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孤独と孤立~天声人語より

孤独とは孤立とは

 朝日新聞 2023年6月7日(火)朝刊の天声人語を読んだ。
15年前に起きた東京・秋葉原無差別殺人事件についてである。

朝日デジタルの記事にはタイトルが付いているが、紙の新聞には付いていない。付けるとしたら、これしかないだろう。

読んだ感想を書いてみたい。

 コラム内で、加藤元死刑囚には、歪んだ孤独感があったと書いている。
 

友人から薦められたゲームセンターで遊ぶのは孤独だが、間接的に友人と接しているので孤立はしていない。勤務先の運送会社の車を運転するのは孤独だが、荷物を待つ人がいるので孤立ではない、

『解』~天声人語より


「孤独と孤立の違い」を調べてみた。

孤独(こどく、: solitude)とは、精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと[1]

「自分がひとりである」と感じている心理状態を孤独感(loneliness)という。

Wikipediaより

孤立(こりつ)

[名](スル) 一つまたは一人だけ他から離れて、つながりや助けのないこと。「敵に包囲されて―する」「―無援
対立するものがないこと。「―義務

goo辞書より

 違いは何かについても調べてみると、
 孤独は、寂しいというような「感情」のことで、一方、孤立は、客観的に見て他者とのつながりが少ない「状態」」のこととあった。
 これは納得がいった。「社会的孤立」という言葉もある。

 そう思って、彼の言葉を読むと、先ほどのゲームセンターとかの例えが何となくわかってくるような気がする。

 私は彼の本を読んでいないので、偏った感想かもしれないけど、何となくこの例えはわかる。

 でも、彼は何を訴えたかったのだろう。本には「孤立」を極端に恐れる言葉が並んでいたという。彼が恐れていたのは「孤独」ではなく、「孤立」だったのだろうか。孤立だったら、誰にでも良いからつなぐ手を伸ばしたら良かったのに。それができなかったのか。

 天声人語氏の言うように、「自分が抱えた孤立は特別」と思っていたのだろう。屈折したものも感じる。
 4冊目の本では、事件の真相をだれも理解していないと断言している。そして最高裁判決では、「孤独感を深めていた」としか言及されなかった。


 そして死刑執行された。
誰にも理解されずに。
何という孤独だろう。

 他の事件でも、犯人はどれほどの孤独を抱えていただろうかと思うことがある。岸田総理大臣をねらった事件しかり、立てこもり事件しかりである。

 事件はそれぞれ概要も何も全部違うと思うが、その孤独感・孤立感を思ったとき、そして何より、犠牲になった人たちのことを思うとなんともやりきれず、いたたまれない気持ちになる。

 犯人を擁護するつもりは毛頭ない。犯した罪は償わないといけない。
 だがそれと、犯人の心境や事件の背景を考えるのは全く別のことと思う。そしてなんとか事件を防ぐことができなかったのかと。

岡本太郎氏の孤独


 実は私は期せずしてこの本を読み終わったところだった。


 

 この本については、改めて感想を書こうと思っているのだが、太郎氏の言う「孤独」は「孤高」に近いような気がする。
 自分の道を、誰が何と言おうと、自分の信念に従って突き進むのだ!と。
「闘う孤独者」とも言っている。
 

最後にこの本から岡本太郎氏の言葉を引用したい。

 人間がいちばん人間的なのは、孤独である時なんだ。だからぼくは言いたい。孤独を悲壮感でとらえるな。孤独こそ人間の現実的なあり方であって、狭い、特殊な状況じゃない。人間全体、みんなの運命をとことんまで考えたら、人は必然的に孤独になる。孤独であるからこそ、無限の視野がひらける。

岡本太郎「自分の中に孤独を抱け」裏表紙より

なんだか、まだ太郎氏の言葉を理解できていない気がする。また読み返そう。

 加藤死刑囚がこの言葉を読んだとき、どんな感想を持っただろう。それでも、「自分の孤独は違う」と言うだろうか。理解しない世の中が悪いと。

 ちょっと気分が暗くなりかけたので、気持ちを明るくするためにこれを投稿の締めにしたかった。希望が見たかったので。また考えていきたい。

 今、雨が降っている。明日は晴れるかな。


(写真は太陽の塔のてっぺん)

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