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映画鑑賞記~牛のいのちと向き合う仕事

つながれた牛の眉間をハンマーが一撃する。
ドン!と倒れる牛。すぐに始まる解体作業。 

 映画は衝撃的なシーンから始まりました。


中村哲さんの映画を見に行ったとき、この映画のリーフレットに興味を持ちました。監督のトークショーがある。上映が夜7時からだったので、ちょっと迷いましたが(年寄りには遅い)これは行くしかあるまい。


 映画の名前は『ある精肉店のはなし』

劇場の入り口で。サイン入り


93席の小さな劇場ですが、ほぼ席は埋まっていました。



こんな話です


 大阪府貝塚市。北出精肉店は牛を育て、屠畜し、精肉店を営んできた。今の当主で7代目。使ってきた市営の屠場が閉まる。最後の屠畜が行なわれた。

 カメラは、北出精肉店の人々の日常を追う。

 それぞれの持ち場で働く家族。賑やかに食事を取る家族。だんじり祭やお盆の様子、近所の子どもたち。歴史の中の差別問題も浮かび上がらせながら、映画はこの地域での家族の暮らしを丁寧に写し取っていく。

 皮はだんじり太鼓になり、晴れの日を彩る。

「いのちを食べて人は生きる。家族で牛の命と全身全霊で向き合い、『生』の本質を見続けてきた記録」

リーフレットより

ポスターには「いのちを食べて、いのちは生きる」

屠畜の場面

 最初のハンマーのシーンはやはり衝撃でした。牛が「ドッ!」と倒れた時、ドキッとしてしまった。

 
 倒れた牛は気絶している。すぐに息の根を止め、解体する。足を引っ張り、皮をナイフで丁寧に、しかも素早く剥いでいく。胴体も内蔵も作業は手際よく進められる。

 その職人技、手際の良さに圧倒されました。監督がトークショーで言っていましたが、それは美しかった。無駄がなく流れるようで、ダイナミックだった。 


いのちをいただくということ


自分ちで育てた牛のいのち。牛舎から屠場に向かう道々。手綱を引き声をかけながら行きます。そこには牛に対する情もあるけど、屠場に着いたら「これは仕事」という思いを感じました。

 「一瞬の後は、すぐに商品になる」「美味しいと言ってもらえたら本望」というようなことを言っていました。

「牛は牛、人は人」

新司さんのサインの横の言葉


 昔、家でニワトリを飼っていて、しめて食べたような、かすかな記憶があります。
 しかし、現代ではスーパーで売られている牛肉を見ても、牛の姿は思い浮かべない。肉食の最初の部分を見ることはほとんどなくなっていますね。
 
 「いただきます」の由来

1990年代以降の文献では、こういった感謝の対象の中でも、食事になることで犠牲になった食材のいのちに対する感謝を取り上げる文献が多く見られる

(Wikipediaより)

日頃は感謝の気持ちが込もっていないかもしれない。


差別について


 この映画を語るのに避けて通れない命題です。
  
 父親の静男さんは、小学校で出自のことを言われて、それ以来学校に行かなかったそうです。北出家の歴史に大きな影響を与えていたのだと思いました。

この話は次回に続きます。

北出家の人々

とにかく、北出家の人々がイキイキと描かれていました。

7代当主の新司さん、次男昭さん、長女の澄子さん、新司さんの妻、静子さん。そして、気性の激しかったという先代に嫁いで家族を支えてきたおばあちゃん、二三子さん。みんなが集まる食堂、みんなを見守るような飼い犬のラッキー。

 みなさん、俳優かと思うくらい表情が豊かです。優しい。おばあちゃんの二三子さんが良かった。夫とのエピソードを明るく語り、屠場に向かう牛を見守る姿にグッときました。

  
 次男の昭さんが行なっていた、太鼓の皮を貼る作業も興味深かったです。こんなふうに、昔から技が受け継がれてきて、牛の命を生かしてきたのだなと思いました。

見終わって

引き継いだいのちの仕事。この地域で暮らしていくということの重み。家族がワヤワヤと過ごし、おばあちゃんがどっしりと見守り、若い世代もそれを見て育つ。時代とともに生活は変わるだろうけど、これからも歴史を紡いでいく家族の営み。静かに心を打たれました。

いい映画でした。終わると拍手が起こりました。

 次回はトークショーの話。纐纈(はなぶさ)あや監督は若くて素敵な女性でした。これがまた、サプライズありで面白かったのです。お楽しみに。

って、テレビの番宣みたい。



*画像はパンフレット。これも良くできていた。

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