孤独と孤立~天声人語より
孤独とは孤立とは
朝日新聞 2023年6月7日(火)朝刊の天声人語を読んだ。
15年前に起きた東京・秋葉原無差別殺人事件についてである。
朝日デジタルの記事にはタイトルが付いているが、紙の新聞には付いていない。付けるとしたら、これしかないだろう。
読んだ感想を書いてみたい。
コラム内で、加藤元死刑囚には、歪んだ孤独感があったと書いている。
「孤独と孤立の違い」を調べてみた。
違いは何かについても調べてみると、
孤独は、寂しいというような「感情」のことで、一方、孤立は、客観的に見て他者とのつながりが少ない「状態」」のこととあった。
これは納得がいった。「社会的孤立」という言葉もある。
そう思って、彼の言葉を読むと、先ほどのゲームセンターとかの例えが何となくわかってくるような気がする。
私は彼の本を読んでいないので、偏った感想かもしれないけど、何となくこの例えはわかる。
でも、彼は何を訴えたかったのだろう。本には「孤立」を極端に恐れる言葉が並んでいたという。彼が恐れていたのは「孤独」ではなく、「孤立」だったのだろうか。孤立だったら、誰にでも良いからつなぐ手を伸ばしたら良かったのに。それができなかったのか。
天声人語氏の言うように、「自分が抱えた孤立は特別」と思っていたのだろう。屈折したものも感じる。
4冊目の本では、事件の真相をだれも理解していないと断言している。そして最高裁判決では、「孤独感を深めていた」としか言及されなかった。
そして死刑執行された。
誰にも理解されずに。
何という孤独だろう。
他の事件でも、犯人はどれほどの孤独を抱えていただろうかと思うことがある。岸田総理大臣をねらった事件しかり、立てこもり事件しかりである。
事件はそれぞれ概要も何も全部違うと思うが、その孤独感・孤立感を思ったとき、そして何より、犠牲になった人たちのことを思うとなんともやりきれず、いたたまれない気持ちになる。
犯人を擁護するつもりは毛頭ない。犯した罪は償わないといけない。
だがそれと、犯人の心境や事件の背景を考えるのは全く別のことと思う。そしてなんとか事件を防ぐことができなかったのかと。
岡本太郎氏の孤独
実は私は期せずしてこの本を読み終わったところだった。
この本については、改めて感想を書こうと思っているのだが、太郎氏の言う「孤独」は「孤高」に近いような気がする。
自分の道を、誰が何と言おうと、自分の信念に従って突き進むのだ!と。
「闘う孤独者」とも言っている。
最後にこの本から岡本太郎氏の言葉を引用したい。
なんだか、まだ太郎氏の言葉を理解できていない気がする。また読み返そう。
加藤死刑囚がこの言葉を読んだとき、どんな感想を持っただろう。それでも、「自分の孤独は違う」と言うだろうか。理解しない世の中が悪いと。
ちょっと気分が暗くなりかけたので、気持ちを明るくするためにこれを投稿の締めにしたかった。希望が見たかったので。また考えていきたい。
今、雨が降っている。明日は晴れるかな。
(写真は太陽の塔のてっぺん)
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