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言語は人生を変えるのか。物語も人生を変えるのか。

ある詩集をもとめて、独立系書店をさまよっていた。書名とたたずまいに惹かれて手に取ったのが、温又柔おんゆうじゅう[文]きたしまたくや[絵]『日本語に住みついて』というエッセイ集だった。

温又柔。いちども著作を読んでいないのに、懐かしさを覚えた。台湾で生まれ、3歳で来日。台湾人だが、中国語や台湾語よりも日本語に馴染んでいて、小説やエッセイも日本語で書いている。だが、自身も台湾人と日本「人」、そして母語と母国語のはざまで揺れていたり、そのことで謂れのない暴言を浴びせられたりして、Twitterの更新を止めてしまったのを見ていた。彼女もつらかっただろう。見ているこちらもつらかった。だからこの2年ほど、意識にのぼらなかったのだろう。

いや、ちょっとだけ思い出していた。昨秋、亡命ハンガリー人であるアゴタ・クリストフの自伝を読んだときのことだ。彼女は、代表作『悪童日記』を、母語のハンガリー語ではなく、亡命先の地域言語であるフランス語で執筆した。そのフランス語を、アゴタ・クリストフは「敵語」と呼ぶ。「わたしのなかの母語をじわじわと殺しつつある」(『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』)からだ。

この言葉に衝撃を受け、この半年ずっと、言語とアイデンティティについて考えている。そして、そのときたしかに、温又柔と日本語の関係についても、想いを馳せた。それで先日、このエッセイ集を手にしたとき、ふと淡い想いがよみがえったのだ。温又柔にとっては、日本語は「敵語」なのか。文は人なり。いまこそ、彼女の言葉を読んでみよう。そう思った。

『日本語に住みついて』は、長野県の地方紙である信濃毎日新聞に2021年4月から2022年3月まで月1回、連載していたエッセイだ。大政翼賛的な擦り寄りを是とする全国紙と異なり、「しんまい」はとても信頼できる。そんな地方紙から<境界を越える>というテーマで、読者の思索につながるようにと執筆依頼があったという。挿画は、温又柔が、きたしまたくやを選んだ。なるほど、笑顔の「笑」という文字を思い浮かべるような温又柔の表情やたたずまいを上手に描いている。

肝心のエッセイは、とても静かな筆致で、新聞の連載というより、文芸誌のほうが似合うかもしれない。

台湾語と中国語が入り混じる環境で育ったものの、3歳で来日し、5歳で幼稚園に入ったとき、はじめて日本語という壁が立ちはだかったこと。8歳で迎えた韓国・ソウルオリンピックで、日本や台湾、そしてチャイニーズ・タイペイといった国家や国境、そして愛国心とは何かを意識したこと。おそらく、温又柔がこれまでの著作やインタビュー記事などで書いたり発言したりしてきた言葉や発言をなぞっているのだろう。しかし、彼女の著作をはじめて読むうえでは、一つひとつの言葉に静かな思考と選択、さらには含意を感じる。

残念なのは、月1回、全12回という1年間の連載にも関わらず、季節感があまりないこと。もちろん、その月に起こった過去の出来事が話題のきっかけになっているエッセイもあるものの、総じて時候の移ろいを感じることはない。信州の彩りを織り交ぜるのは難しくても、風土をにじませる日本語の響きを感じたかった。連載があと1年続いていたならば、ふくいくとしたエッセイになったのではないかと感じずにはいられない。

驚きというよりも、じわりとした感得があったのが、第8回となる11月のエッセイ。温又柔もやはり、アゴタ・クリストフの自伝を読んでいた。そして、「敵語」という言葉に、想いを廻らせる。

私は、クリストフがそうであったように右も左もわからぬ異国で日中は工場に勤務し、夫や子どもの世話にいそしまねばならない立場ではなかった。もう少し遡れば、命からがら国境を越えたわけでもない。両親の手厚い保護のもと、きわめて安全な状態で出入国の手続きを済ませ、生まれた国からこの日本にやってきた。

私は、「未知の言語」として自分に押し寄せる日本語と「敵対」せずに済んだ。いや、むしろ私は、自分から選んで、日本語に「屈服」したとも言える。

『日本語に住みついて』

温又柔は書く。台湾に「帰国」するとき、母国語であるはずの中国語が流暢ではない自分が妙に気恥ずかしい。逆に、日本語以外の言語がほとんどできない自分が「外国人」として日本に「再入国」するのをうら寂しく感じるという。

自分は台湾人であって、さらには日本人でもある。しかし、自分は日本人ではなく、しかも台湾人ですらない。そんな「宙づりの感覚」こそ、彼女が小説を書く大きな原動力だという。寛容さを備える小説という器が必要だったと言葉をつぐ。

文は人なり。言語は人生を変えるのか。物語も人生を変えるのか。「温又柔」を、読んでいこうと思う。

実はサイン本✌🏻

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