書 2021年


 福祉センターから借りてきました。丹野さんは、当事者として声を上げた先駆者として知られています。


「丹野智文さん。1974年生まれ。大学卒業後自動車関連の会社で活躍中、2013年39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断される。営業職から事務職に異動し勤務を続ける。現在は認知症への社会的理解を広める活動を行なっている」

著者紹介より



本文より

当事者だから言えること。言い換えれば、周りの人間には見えにくいことを書いてくださっています。


・認知症と診断されたら、本人の状態は急には変わらないのに、周りの人たちの意識が大きく変わってしまう。
・認知症の当事者がどうしたいのか、自分で決めるのが一番なのに、本人に話を聞かないで家族や周りの人の意見ばかりを聞く。やりたいことも止められてしまう。

「当事者の話を聞いてほしい。自分で決めたい。自分でできることはやりたい。どうしたらできるか一緒に考えてほしい」


また、社会の大多数は「認知症にはなりたくない」と、予防や治療に希望をもっているが、本来、社会にとっての希望は、「認知症になっても安心して暮らしていけること」と未来に向けたことでなくてはならないと言っています。(太字:筆者)

「みんな認知症になっても自分で決めて笑顔で過ごせるように、認知症当事者と一緒に考えてくれることを願います」

文中より

【私の感想】
認知症の理解

認知症の理解はだんだんと社会に広まってきました。認知症についての講義『認知症サポーター養成講座」 商業施設や銀行などでも開かれています。地域で、気軽に集まれる居場所作りとして「認知症カフェ」などもあります。

しかし、まだまだ偏見があるように思います。認知症になったら何もできなくなる。本人は何も分からないから楽だろう、認知症だけにはなりたくない、なった人はかわいそう、などです。


介護の問題もそうですが、認知症の理解が広まってきたと言っても、自分の身に降りかかってこなければ身近に感じないものですよね。少しでも社会の理解が進みますように。(私もまだまだですが)


《寄り道》

本文の中で、「ケアマネジャーはケアプランを作成する時に家族からの話だけを聞き、当事者抜きで決めていませんか」「調子はどうですかと聞くだけになっていませんか」と聞かれるのは、元ケアマネとしてはちょっと耳が痛い。

 「そんなことないですよ。ご本人からもお話を聴いていますよ」と言いたい。しかし、実際にはご家族の意見が通ることもしばしばなので、気をつけていかなければなりません。

その他、印象的だったこと

「日常生活を続けるための工夫のあれこれ」
 忘れることに備える工夫など、なるほどと思います。

「空白の時間を作らない」
診断されても、ご本人もご家族もオープンにできなかったり、関係機関に繋がらなかったり、何もしない「空白の時間」ができてしまう。周りが応援すれば、今までの生活を続けることができる。

「病名ではなく、目の前の人を見て下さい」
<認知症の人>とひとくくりにしないでほしい。それぞれ症状も違うし、考えや環境も違うのだから、と。
 


新聞から

 先日の新聞に、丹野さん(49歳)が「認知症の人と家族の会」の理事になったという記事がありました。当事者で初だそうです。
 今朝の新聞にも名前がありました。同じく当事者の方の話でしたが、丹野さんに救われたと。その方はご自分でデイサービスなどの事業を始められたそうです。


 

最後に、介護の厳しさ

たまたま、なのでしょうか。その記事の下。今日の「ひととき」は、認知症で寝たきりのお母様を介護されている息子さんの投稿でした。認知症が進行されていて、介護の大変な様子を書かれています。「母と子の立場が逆転。恩返しの日々を重ねたい」

 厳しいですよね。

 お母様も、息子様に介護されるご自分が情けなく、でも甘えるのは息子様しかいなくて、はがゆく、つらい思いをされているのかも分かりません。

 この方の場合、サービスも使われているようですが、身体的にも精神的にも社会的にも、一人で抱え込まないでいかれますように、ご無理をなさいませんように、と思います。


いろいろ書いていたら、ついつい長くなりました。
また一緒に考えていけたらと思います。私も地域でできることを模索しています。


*画像はお借りしました。背中に感じる哀愁。


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